203 賢者の書架
(ゲームにはこんな会議への言及はなかったから、シナリオの内容には関係がない会議なのかも。なにはともあれ、『無関係』な私が詳しく聞く訳にはいかない)
フランチェスカは踊り場で立ち止まり、時間を割いてくれたリカルドに手を振った。
「行ってらっしゃい。レオナルドに、明日は学院で会おうねって伝えてほしいな」
「……ああ。ではな」
リカルドは頷き、先に階段を降りてゆく。
フランチェスカはその背中を見送ってから、冬の冷たい空気を大きく吸い込み、吐き出した。
(今日はグラツィアーノも、パパの同行で当主会議に行ってる。……あの件について、調べたいな)
革鞄の持ち手をぎゅうっと握り込み、踊り場の窓から外を眺める。ごく淡く雪の積もった校庭では、運動部の生徒たちが部活に励んでいた。
(一ヶ月前、レオナルドが私に『本心』を教えてくれた理由。本音を隠したら子供の姿になっちゃうことも、そのひとつだったはずだけど……)
魔灯夜祭の後夜祭で、口付けをされたときのことを思い出す。
あのときフランチェスカの左胸は、確かな痛みを覚えていた。けれどもそれは、レオナルドが友達ではなくなったこと、その悲しみによるものとも言えないのだ。
(私よりも、レオナルドの方がずっと苦しそうだった。――それでも私にキスをしたのは、絶対に私のため)
フランチェスカは、鞄の持ち手を握り直し、階段を再び下り始める。
(レオナルドには、目的があるはず。きっと私を守るために、レオナルドの婚約者だっていう自覚を持たせたかったとか……いつかみたいに、私がレオナルドのことを、好きになる必要があったとか)
なにも情報がない中で、その答えを導き出すのは難しい。
(この世界にはたくさんの『スキル』や、それを生み出す不思議な力が存在してる。……私にキスをすること、そのものが、私を守る手段だった可能性もあるよね)
やはりどうしても気に掛かるのは、レオナルドに、そうしなくてはフランチェスカを失ってしまうかのような切実さがあったことだ。
(この世界にある不思議なものは、他にもある。――たとえば、私自身)
それが、この一ヶ月ずっと考えてきたフランチェスカの、ひとつの結論なのだった。
(記憶を取り戻したあの日から、これが目の前の現実として、受け入れるしかなかったけど……『前世で遊んでいたゲームの中に転生した』なんて、考えるほどに分からなくなるもの)
作り物である『物語』が実在し、その中に自分が生きているのだ。
(どうして私が転生したのか。その転生先が、主人公である『フランチェスカ』な理由……この世界で、私の存在がどれくらい確かなものなのかだって、実際は分からない)
ひょっとしたらレオナルドの恐れとは、そんな部分に関わるのではないだろうか。
(――レオナルドが、本心を話すって約束してくれたのは、私が転生したことを話した後だった)
校舎を出ると、びゅうっと冷たい木枯らしが吹き抜ける。
今日は風が強い。赤いマフラーをせっせと巻き直すが、その端がすぐに乱れてしまうほどだ。
(『転生者』に関すること……そんなのが、この世界で調べられるかどうかは分からないけれど)
はあっと白い息を吐き出して、フランチェスカは灰色の空を見上げた。
(あるとしたら、ロンバルディ家が管理する、王立図書館の『賢者の書架』)
五大ファミリーのひとつであるロンバルディ家は、『知勇』を信条とする一族だ。
彼らは膨大な知識と明晰な頭脳を持ち、更にはとても勇敢で、知によって未来を切り開くことを恐れない。老齢の当主は厳格な性格で、ゲームでも非常に恐ろしい人物として描かれていた。
(賢者の書架は、王立図書館の最奥にある、立ち入り禁止の一角なんだよね。王室から許可が出た優秀な学者や、ロンバルディ家の出す試験に合格した人しか入れない)
もちろん、フランチェスカにその資格はない。その試験に合格することだって、現実的ではないだろう。
(確か、レオナルドは資格があるはず。だけど、レオナルドが隠してることを調べるためなんだから、お願いできる訳もないし……)
そんなことを考えながらも、あまりの風の強さに身を震わせる。
「さ、さむい……」
校門の前には迎えの馬車が来てくれているはずだが、そこまで耐えられそうになかった。
(マフラーの巻き方、変えたほうが良いかな……!? あそこの木を風除けにして……)
フランチェスカが校舎横の植木まで移動しようとした、そのときだ。
「――だめ」
「!!」
後ろから、ふわっと誰かに抱き寄せられた。
「そっちは危ないよ」
まるで恋人にするかのような、そんな触れ方だ。
その声がフランチェスカの耳元で紡がれたことからも、後ろに居るのが背の高い男子だと分かる。
フランチェスカへこんな風に触れてくる人物は、ただひとりしか存在しないはずだ。
けれど、その声からも明白だった。
(――レオナルドじゃ、ない)
振り返ったフランチェスカの視界に映ったのは、美しく淡い紫色の髪だ。
さらさらとした髪を首筋まで伸ばし、その横髪を耳に掛けた青年が、抱き締めたままのフランチェスカを見下ろして微笑んだ。
その柔らかな表情や、何処か儚い透明感を帯びた雰囲気は、童話で語られる王子さまをも思わせる。一方で、その耳に複数つけられたピアスが、彼を柔和なだけな印象には留めないでいた。
そして、橙色をした双眸には、何処か油断ならない光が宿っているのだ。
「さあ。――良い子だから、こっちにおいで」
(ロンバルディ家の次期当主、エリゼオ……!)
フランチェスカが認識した、その直後だった。
「!!」
凄まじい突風と共に、折れた太い枝が吹き飛ばされ、フランチェスカが向かおうとした木の下へ叩き付けられたのだ。
(あのまま、木の下に入ってたら)
「……ね?」
フランチェスカを間近に覗き込み、エリゼオは甘い笑顔で笑った。
「君を守れて本当によかった。……カルヴィーノ家の愛娘、フランチェスカちゃん」
(これが、エリゼオの持っているスキルのひとつ、『未来予知』の力)