218 渡さない(第4部2章・完)
「さて。エリゼオ」
レオナルドがフランチェスカを抱き止める、その触れ方はとても優しいものだ。
それなのに彼の双眸は、底知れない秘密を湛えたような、手の届かない月の色をしている。
「フランチェスカからの『おねだり』は、もう聞いたか?」
「……ああ。それについて、もう少し交渉したいと思っていたんだ」
エリゼオが、小首を傾げるようにして両手を広げる。
「僕にもほんの少しだけ、フランチェスカちゃんを貸してくれないかな?」
「いつのまにか、冗談を言うのが随分と下手になったんだな。その程度じゃ、何処かの唐変木な医者と良い勝負だ」
「レオナルド君の人を見る目は、いつだって正しいね。この国で、未来予知のスキルに背く人間なんて、これ以上現れないと思っていたのに」
「残念だが、フランチェスカは誰にも渡さない」
レオナルドは笑い、フランチェスカの腰を抱いているのとは別の手で、赤い髪をそうっと掬う。
「分かったら、彼女のことはもう諦めろ」
「れ、レオナルド?」
レオナルドは目を細め、フランチェスカの髪に口付ける。
「……この子は俺の、愛おしい光だ」
「…………っ!?」
エリゼオに向けた挑発に、フランチェスカは思わず息を呑んだ。
「レオナルド! いま、そんな話、してないよね!?」
「しているよ。エリゼオが俺から君を奪いたがっているから、その牽制」
「ぜ、絶対違う!!」
「ふふ。……仲良しで微笑ましいけれど、心配だな」
エリゼオは小さく微笑んで、言葉を紡いだ。
「そんなに露骨に大事にして、平気なの?」
(!)
橙色の双眸に宿る光は、獲物を陥れようとするときの悪党そのものだ。
「フランチェスカちゃんがレオナルド君の弱味になる。その事実を、世界中に知らしめるようなものなのに」
「面白いな。まさか、助言のつもりか?」
それでもレオナルドはその脅迫を、一切意に介することはない。
「言っただろ」
腕の中に抱き寄せたフランチェスカを撫でながら、やさしく微笑む。
「フランチェスカへ害をなす人間なんか、この世界に存在する必要がない」
「レオナルド……」
レオナルドは、続いてフランチェスカをぎゅっと抱き込む。
「わっ!」
「だから……」
顔を上げることが出来なかったのは、レオナルドの腕の中に閉じ込められてしまった、その所為だけではない。
「――お前をこの場で殺してしまっても、俺は何ひとつ、構わない」
「…………っ」
エリゼオが、僅かに息を呑んだ気配がした。
(……レオナルドが、こんなに露骨な殺気を出すなんて……!)
フランチェスカも思わず硬直して、レオナルドの外套をきゅっと握る。
それに気が付いたのか、レオナルドはフランチェスカの背中をとんとんと撫でながら、少しだけ険を和らげて続けた。
「……ん。大丈夫、怖くないよ、俺の可愛いフランチェスカ」
(それはもちろん、分かってるけど……!)
本能的な反射というものは、どうしようもないのだ。
たとえ転んでも安全な場所にいたところで、突き飛ばされたときは自然と受け身を取ってしまうように、フランチェスカの全身が危険を感じている。
「ロンバルディ家の書架には、格の違いについて説明された本が一冊も無いのか? エリゼオ」
「レオナルド、もう離しても平気だから……!」
そう言って身じろぐフランチェスカを大切そうに抱き締めながら、レオナルドは笑った。
「当主の方が、次期当主よりも立場が上だ」
当たり前の常識を口にしたのは、知勇を心情とするロンバルディ家への皮肉だろうか。
「聖夜の儀式も、花嫁役であるフランチェスカも、お前が俺から奪うことは出来ない」
レオナルドのそれは、警告であることがはっきり分かる、明確な牽制を帯びていた。
「…………そう」
エリゼオが、ぽつりと小さな声で呟く。
「それじゃあ今日は、帰ろうかな。お祖父さまからも、滞在中のお客さまとは揃って夕食を取るように言われているし」
(お客さま……? そんなの、ゲームには居なかったけれど……)
例外の存在が気になるものの、尋ねられるような雰囲気ではない。
レオナルドに腕を離してもらい、フランチェスカはエリゼオを見遣る。
「エリゼオさん。さっき、私がお願いしたこと」
「うん。そうだね、約束するよ」
にこりと淡い笑みを浮かべて、エリゼオは言った。
「これからは未来予知を、君を試すことに使ったりはしないって。スキルにも、それなりに制限もあることだし……」
(……エリゼオの未来予知スキルで分かるのは、未強化だと一時間以内のことまで。もちろん他のスキルと同じように、一度使ったらしばらくは使えない)
予知も万能のスキルではなく、活用の範囲は限られている。フランチェスカのために使うよりも、人助けなどに使った方が有意義だと、これで少しは思い直してもらえだろうか。
「行こう。フランチェスカ」
「うん……」
レオナルドに手を引かれて、フランチェスカは頷いた。
そして最後に一度だけ、エリゼオの方を振り返る。
「ばいばい。フランチェスカちゃん」
「……さよなら」
冬の空を背にしたエリゼオは、フランチェスカに微笑んで、優雅にその手を振るのだった。
(分かってる。このままエリゼオと関わることを避けるなんて、きっと無理だってこと……それなら)
***
大聖堂の中央には、ひとりの男性が立っていた。
腰まである彼の長い髪は、光の角度によって見え方が変わる。淡い紫のようでもあれば、青のようにも、桜色のようにも見える髪色だ。
そのかんばせは、まるで彫刻で表現された女神のように美しい。
神聖な司教の服に身を包み、一冊の教本を手にした男性は、聖堂の遥か頭上にある天井画を見上げて呟いた。
「――――陛下」
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第4部3章へ続く