181 守りたいもの(第3部5章・完)
銃声が鳴り、シャンデリアが砕け、天井が粉々になって降り注いだ。硝煙の臭いと埃が舞う中、ソフィアが金切り声のような叫びを上げる。
「あはははははっ!! どうしたんだいアルディーニ、守らなきゃ! 可愛い婚約者さんが怪我しちゃうよ!?」
「――――……」
「そらっ、危ない……!」
引き攣った笑みを浮かべたソフィアが、フランチェスカへと真っ直ぐに銃口を向ける。すぐさまレオナルドが手を翳し、スキルを放った。
「く……!」
壁から現れた無数の蔦が、ソフィアの腕に絡みつく。
ぎちぎちと軋む音を立てて、銃を持つ手を拘束したのだ。恐らく痛みがあるはずだが、ソフィアはそれを顔には出さない。
「ソフィアさん」
フランチェスカは慎重に言葉を選びながら、ソフィアに対峙する。
「この王都で事件を起こす『クレスターニ』の存在を、ソフィアさんもご存知ですよね? クレスターニは、この国を揺るがすような大騒動を、第三者を洗脳することよって引き起こす――……」
「……」
先ほど銃を振り翳し、高らかな笑い声を上げていたソフィアは、普段の潔く堂々した彼女からは程遠い。
まるで、何者かに洗脳されていたかのようにだ。
「それがなんだい」
「輝石がこの国に到着したときと、会場に運び込まれたとき。それから展示が始まる前のタイミングで、輝石の鑑定が行なわれているはずです」
フランチェスカは、傍らのレオナルドを振り返る。
「あの地震以前から偽物にすり替わっていたなら、輝石の展示が始まるまでに分かっている。そうでしょ? レオナルド」
「ああ。偽物だと発覚した後、それを承知の上で展示していた可能性もあるが――それなら地震の後に、わざわざ輝石の鑑定をしたり、偽物だと分かって動揺することはない」
レオナルドの言う通りだ。頷いて、再びソフィアへと視線を戻した。
「挙句にソフィアさんは、すり替えが発覚したあとに隠し通すのではなく、すぐさま応援を要請しました」
「……何かのスキルで、私たちの会話を聞いてたって訳かい」
「あのお披露目の夜、ソフィアさんはミストレアルの輝石の傍で、片時も離れずに守っていましたよね?」
「そんなもの! 当然だろう?」
ソフィアが蔦を掻き毟るように引き剥がしても、すぐさま再び絡み付く。やがては両腕ともが戒められて、ソフィアの身動きを完全に封じた。
「輝石の守護は、陛下から賜ったご命令だ。あの石に万が一のことがあれば、下手したら戦争沙汰……どんな覚悟をしてでもと、守る姿勢を見せるのが当然だろう!?」
「分かっています」
激昂してみせるソフィアを前に、フランチェスカはなるべく淡々と告げる。
「ソフィアさんが、ミストレアルの輝石を本当に守りたかったこと。だからこそ、ずっと傍に居たこと……」
「……っ」
「それでも輝石は偽物にすり替えられて、姿を消しました。それは……」
「っ、は」
がくりと項垂れたソフィアが、静かに体を震わせ始めた。
「ははっ、はははは、あははははははは!!」
「……ソフィアさん」
「そうかい。……あんたたちには全部、お見通しなんだねえ……?」
赤く塗られたくちびるが、横たわった三日月のような形を描く。
「私がおかしくなっちまったこと。『あのお方』に、あの美しい宝を献上しなければならなかったこと……!! あのお方に応えるためならば、実の弟すらも差し出す!! そうさ、私が……」
「――レオナルドが」
フランチェスカの言葉に、ソフィアが少しだけ眉根を寄せた。
「ここ最近ずっと。外に出掛けた私のことを、いつも迎えに来てくれたんです」
そんな切り出し方になってしまったのは、フランチェスカの中にも躊躇いがあるからだ。
けれどもそれを悟られてはいけない。悪党の交渉ごとは、見栄とはったりが何よりも大事だと教わった。
「レオナルド自身にも、なるべく姿を隠した方が良い事情があったのに。危険がある状況で、必ず私を迎えに来てくれました」
「……はは、惚気かい? さすが愛されるお嬢さんは、婚約者にも大事にされていることで……」
「だけど、それは必ず」
幼い姿のレオナルドが、フランチェスカを待っていてくれた姿を思い出す。
「私が『とある人物』に会っていた、その後でした」
