228 番犬の不服
衣裳部屋を埋め尽くすほどの『愛情』を前に、フランチェスカは慌てて廊下を振り返った。
「パパ!! パパは何処!?」
「当主はお仕事です。お嬢が気に入ったドレスを絞り込んだら、それに似たやつを数十着買い漁るって」
「何がなんでもこの中にあるドレスから一着決めて、『絶対にこのドレスがいい、他のじゃ駄目』ってパパに言わなきゃ……!!」
両手で顔を覆ってしまうものの、これは聖夜の儀式に必要なことだ。
(まずは、一着ずつどんなドレスか見ていこう。夕食の時間までに、試着候補だけでも決められるかな?)
腹を括ったフランチェスカを前にして、グラツィアーノが少々拗ねたような顔をする。
「なんか気合い入ってますけど、試着までしなくてもいいんじゃないすか? 当主が用意したドレスが、お嬢に似合わないなんて有り得ないですし」
「違うの。私に似合うかどうかは、一番じゃなくて」
目の前のドレスに手を伸ばしながら、『彼』を思い浮かべて口にした。
「レオナルドの花嫁役に相応しいかどうかで、選びたい」
「…………」
レオナルドは、いつだって悠然とした余裕を纏っている。
まるで遊んでいるかのようなのに、決して隙がない。国家の存続に関わる儀式を遂行している最中であろうとも、それは変わらないだろう。
(レオナルドの隣に、並ぶなら……)
想像をしながら、赤い薔薇色のドレスの前に立つ。そんなフランチェスカの背中に向けて、小さな声が呼び掛けた。
「……お嬢」
「どうしたの、グラツィアーノ」
ドレスの裾を広げていたら、思わぬ問いが告げられる。
「――――本当に、アルディーニと結婚しちゃうんですか?」
「え!?」
咄嗟に振り返ったグラツィアーノは、右手で目元を覆っていた。
「……や」
(…………?)
困惑するフランチェスカを前にして、グラツィアーノが声を絞り出す。
「……やっぱ、いまの質問忘れてください……」
「グラツィアーノ、すっごく眉間に皺が寄ってる!」
どういうことなのか不明だが、物凄く不本意そうだ。弟分に何か心配されていることを察したフランチェスカは、念の為説明を重ねておく。
「これは結婚式じゃなくて、聖夜の儀式のドレスだよ?」
「分かって、ますけど」
ぎこちなく返事をしたグラツィアーノは、観念したかのように息を吐いた。
「……アルディーニの野郎が」
「レオナルドが?」
何らかの気恥ずかしさ故なのか、むすっとしたままグラツィアーノが言う。
「卒業したら、すぐにお嬢との婚姻を交わしたいって、当主に願い出たって」
(それは知らない!!)
そのときの父がどんな反応をしたのか、想像するだけで恐ろしい。
だが、それよりも更に衝撃的なのは、レオナルドがそこまで話を進めていた点だ。
(れれれレオナルドどういうこと!? 卒業してすぐって、つまり来年の春だよね!? あと一年と少しで結婚の予定なんて言われても、心の整理が追い付かないよ!!)
「お嬢」
「うぐ!」
動揺のあまり、質問に答えていない自覚はあった。フランチェスカは改めてグラツィアーノに背を向けると、ドレスを吟味するふりで返す。
「そ……そんなの、分かんない! 卒業してからの進路だって決まってないのに、結婚なんて現実感が無さすぎるもの!」
「……へえー……」
「な、なに?」
意味深な相槌に、思わず再び振り返った。するとグラツィアーノが目を細め、じとりとこちらを見ながら言う。
「ちょっと前のあんたなら、こんなとき、『裏社会の人とは結婚しない』って即答してましたけど」
「んんん……っ!」
グラツィアーノの言う通りだ。
今のフランチェスカは、『レオナルドとの婚約破棄』をあんなに望んでいた、春先までのフランチェスカとは違う。
(『黒幕』レオナルドとの結婚なんて、絶対にしたくないって思ってた)
振り返れば、想像もしていなかった変化をしたものだ。
(薬物事件が起きていた頃、決闘を利用した婚約破棄の方法を、リカルドのお父さんから提案されたっけ。あのときは、それが正しくないような気がして……)
けれども今の心情は、あのときの気持ちとも全く違う。
(――私のことを好きでいてくれるレオナルドに、どんな想いを返せるのかな)
今のフランチェスカは、レオナルドに守られていることを察していながら、それを尋ねる手段すら持たない。
「……お嬢」
「あ! ごめんね、ええと」
グラツィアーノが答えを待っている。フランチェスカは顔を上げ、咄嗟に質問を返してみた。
「ぐ……グラツィアーノは、どうして改めてそんなことを聞くの?」
「…………」
グラツィアーノは意外なことに、フランチェスカがはぐらかしたことには言及しない。
「上手く、言えねーけど」
その上で、何処かばつが悪そうに視線を逸らすのだ。
「お嬢があいつと、結婚したら。……王都内のすぐ傍で暮らすとしても、このままこの家で暮らすことになったとしても……」
「?」
そっぽを向いたままのグラツィアーノは、ぽつりと呟く。
「………………あんたが遠くに行くみたいで、すげー嫌だ」
「!」
そのとき、不本意そうに顔を顰めたグラツィアーノの耳の先が、はっきりと赤くなっていることに気が付いた。