208 予想できない
【第4部2章】
灰色をした冬空の下、赤い薔薇色をしたフランチェスカの髪とマフラーが、強い風によって靡いていた。
「……フランチェスカちゃんは、とても婚約者想いなんだね」
微笑みを湛えたエリゼオは、淡い紫の横髪を、男性としては華奢な指で耳に掛ける。
「家の利ばかり考えて、自分本位な交渉を持ち掛けてしまった自分が恥ずかしいな。どうか、お詫びをさせてほしい」
「いいえ! どうか、お気になさらず」
フランチェスカもにこりと笑い、まったく気にしていないということを態度で示した。
「ふふ、君は本当に優しいな。……レオナルド君が、君に無断でこんな話を進めていたと知ったのに、怒らないようだし」
エリゼオは、あくまで穏やかな声で続ける。
しかし、こちらに向けられた橙色の瞳は、獲物が罠に掛かるのを待っているかのような雰囲気を帯びていた。
「聖夜の儀式で花嫁役を務めることで、『アルディーニ当主の婚約者』である君の顔が、大司教を始めとした儀式関係者に知られてしまうというのに」
(……これは、脅しだ)
表面上は心配するふりを続けながら、相手の不安を煽っている。
裏社会の人間が、表立って危害を加えられない人などを相手に使う、常套手段とも言えるだろう。
(偉い人たちに『レオナルドの婚約者』として知られるほど、私は裏社会の人間としてしか生きられなくなっていく。私がそれを避けたがっていること、エリゼオは分かってるよね)
確かに少し前までのフランチェスカなら、聖夜の儀式などという公の場に出ることは、全力で回避しようとしたはずだ。
(だけど、いつもは私を尊重してくれるレオナルドが、それに背いてでも聖夜の儀式を利用しようとしている。レオナルドとなら大丈夫だって、私が信じなくてどうするの)
微笑みを作ったままのフランチェスカは、エリゼオに向けてはっきりと言葉を返した。
「心配してくれてありがとうございます。だけど、レオナルドとちゃんと話すから、それについても気にしていません」
「…………」
そこで、エリゼオの表情が変わった。
「フランチェスカちゃんがそう言うなら、僕も安心だ」
微笑みを浮かべているのは同じであるものの、そこに温度は感じない。
薄い仮面を貼り付けたかのような、そんな顔だ。
「妙な相談をしてしまったね。この後も風が強いようだから、気を付けて帰って」
エリゼオは作戦を切り替えるらしい。
どうするつもりなのかは気になるものの、ひとまず今のフランチェスカには、やるべきことがあった。
「助けていただいて、本当にありがとうございました。それじゃあ、私はこれで!」
「うん。さよなら」
深々と頭を下げたあと、フランチェスカはぱっと駆け出した。
「……この子も結局、予想の範囲を超えない程度の存在か……」
エリゼオの呟いた言葉は、強風に掻き消されて届かない。
そんなことよりもフランチェスカは、とある場所に走ってゆく。
「……フランチェスカちゃん?」
向かったのは、馬車の迎えが来ている校門の方ではない。
フランチェスカは、先ほど風で飛んできた太枝の所に向かうと、躊躇せずにむんずとそれを掴んだ。
(うわあ、すごく重い枝!)
「…………え」
後ろの方で、エリゼオの声が聞こえた気がする。
だが、振り返ることはしなかった。フランチェスカは、棘などが手に刺さらないように気を付けながら、自分の身長よりも長い木の枝をずるずると引っ張る。
(こんなのが体に当たってたら、間違いなく怪我してたなあ。そうしたらパパやレオナルドの命令で、明日には学校中の樹が伐採されてたかも……!)
「…………」
恐ろしい想像に身を震わせる。フランチェスカには怪我よりも、そちらの方が一大事だ。
(エリゼオが助けてくれて、本当に良かっ……)
「――君、何してるの?」
「?」
後ろから急に尋ねられ、振り返る。
そこには、もう立ち去るかと思われたエリゼオが、きょとんとした顔で残っているのだ。
「木の枝! こんな所に転がってたら、また誰かが危ない目に遭うかもしれないでしょう?」
「それは、そうだけれど」
「用務員さんの所に持って行けば、暖炉に火を起こすときの焚き付けに使ってもらえるし、良いことだらけですから!」
つい先日も、彼らが落ち葉を集めて焚き火をしているところを見掛けた。
老齢の彼らが火を囲み、休憩をしながら語らっていた様子は、フランチェスカにとって前世の祖父を思い出させる。
「こういう焚き付けになる材料って、わざわざ学院の予算で購入してもらうほどでもないから、調達にちょっとした手間が掛かるって話してたんです……よいしょ、っと!」
フランチェスカは気合を入れて、枝の端を肩に掛ける。
つくづく重いが、こうして上手く背負えれば、用務員室までどうにか運べそうだ。
「それに、証拠隠滅しておかないと」
「しょうこいんめつ」
「私のパパやレオナルドが、学院中の樹を狩り尽くすまではやらないとしても、どの樹から折れた枝かくらいは調べそうなので……」
どう考えても、確実に、その樹はきっと無事では済まない。
「木材を隠すなら薪の中。その上いずれ燃やしてもらえるなら、これを利用しない手はありません」
「…………」
フランチェスカは、炎という自然の力の偉大さを噛み締めた。
「それじゃ! 今度こそさようなら、エリゼオさ……」
「待って」
「え?」
足を止めると、エリゼオは少し困ったような顔をする。
「……これは、予想外だったかもな……」
「?」
フランチェスカが首を傾げると、エリゼオはすぐにもう一度、先ほどまでと同じ微笑みを作った。
「……その枝は、生徒会執行部の人間に運ばせておくよ。雪もうっすらと積もっているのだし、女の子の力では危ないから」
「大丈夫ですよ? それに用務員さん、お礼にって焼いたお芋くれるし……」
「………………なるほど。これが初めてではないんだね」
エリゼオは一度俯いて、それから再び顔を上げた。
「さっきの君の言葉も、生徒会長として気掛かりだ。確かに僕たち貴族の視点からでは、使用人たちが火を起こすために使うささやかな必需品にまで、気が回っていなかったかもしれない」
エリゼオはそう言って、フランチェスカが肩に掛けた大きな枝を受け取り、下ろしてくれる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。お願いしても良いですか?」
「うん。任せて」
「ありがとうございます!」
こうなればエリゼオの言う通り、用務員たちの要望を聞いて、叶えてくれる力がある人に任せた方がいい。
フランチェスカはそう判断し、今度こそ校門へと向かうことにした。
「それでは、今度こそ本当の本当に、さようなら!」
「……またね」
馬車へと駆け出したフランチェスカには、エリゼオが小さく呟いた声は聞こえない。
「もしかして、やっぱりちょっと、変な子なのかな」
もちろん、それに続いた言葉もだ。
「国王陛下の切り札。……レオナルド君の、婚約者……」
***
「レオ、ナル、ドー……っ!!」
「ははっ!」
翌日、学院の空き教室でお弁当を広げたフランチェスカは、上機嫌な婚約者の前で頬を膨らませた。
「こうして手作りのサンドイッチを食べられる上、君のそんな可愛い顔まで見られるなんて、午後からでも登校してきた甲斐があった」
「可愛くないよ、聞いたの! 聖夜の儀式、レオナルドがやるって名乗りを上げたことも……」
レオナルドに作ってきたサンドイッチを渡しながら、金色の瞳を覗き込む。
「最終的に、本当にレオナルドに決まっちゃったことも!」
「そう。そして儀式の花嫁役は、俺の可愛い婚約者だ」