227 書架の防衛
***
すっかりと、夜が更けた頃。
レオナルド・ヴァレンティーノ・アルディーニは、『賢者の書架』と呼ばれる一室で、一冊の本に手を伸ばした。
(――フランチェスカは、そろそろ家に着いた頃かな)
天井まで続く大窓には、月光が差し込んでいる。
金色をしたレオナルドの瞳は、深い闇にも慣れ切っていた。ほんの小さな光さえあれば、灯りをつけずとも、探し物くらいは出来るのだ。
(エリゼオと腹の探り合いをして、随分と疲れているようだった)
背表紙に指を掛け、本を抜き出す。
レオナルドは、その書のページを適当に捲りながら、緩やかな瞬きをひとつ刻んだ。
(……俺の愛しい、フランチェスカ)
レオナルドの脳裏に浮かぶのは、エリゼオを前に真剣な顔をして、責務を果たそうとしていたフランチェスカのことである。
ロンバルディの屋敷を後にする際、用事があるのだと嘘をつき、彼女をひとりで帰してしまった。今頃はフランチェスカを溺愛する父親か、あの番犬が出迎えているだろう。
(君が少しでも安らげていることを、心から願う)
しかし、今からレオナルドが行おうとしている『この行動』は、フランチェスカの願いに背くものである。
それを自覚しながらも、レオナルドは一冊の本を閉じた。
「……ごめんな。フランチェスカ」
王立図書館の最奥にあるこの棟は、限られた人間しか立ち入ることは出来ない。
他に人間の気配がない空間で、レオナルドは笑う。そして手にしていた本を、天井へと高く放り投げた。
(さて)
右手に小さな火花が爆ぜる。
直後、そこから吹き上がった凄まじい炎が、レオナルドの放った本に襲い掛かった。
「………………」
スキルの火は、書物を焼き尽くすはずだったのだ。
(…………残念)
ぱたたっと小さな音を立て、赤い雫が床に散る。
レオナルドは小さく笑いながら、自らの右手を見下ろした。手のひらの中央は、出現した杭によって貫かれ、夥しい血を流している。
(やっぱり、この書架にある本は害せないか)
目当ての本はふわりと浮いて、ゆっくりと書棚に戻っていった。レオナルドが焼き払おうとした事実など、ここには存在しないかのように。
(ロンバルディの爺さんも、つくづく容赦が無いな)
この傷がフランチェスカに見付かる前に、カルロの治療を受ける必要がある。くちびるにも散った自らの血を、レオナルドはぺろりと舐め取った。
(書物に危害を与えるスキルを、ただ禁止するだけじゃない。……使用者への罰則が発生する、厳重な結界)
ここにある本は、決して破棄することは出来ない。
ましてや持ち出すことも、この部屋の何処かに隠すことも出来ないのだ。
「……フランチェスカがこの書架へ辿り着く前に、この本をどうにか、消し去りたいところだが……」
数時間前に聞いたエリゼオの声が、今もはっきりと思い出せる。
『あるいは、こんな手段もある。――スキルの使用禁止そのものを、お祖父さまに撤回いただく方法』
レオナルドは、小さな声で呟いた。
「……スキル使用者に撤回させる、ねえ?」
***
「ただいまー……」
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
日没後、ロンバルディ家の屋敷から帰宅したフランチェスカは、ぼんやりとした憂いを抱えていた。
(今日のレオナルド、なんだか考えごとしてた気がするのは、気の所為なのかな……)
外套と手袋をそれぞれ脱いで、出迎えてくれた使用人に渡してゆく。みんなにお礼を伝えながらも、胸中にあるのはレオナルドのことだ。
(もしも正解だとしたら、その内容を私に教えてくれないのは、私が原因の問題だからだ。……いつもいつも、レオナルドを困らせてる)
屋敷のエントランスで、フランチェスカは俯いた。
(……友達のときの私だったら、レオナルドに迷わず『どうしたの』って聞けた?)
彼の想いを聞いたあの夜から、時々自信が無くなってしまう。
(今だって、聞いてみればいいって分かってる。だけど)
「お嬢さま」
部屋に戻ろうとしたフランチェスカを、構成員がそっと呼び止めた。
「お疲れのところを申し訳ございません。このままお部屋に戻られる前に、衣裳部屋にお立ち寄りいただけませんか?」
「衣裳部屋?」
困り顔をした彼に首を傾げつつ、フランチェスカは頷いた。
「うん。分かった、すぐに行くね!」
「ありがとうございます。グラツィアーノも、お嬢さまのご帰宅を待ち侘びておりましたので」
「グラツィアーノが衣裳部屋……」
ますます首を傾げてしまうものの、フランチェスカは使用人と別れ、屋敷の二階にある衣裳部屋に向かう。
そして、目の前の光景に絶句した。
「う……っ」
それなりの広さを誇る衣装室には、ドレスを着せられたトルソーが立ち並んでいる。
花びらのように優雅なラインを描く純白のドレスや、人魚姫を連想させる水色のドレス。
袖が繊細なレースで編まれたドレスもあれば、王女さまのようにふわりと広がった裾に、きらきらした宝石を縫い付けたドレスもある。
日常使いの衣装というよりは、なにかとても特別な日、結婚式などに好まれそうなデザインばかりだ。
(どれもすっごく可愛いドレス。それは間違いないけど、だけど!!)
あまりにも、数が多すぎるのだ。
「よーやくお戻りですか、お嬢」
「グラツィアーノ……」
トルソーの森から現れたグラツィアーノが、何処となくげっそりした顔をしている。目の前に広がる光景を指して、フランチェスカは恐る恐る尋ねた。
「……ねえ。ここにある、大量のドレスって……」
「当主が手配した、聖夜の儀式用のドレスです」
「やっぱり、私の分……っ!!」
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