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230 黒薔薇と赤薔薇(第4部3章・完)

 フランチェスカの脳裏には、一時間ほど前に一緒に居た人物の姿が浮かんできた。


「ごめんねグラツィアーノ、ちょっと見てくる」

「それじゃあ俺は、この辺りちょっと片しておきます」

「うん! ありがとう、よろしく!」


 衣装室を出て階段を登り、急いで自室に向かう。


(グラツィアーノ、安心したみたいでよかった。……それにしても、贈り物なんて……)


 部屋の扉を開けると、フランチェスカにとっては馴染みのある花の香りが、ふわりと甘く漂ってきた。


「!」


 フランチェスカの部屋の壁には、以前もらった一輪の黒薔薇が、リボンを巻いたドライフラワーにして飾られている。

 その壁際につけている机の上には、恐らく百本はありそうな、両手で抱える大きさの花束が置かれていた。


(黒薔薇と、赤薔薇だ!)


 フランチェスカは目を輝かせ、その贈り物に触れてみる。


(レオナルドの家と、私の家。それぞれを象徴する薔薇……)


 どちらも主張の強い色をした花色だが、バランスの良い配置で束ねられているためか、毒々しさがなく上品な作りだ。

 花の大きさも一律にはなっておらず、大きな薔薇と小さな薔薇を組み合わせており、それが調和となっているようだ。

 フランチェスカは白しか見たことがなかったカスミソウも、そうした品種があるものなのか、この花束では黒いカスミソウを使っている。


 そしてその花束の横には、赤いベルベット張りの小さな箱と、一通の封筒が添えられていた。


(……レオナルド)


 小箱を開けると、そこには耳飾りが入っている。


「……わあ……」


 それは、小さな薔薇のイヤリングだ。


(こっちも、黒薔薇と赤薔薇……)


 繋いでいるのは、糸のように華奢な銀色の鎖だ。

 その先には赤と黒、二輪の小さく美しい薔薇が、愛らしく並んでいるのだった。


 フランチェスカの指先よりも小さいのに、花びらの一枚まで精巧に作られた薔薇の花は、貴石を削り出したものである。

 箱に貼られた小さなラベルには、職人がしたためたのであろう、素材や石の名前が綴られていた。


(黒薔薇はオニキス。赤薔薇は、ガーネット)


 父が日ごろ用意してくれる宝石は、赤いルビーを使ったものばかりだ。

 フランチェスカが初めて間近に眺めるガーネットは、真紅のルビーよりも落ち着いた、黒色に近い赤色をしている。

 フランチェスカは耳飾りに触れてみる前に、黒薔薇の封蝋で閉じられた封筒を開け、中のカードを取り出した。


『フランチェスカへ。一刻も早く見せたくて、これを直接君に手渡さず、夜分に送り付ける不粋を許してほしい』

(……さっきまで会ってたのに。おうちに帰ったらこれが届いてたから、すぐに手配してくれたのかな?)


 美しい書き文字で綴られたのは、こんな言葉だ。


『どうか、何も返さずに受け取って。君がこれを身に付けてくれることが、何よりの返礼だ』


 それを読んで、くすっと笑う。


(駄目だよレオナルド。私に耳飾りを贈ってくれるなら、私からも同じ金額のものをお返しするのが条件だって、約束したでしょ)


 心の中でそう返事をして、フランチェスカはようやく箱の中の耳飾りに触れた。


「……かわいい」


 これを身に付けることを想像すると、胸が躍る。


「ありがとう。レオナルド」


 明日改めて伝える言葉を口にして、小箱の蓋をそっと閉じた。

 引き出しの中へ大事に仕舞うと、フランチェスカは急いで自室を出る。


(今日はまだ、これを着けちゃ駄目。さっきの耳飾りに似合いそうなデザインのドレスは、絶対にあれだ)


 そんなことを考えながら、ぱたぱたと衣装室へと向かうのだった。




***




「――ルキノ君は何処かにお出掛けですか? お祖父さま」


 エリゼオは、書斎の机に向かった祖父の背中にそう尋ねた。


「……あのお方は勤勉であらせられる。昼間ご覧になられた研究に、深く興味を示されたのだ」

「素晴らしいことです。あのようなお方がお世継ぎとあれば、隣国の方々もさぞかしご安心でしょうね」


 エリゼオは、敢えてこんなことを口にする。


「今日会ったレオナルド君には、ルキノ君が王太子であることを、見抜かれてしまったかもしれません」

「…………」


 祖父が少々不機嫌であることは、もちろん察している。


「付き合う者は選ぶべきだ。エリゼオよ」


 エリゼオのことは振り返らないまま、祖父はペンを止めた。


「お前の頭脳も才覚も、取るに足らぬ者たちのために使うものではない。そのことは、重々理解しているな?」

「ええ。もちろんですよ、お祖父さま」


 普段通りの微笑みを浮かべて答えれば、祖父は苦々しく呟いた。


「……お前の父親は、どうしてもそれが分からなかった」

「…………」


 その上で、祖父はゆっくりと息を吐く。

 それは何処か、溜め息のようにも聞こえるものだ。


「選ばれし、ロンバルディの者たる義務を果たすのだ。よいなエリゼオ」

「……お祖父さま」


 エリゼオは、祖父の方へと一歩踏み出す。


「ひとつ、お願いがあるのです」

「お前が、私に? は、これは珍しい」


 珍しく愉快そうに喉を鳴らして、祖父はこちらを振り返る。


「日頃から優秀な孫の願いだ。言ってみろ」

「ありがとうございます。……それでは」


 脳裏によぎるのは、レオナルドの言葉だ。


『当主の方が、次期当主よりも立場が上だ』


 エリゼオは微笑みを絶やさぬまま、静かな声で祖父へと告げた。


「僕に、当主の座を譲ってください。そうねだれば、あなたは叶えてくださいますか?」


 目元に皺の刻まれた祖父の双眸が、大きく見開かれる。


「――いずれ来る未来の話ではなく、『今すぐに』」

「……なに……?」


 書斎の暖炉からは、火の粉のぱちぱちと爆ぜる音が、戦火のそれのように響いていた。




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第4部4章へ続く



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