224 隣国からの
(ルキノが隣国の王子さまだっていうのは、あくまでユーザー側の想像だけど。エリゼオのお祖父さんがこんな風に接するなんて、とっても身分が高い人以外に考えられない)
ヴァレリオの前を通り過ぎ、階段を降り切ったルキノは、一学年上のエリゼオにも不遜な口調でこう告げる。
「エリゼオ。昨日話してた先行研究のこと、帰ったらあんたの意見も聞きたいんだけど」
「うん、もちろん。それまでに、論文をいくつか読み返しておくよ」
「ふん。そんなことするまでもなく、暗記している癖によく言う」
(エリゼオとは、仲が良いのかな……)
そんなことを考えていたフランチェスカの前で、ルキノが立ち止まって顔を顰める。
「…………邪魔」
「あ、ごめんなさい!」
慌てて謝ると、エリゼオが困ったように微笑んで、フランチェスカを自身の隣へ誘導してくれた。
「フランチェスカちゃん。こっちにおいで」
「えっと……ありがとうございます、エリゼオさん」
エリゼオの傍に避け、ルキノが玄関へと向かう道を開けようとした、そのときだ。
「…………っ、けほ……っ!」
「!」
咄嗟に口元を押さえたルキノが、苦しそうに大きく咳き込んだ。
「ルキノ君?」
「けほっ、げほっ……!」
ルキノはまなじりに涙を滲ませ、きつく背を丸める。
「っ、く…………!」
挙げ句の果てには、赤い絨毯の上にどさりと片膝をつくのだ。
(大変……!!)
フランチェスカがルキノに駆け寄ろうとした、直後のことだった。
「――大丈夫か?」
「!」
レオナルドが、ルキノの正面に立った上で、彼のことを見下ろして鮮やかに笑う。
(レオナルド……)
ルキノが隣国の王子であると、レオナルドも察しているはずだ。
それなのにレオナルドは、いつか相手の頭上に王冠が載ることなど知ったことではないという振る舞いで、悠然と目を眇めるのだった。
「立ち上がれないなら、俺が手を貸そう。ほら」
「……っ、いらないよ、別に……!」
ルキノは赤い瞳でレオナルドを睨み、その身を僅かに後ろへ退く。するとレオナルドはくすっと笑い、肩を竦めるのだ。
「これは失礼。女の子に道を開けさせるくらいだから、てっきり自分で立つことは難しいのかと」
「は……?」
「アルディーニ」
低く険しい声を放ったのは、厳格な足取りで歩いてきた当主ヴァレリオだ。
「当家の客人に、無礼な真似は許さんぞ」
「おっと、心外だな。苦しそうな少年に手を差し伸べるのは、寧ろ親切な振る舞いだと思うんだが」
「……減らず口を」
顔を顰めたヴァレリオが、ルキノに跪こうとする。
「ルキノ殿。お手を」
「いらないって言っただろ、自分で立てる!」
どうやら咳は止まったらしく、そのことについては安堵した。立ち上がったルキノは振り返ると、フランチェスカに言い捨てる。
「……もしもこいつが恋人なら、あんたの男の趣味って最悪」
「こ……っ!?」
思わぬ言葉を告げられて、フランチェスカは目を丸くした。
「ヴァレリオ。さっさと行こうよ」
「ええ。お待ちを」
ルキノはヴァレリオのことを待たず、大股歩きでさっさと行ってしまう。フランチェスカは彼らの後ろ姿を見送りつつ、冷や冷やしながら呟いた。
(さっきの咳、大丈夫なのかな。それに)
同じくらいに気になるのは、ロンバルディ家の当主である老人だ。
(エリゼオのお祖父さん、なんとなくだけど……)
「フランチェスカ」
いつの間にかフランチェスカの目の前に立ったレオナルドが、少し身を屈め、覗き込んでくる。
「よしよし、嫌な思いをしたな。大丈夫だったか?」
「大丈夫。恋人なんて言われてびっくりしたけど、嫌な思いはしてないよ」
「そうじゃなくて、あの暴言」
「暴言?」
「君に邪魔だと言い放つなんて、この世界を作った神ですら許されない冒涜だ」
「………………」
フランチェスカは、エリゼオに聞こえない程度の小さな声で、ひそひそとレオナルドに尋ねてみた。
「ね、ねえ、さっきのルキノの咳。まさかレオナルドが、何かお仕置きした訳じゃないよね?」
「………………ん?」
「レオナルド……!」
にこっと笑った婚約者は、まったく悪気のない顔をしている。
「駄目だよ、カタギの人に迷惑を掛けたら!! どうしよう、今から追い掛けて謝った方が……」
「……フランチェスカちゃん」
「え?」
そのとき、エリゼオから向けられていたまなざしに、フランチェスカは少々面食らった。
「フランチェスカちゃんは、他人に物怖じしないんだね」
思わぬ問いに、フランチェスカは首を傾げる。
「物怖じって、ルキノさんにですか?」
「ふふっ。面白いなあ」
「?」
エリゼオがくすくすと笑う様子は、可憐な少女が悪戯を企んでいるかのようだ。けれど、僅かに細められた双眸には、フランチェスカを探る光が宿っている。
「うちのお祖父さまを怖がらない子って、珍しいんだよ?」
(た、確かに!)
エリゼオの祖父であるヴァレリオから、凄まじい威厳を感じ取ったのは確かだ。
しかし、それよりもルキノの登場に驚きすぎて、それどころではなくなってしまった。
「ええと、ロンバルディのお屋敷に、同じ年代の男の子が居たことの方がびっくりで。あの人は一体?」
「ルキノ君は、隣国からやってきた留学生だよ。ヴェントリカントの公爵家のご嫡男で、当家の大切なお客さまだ」
(なるほど。隣国の要人だから、エリゼオのお祖父さんが丁重に扱ってもおかしくはないっていう筋書きかなあ)
「……なんてね」
エリゼオはフランチェスカを見据えると、柔らかな微笑みを浮かべて口にする。
「――――その程度のこと、君は何となく最初から、察していたように見えたけど?」
(…………っ)
何もかも見透かすようなエリゼオの指摘に、体が強張りそうになった。