222 探り合い
なにしろ、閉ざされた書架の鍵だって、いまのフランチェスカが手に入れなくてはならないものなのだ。
自身の秘密を探らなければ、レオナルドが隠していることには辿り着けない。それでも、レオナルドに隠し事をすることの罪悪感に、胸が苦しくなった。
『……私ひとりじゃ、エリゼオとの嘘の読み合いには勝てない。レオナルド、助けてくれる?』
『もちろん』
レオナルドは、いつものようにこう笑った。
『君のためなら、なんだってするよ』
(…………)
こうして今、エリゼオを前にしたフランチェスカは、そのときのことを思い出しながら謝罪をする。
(私は悪党だ。『賢者の書架』も私の目的なのに、そうじゃないふりをしてる)
ぎゅっと両手を握り込んで、エリゼオを見据えた。
(それでも、レオナルドをひとりで戦わせないためには、私だって戦わなきゃいけない。だから)
悪党らしく堂々と、大きな嘘を口にする。
「――王都を揺るがす『クレスターニ』の存在は、エリゼオさんもご存知ですよね?」
「ふふ。次期当主として、お祖父さまからもいくつかの命令をいただいているからね」
クレスターニについては、現状のところ極秘事項とされているものだ。
しかし、五大ファミリーそれぞれの当主と、ごく僅かな幹部たちは例外らしい。王都防衛のためという名目上、この機密が共有されている。
「クレスターニが次に狙うのは、ロンバルディ家が守る賢者の書架です。私は、その凶行を止めたいの」
「おかしなことを言うんだね。ただの図書館の一画に、国家を揺るがす悪者が欲しがるものなんて、一体何があったかな?」
「それは、もちろん」
フランチェスカは、当然のことのように断言する。
「この国の存続の鍵すら握る、重大な秘密を記した本です」
「――――……」
ほんの少しだけ、エリゼオの表情が変わったような気がした。
(やっぱり……)
エリゼオをじっと観察しながら、フランチェスカは思考を巡らせる。
(エリゼオがこのあいだ話してた、『ルカさまの切り札』っていう言葉。賢者の書架にある本に、その意味が分かる内容が載ってるんだ)
フランチェスカは実のところ、推測で口にしてみただけに過ぎない。
しかし、返ってきたこの反応によって、ある程度の真実が想像できた。
(……だけど)
フランチェスカが抱くのは、エリゼオを相手取るのとは別の緊張感だ。
なにせ、隣に立っている彼の方を見なくても、視線を向けられているのがよく分かる。
(――レオナルドが、私のことを観察してる)
その緊張感に、こくりと喉を鳴らしそうになった。
「………………エリゼオさん」
フランチェスカは本心を隠し、エリゼオへの『交渉』を続ける。
「私は、クレスターニの凶行を止めたいんです。賢者の書架がクレスターニのものになったら、きっと悪いことに使われてしまう」
「…………」
緩やかに目を眇めたエリゼオに対して、レオナルドが笑った。
「フランチェスカがロンバルディ家に協力する義理などないと、俺は反対したんだがな」
(……レオナルド)
「俺の可愛い婚約者は、それでも守りたいらしい。寛容にも、お前がフランチェスカに働いた無礼は、一切不問にするつもりのようだ」
レオナルドの選ぶ言葉たちは、フランチェスカがエリゼオよりも優位であるかのように組み立てられている。
「どうする? エリゼオ」
「………………」
微笑みを消したエリゼオのまなざしが、フランチェスカに注がれる。
(気圧されない。堂々と、嘘をつき通さなきゃ……)
フランチェスカが真っ向からエリゼオを見詰め返すと、やがてエリゼオはふっと息を吐き、再び柔和な笑みを浮かべる。
「……そうだね」
「!」
そうして彼は、再びエントランスホールを示すのだ。
「その話には興味があるな。是非とも中で、聞かせてくれる?」
「……ありがとう、ございます」
ひとまずは、第一の壁を突破した。
フランチェスカはレオナルドを見上げ、視線でお礼の気持ちを伝える。レオナルドもにこりと微笑むが、安心してはいられない。
(エリゼオが、これだけで信用してくれる訳がない。それに、嘘をつきながら協力体制が築けるほど、簡単な相手じゃないはず……)
その警戒を胸に、レオナルドにエスコートされながら、ロンバルディ家の屋敷に足を踏み入れた。
「ひとまずは、応接室で話をしようか。暖炉に火が入っていないから、暖まるまで少し待たせてしまうけれど」
「エリゼオ」
フランチェスカたちの前を歩くエリゼオに、レオナルドが軽い口調で告げる。
「どうせなら、久し振りにロンバルディ家ご自慢の図書室でもてなしてくれないか? フランチェスカに見せてやりたい」
「ああ、それはいい考えだね。さっきまで僕が居た第二図書室なら、部屋もまだ暖かいよ」
「あの部屋か。夏は暑くて悲惨だが、冬は日差しがよく入るよな」
「本が陽に焼けない硝子を使っている分、窓を大きく出来るから。レオナルドくんがうちに来たときは、よくあそこで本を読んでいたっけ」
「この屋敷の図書室は何処も、扉を閉めると完全防音になるからな。兄貴たちも悪巧みの作戦会議をするときは、しょっちゅうこの家に間借りしに来ていた」
(……小さな頃から、しっかり交流があるふたりなのに……)
彼らのやりとりを聞きながら、フランチェスカはしみじみと思う。
(親しそうな雰囲気も、友達っていう感じも全然無い。どっちもお腹の探り合いというか、読み合いを続けているような……)
そのとき、エントランスから階段で二階へ上がろうとしていたエリゼオが、ぴたりと足を止めた。
首を傾げたフランチェスカは、その視線を追って顔を上げる。
(――――あ)
見上げた先に立っていたのは、厳しい表情でこちらを見下ろす、老齢の男性だった。
紫色に白髪の混じったその髪は、整髪剤で後ろに撫で付けられており、上品ながらも厳格な印象を放っている。
そして事実、目元に深い皺の刻まれた顔付きは鋭く、強い眼光がフランチェスカを貫いているのだ。
老人は上等な仕立てのスーツに身を包み、ストライプのベストに身を包んでいる。引き結ばれた口元はいかにも頑固な様子だが、それ以上に洗練された知的な雰囲気を纏っていた。
「……お祖父さま」
(この人が、ロンバルディ家の現当主、ヴァレリオ・アウ・ロンバルディさん……)