190 美しき本物
眩い光の輪が生まれ、水面に落ちた波紋のように伝わる。
それが展示室の壁を抜け、さらに大きく広がった直後、どさりと倒れる音がした。
見ればそこには、先ほどまで異形の姿をしていた男性が、眠るような姿で倒れている。
(っ、外の様子は……!?)
ショーケースの後ろにあるステンドグラスの窓に、フランチェスカは駆け寄った。おでこをくっつけ、一部分だけ存在する透明な部分から、美術館の外の景色を見下ろす。
そこから垣間見える夜の王都には、やはり何人もの人々が、『人間』の姿で倒れていた。
「……よかった。みんな、元に戻れたみたい……」
みんな意識がなく、気を失っている様子だが、怪我や命に別状などは無いようでほっとする。
フランチェスカは窓から離れ、ショーケースの前に座り込んだダヴィードの傍に、両膝をついて座った。
「スキルを使ってくれてありがとう。ダヴィード」
「……なんで、礼なんか言うんだよ」
自身の手のひらを見下ろして、ダヴィードは呟く。
「俺のしてきたことは醜い。取り返しもつかない、もう二度と」
「違う。ダヴィードはクレスターニに洗脳されて、無理やり手を汚させられただけでしょう?」
「……は……」
フランチェスカの言葉を、ダヴィードは自嘲めいた笑みで否定した。
「俺の意思だ。俺がクレスターニに望んで、俺自身を差し出した」
(……だけどそれは、ソフィアさんを守るために……)
そのことをフランチェスカが口に出すのは、領分が違うと分かっている。
「第一に、ミストレアルの輝石が失われたことに変わりはない。聖夜の儀式にも使用する重要な石を、俺が偽物にすり替えて、クレスターニに献上した……その事実は、この国を決定的な危機に追い込む」
「…………」
フランチェスカは眉根を寄せて、目の前のショーケースに据えられた王冠を見遣った。
大きなステンドグラスの窓を背にしたショーケースには、『偽物』の輝石が嵌め込まれた王冠が、変わらない様子で輝いている。
(ダヴィードの言う通り。ミストレアルの輝石は同盟国の絆の象徴で、五十年ごとに各国の地を清める重要な石だ。それを守れなかったこの国は……)
満月から欠け始めて数日目の月は、未だ強い月光を降らせている。
その光に照らされた輝石の偽物は、なんだかとても美しい気がした。
(だけど)
あまりの美しさを不思議に思い、フランチェスカは瞬きをする。
(……ミストレアルの輝石は、お披露目の会場に持ち込まれた段階で、一度真贋の鑑定が行われたはず。そのとき間違いなく本物だった輝石が、一体いつ偽物にすり替わって、持ち出されたの?)
あの夜ショーケースの傍には、弟の異変を察知したソフィアがついていた。
それでも輝石が盗まれた理由は、恐らくダヴィードのスキルによるものなのは間違いだろう。だが、それだけでは説明しきれない部分もある。
(偽物にすり替える方法だけじゃなく、本物が何処に行ったのかも考えなくちゃいけない。……その行き先は、もしかして)
フランチェスカはゆっくりと、ダヴィードに尋ねた。
「ねえ聞かせて。ダヴィードは今まで、自分の意思でスキルを使ったことが、一度でもある?」
「……ある訳ねえだろ。あんな醜い力、誰が……」
「それじゃあ自分のスキルがどんなものか、ダヴィード自身も詳しくは分からないんだね」
スキルが強制覚醒した後に、スキル鑑定で内容だけ伝えられたのだろう。だが、恐らくそれでは不十分だったのだ。
「ダヴィード。あの王冠に嵌められたミストレアルの輝石を、よく見てほしい」
「……偽物に興味はない。あんなもの……」
「いいから、お願い!」
「!」
フランチェスカはダヴィードの手を取って、必死にショーケースの方を示した。
「そんなことよりも、お前のその傷……」
先ほどガラスで切ってしまった手の甲から、たくさんの血が流れていたのは分かっている。ダヴィードに息を呑ませてしまったが、今それに構う余裕はなかった。
「ダヴィードの持っている『本物』の審美眼なら、きっと私の想像を証明してくれる」
「なにを……」
「ミストレアルの輝石を、よく見て……!」
ダヴィードの目が、僅かに見開かれる。
(ダヴィードの本来のスキル、そのひとつは『真実を暴く』もの。敵の強化を解除して無効にしたり、今回みたいに異形に変えられちゃった人たちを、元の姿に戻したりするだけじゃない……)
ステンドグラスから透けた月光が、王冠に嵌まったミストレアルの輝石を淡く光らせている。
その姿に美しさを感じるのは、フランチェスカだけではないはずだ。
「……これは」
ダヴィードの喉仏がこくりと動き、静かな声を絞り出した。
「……本物の、ミストレアルの輝石……?」
「やっぱり……!」
彼の目には見えているのであろう『真実』に、フランチェスカは息を吐く。
「嘘だろ……。鑑定は何度も行なって、その度に偽物だと結果が出ていたはずだ。それなのに、一体どうして、今更ここに本物が」
「ダヴィードの『歪んだ』スキルのひとつは、本物そっくりな偽物を作るスキルだったってソフィアさんに聞いたの。だけどそれは概要で、スキルの全てじゃなかったんじゃないかな……」
なにしろダヴィードは一度も自分の意思で、そのスキルを使っていないのだ。それではきっと、どうなるかの仔細は分からないだろう。
「本物そっくりな偽物って、つまり本物を少しだけ変化させて、本物ではなくなった『偽物』のことなのかも。本物の輝石はずっと、ここにあった……」
「……は……」
すり替えられていたことは確かだった。しかし、盗まれてはいなかったということなのだ。
その事実を前にしたダヴィードの瞳が、信じられないとでも言いたげに揺れた。そんな彼に向けて、フランチェスカは言葉を続ける。
「ラニエーリ家は、ミストレアルの輝石を誰にも持ち出されていない。お披露目の翌日からずっと、この美術館に本物を展示し続けている……だから、大丈夫」
「……」
右手で握っていたダヴィードの手を、両手でぎゅっと包み込んだ。
「ダヴィードの手。さっきから、私の血で汚しちゃってるね」
「……んなこと、どうでもいい……」
「よくないよ。ごめんね、ダヴィード」
綺麗な手を赤く染めてしまったことを、心から謝罪する。
「だけど……」
手を離すことは出来なかった。
ダヴィードの手が小さく震えているのは、泣き出しそうなのを堪えているからだと分かっていたからだ。
「偽物なんかじゃないよ」
そのことをどうしても伝えたくて、フランチェスカはダヴィードを見詰める。
「ダヴィードが沢山のものを守りたかった気持ちは、本物だって断言する」
「…………っ!」
月の光に照らされるミストレアルの輝石は、本当にとても綺麗だった。