「……?」
ソフィアが僅かに、その目を眇めた。
フランチェスカはこの屋敷を訪れる前、レオナルドとイチョウに染まった金色の道を歩きながら、こんな会話を交わしたのだ。
『レオナルドは昨日までずっと、大人の姿に戻ろうとしなかったよね。それからあのとき、わざと精神まで子供になったみたいに振る舞ったのも、全部「あの人」を油断させるため?』
『…………』
レオナルドはあのとき、静かに笑った。
「ソフィアさん。あなたにはミストレアルの輝石よりも、もっと大切なものがある」
「……うるさい」
「だからこそ、敢えてそんな風に……」
「うるさい!!」
「!!」
フランチェスカとレオナルドの周りを、無数の銃が取り囲んでいた。
壁や床、更には天井から飛び出した大量の銃が、この室内を埋め尽くしている。
無機質で真っ黒な銃口は、こちらを睨み付ける獣の瞳にも見える。いつでも命を奪える存在が、フランチェスカたちを間近から睨み付けているのだ。
「あのお方の命令に従うだけだ。そうじゃなきゃ、守れない……」
「……ソフィアさん」
震える声で絞り出された、そんな言葉に胸が痛む。
「洗脳されても……!! どんなに誇りを汚されても、それ以外の何を、失っても!!」
蔦を振り払うように身を捩り、もがきながら叫んだソフィアが、無数の銃を『発動』させようとした。
「私は、あの子を……!!」
「……っ」
フランチェスカはそれを阻み、息を吸って叫ぶ。
「あなたは、洗脳なんかされていない……!!」
「!!」
ソフィアの体が、硬直した。
「な、にを」
「あなたはそんな演技をして、庇っているだけです。さっきからずっと、わざと私に酷いことを言ってまで、洗脳された黒幕側の人間だと振る舞っている……!」
「何を言っているんだい……!! 私はあのお方の忠実な下僕だ。あのお方のために輝石を盗み、だからこそ……」
「だって!」
この世界でソフィアと初めて会った、夏休みのあの日を思い出す。
ソフィアは堂々と胸を張り、妹分たちに慕われながら、フランチェスカにも微笑んだ。五大ファミリー唯一の女性当主として、言葉をくれたことを忘れない。
「ソフィアさんの今の目は。……私が格好良いと感じて憧れた、あなたのままです」
「…………!」
大きく見開かれたソフィアの双眸が、かすかに揺れた。
「ソフィアさんは大切な人を守るために、ミストレアルの輝石を守りたかった。その人が、輝石に害をなすかもしれないと予感して、怖かったから」
「……私は」
ソフィアの声から、先ほどまでの鋭さが削がれている。
「だけど、レオナルドは最初から分かっていました。レオナルドの考えがあって、それをすぐには話してくれなかったけれど……だからこそ、必ず迎えに来てくれたんです」
芸術鑑賞の授業があって、フランチェスカが美術館を訪れた日も。
ラニエーリ家の屋敷を訪れたあと、子供たちに音楽を教えた帰りも。そして昨日、魔灯夜祭の会場へ向かう前もだ。
「――ダヴィードから、私を守るために」
「…………っ!!」
そのとき、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。扉が弾けるように開け放たれ、ラニエーリ家の構成員が飛び込んでくる。
「当主!! 大変で……うわっ!?」
賓客室の惨状に、構成員が後ずさった。上着の中の銃を掴み、構成員が叫ぶ。
「お前ら、当主に何を……!!」
「……いいから! 要件を話しな、血相変えて何があった」
「そ、それは」
構成員は怯みながらも、ソフィアの命令に応じて口を開く。
「化け物、が」
「……?」
窓から見える夕暮れの空は、鮮やかな橙色の端に濃紺を滲ませ初めていた。
「町中を、異形の化け物が襲っています……!!」
「――!」
公園の光景を思い出し、フランチェスカは息を呑む。すぐ後ろに立つレオナルドが、小さな笑みを零した。
「始めたな。クレスターニ」
突きつけられた銃口を手で押し退け、なんでもないことのように口にする。
「……そして、ダヴィード」
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第3部最終章へ続く