219 思い出した
【第4部3章】
週末、二日連続で行われた期末テストの最終日に、フランチェスカは音楽室へと『避難』していた。
「はあ。あったかい……」
白く曇った窓の外は、こんこんと雪が降り続いている。
そんな中、暖炉で温まった音楽室の机に身を伏せて、フランチェスカはとろとろに溶けていた。
(冬にあったかい所にいると、なんだか眠くなっちゃうな。このまま居眠り出来たら、すっごく幸せなんだろうけど……)
もちろん、そういう訳にはいかないのである。
第一に、この音楽室を自分の縄張りとして使っている同級生は、フランチェスカの存在に迷惑そうだ。
「おいこら」
フランチェスカの座った席の傍には、椅子ではなく机に直接座ったダヴィードがいる。
ダヴィードはその膝に頬杖をつきながら、フランチェスカを見下ろして顔を顰めた。
「試験はとっくに終わってんぞ。さっさと帰れよ」
「いま、グラツィアーノが生徒指導の先生に怒られてるから、終わるまで待ってるのー……」
どうやらグラツィアーノは例によって、テスト中に眠ってしまったらしい。
昨日も一昨日も早く寝て、今朝も遅刻寸前の時間まで部屋から出てこなかったので、睡眠不足が問題だった訳ではないようだ。
グラツィアーノの姉代わりとして、弟分を置いて帰る選択肢は存在せず、こうして待っているのだった。
「風紀委員室にお邪魔しようとしたら、リカルドが試験の振り返り勉強会を開いてて。『答案が返ってくる前に自己採点を行って、自分の至らぬところを見詰め直す』っていう主旨みたいで、逃げてきちゃった」
「セラノーヴァの野郎、本当にクソ真面目だな……」
ダヴィードは、少々物言いたげな顔をして、こう切り出してくる。
「あー……なら、アルディーニはどうしたよ。今日は一緒に居ねえのか」
「?」
何故か複雑そうな様子に首を傾げつつ、フランチェスカは答えた。
「レオナルドは、お仕事の呼び出しがあったみたい。試験が終わったら、すぐに帰っちゃった」
レオナルドは、フランチェスカのような『普通の』学生よりもずっと多忙だ。
アルディーニの当主である彼は、本来ならフランチェスカの父やソフィアのように、当主としての仕事だけで一日が埋まってしまう。
ゲームのレオナルドは『黒幕』ということもあるだろうが、学院に籍を置きながら、メインストーリー上では一度も登校してこない。
それなのにこの世界のレオナルドは、恐らくはフランチェスカに会うためだけに、こうして学業に時間を割いてくれているのだった。
(レオナルドは、私に全部をくれようとしてる)
すべては、フランチェスカのためなのだ。
(分かってる。それなのに)
二日前、エリゼオと対峙したときのレオナルドの振る舞いに感じたことを思い出して、息を吐く。
(レオナルドが、私に何か隠し事をしていることだって、同じくらい分かっちゃうんだ。私のためなのは間違いない、だけど)
ひんやりした机に頬を押し付けて、目を伏せた。
(だからこそ、レオナルドはその『何か』のために、どんな手段も選ばないはずなのが怖い)
その中には、レオナルド自身を傷付けるような選択だって、含まれているのではないだろうか。
「……そんなこと、させたくないのにな」
「おい」
「ひょっとして」
フランチェスカは、はっとして顔を上げる。
「私、ダヴィードのことも困らせてた?」
「ああ?」
「そっか……! そもそも私がここにいたら、ダヴィードが帰りたくても帰れないよね!? 迷惑かけちゃってごめ――……」
「……ばーか」
「!」
口悪く紡がれたその言葉は、何処か穏やかなものだった。
「だったらお前が凍えてようが、最初からこの部屋に入れてねえよ」
思わぬ答えに、フランチェスカはきょとんと瞬きをする。
「ダヴィード……」
「は。その顔」
ダヴィードは、彼には珍しい微笑みを僅かに浮かべて、フランチェスカを揶揄うように言う。
「絵に描いたら、まあまあの傑作が出来そうだな」
「ど、どういう意味!?」
「知らね」
驚いていたフランチェスカの顔が、そんなに可笑しなものだっただろうか。
フランチェスカは慌てて自分の頬を押さえる。ダヴィードは、最早興味がなさそうに立ち上がると、火かき棒で暖炉の薪を掻き混ぜた。
「――あいつ、お前の傍に居ない日もあるんだな」
「レオナルドのこと?」
ダヴィードは何故か無言のままだが、どうやら正解のようだ。
(当主のお仕事があるんだから、こんなの珍しくないんだけど……)
なんとなく気に掛かるのは、聖夜の儀式の準備が迫っているからではない。
(クレスターニのことで、動いてるのかな)
一方でフランチェスカにだって、レオナルドに秘密で調べたいことは存在するのだ。だが、ふるふるとそれを打ち消した。
(いまは、賢者の書架で転生の秘密を探るよりも、クレスターニへの対処が最優先だよね。それと……)
フランチェスカは、こちらに背中を向けているダヴィードに尋ねてみる。
「ダヴィード、体は平気?」
「……ああ」
どういった意味を込めた質問なのかは、すぐに分かってくれたようだ。
「よかった。手伝えることがあったら、なんでも言ってね!」
「…………」
ダヴィードは薪を手に取って、それを暖炉の中に焚べる。
「なあ」
「ん?」
「クレスターニの野郎と接していたときの記憶は、ほとんどが消されて残ってねえって話したよな」
火かき棒を壁に立て掛けて、ダヴィードがこちらを振り返った。
「あの医者の治療を受けていく中で、新しく思い出したことがある」
「え……」
思わぬ事実に、フランチェスカは目を丸くした。
「それって、ルカさまには……」
「言ってねえよ。他の誰にもな」
ダヴィードは、彼の姉と同じ緑色の瞳で、フランチェスカを見据えて言う。
「俺からこのことを話すのは、お前にだけだ」
「私……?」
フランチェスカが戸惑うと、ダヴィードは浅い溜め息をついた。
「国に黙ってるのが得策じゃねえのは分かってる。だが、言う相手を選ぶべきだと判断したんでな」
「……話すことで、誰かに危険が及ぶこと?」
「それもある。だが、何よりも……」
ダヴィードは逡巡を見せたあとに、とある言葉を口にした。
「『――――――……』」
「え」
思わぬ情報に、フランチェスカは目を丸くする。