180 惚れた男
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「いらっしゃい! フランチェスカお嬢さん!」
「……ソフィアさん……」
ラニエーリ家の応接室で、少しだけ待ったあとに現れたソフィアの姿に、フランチェスカは目を丸くした。
「お嬢さん、今日はまた一段と上品で、大人っぽいドレスを着ているね? すごく可愛いよ」
「ありがとうございます。ですがソフィアさん、レオナルドはダヴィードを呼んだはずですよね……?」
「それを聞くなら、私だって不思議だね」
するとソフィアはくすっと笑い、ウインクをする。
「今夜うちの弟に会いたがったのは、お嬢さんじゃなくてアルディーニの坊やだろう?」
「レオナルドは少し、用事があって……後から私に合流することになっています」
「そうだったのかい! だが、本当に残念だ。ダヴィードはどうやら少し、体調が優れないようでね」
ソフィアはにこやかに笑いながら、フランチェスカの向かいへと腰を下ろした。
「とはいえ折角だ。エヴァルトの娘が遊びに来てくれているんだし、そのまま帰すのも美しくない」
ソフィアは煙草を咥えると、マッチを擦って火を付ける。
ふうっと優雅に煙を吐き出して、ふわりと紫煙を漂わせるそれを指に預けた。
「――ちょっとだけお姉さんと遊ぼうか? 可愛らしいお嬢さん」
「……ソフィアさん」
煙草の端を染めた口紅の赤が、とても鮮やかで艶かしい。
フランチェスカはにこりと微笑み、ソフィアの提案に頷いた。
「はい! 是非、お願いします」
「おやまあ、なんて良い子だろう。お嬢さんのように素直で元気な女の子を見ていると、可愛くて仕方がないよ」
「私のお世話係には、子供っぽいって言われますけど……ソフィアさんがそう言ってくださるのであれば、とっても嬉しいです」
「ふふ。本当に、私の『妹』にしたいくらいだ」
長い睫毛に色香を纏ったソフィアの双眸が、ゆっくりと細められる。
「ねえ、お嬢さん」
煙草を指に挟んだ手を口元へ遣り、ふうっと時間を掛けて吐いたソフィアが、不意にこんなことを尋ねてきた。
「――あんた、ダヴィードの婚約者にならないかい?」
「え…………」
フランチェスカは思わず絶句し、きょとんとふたつ瞬きをした。
「ど、どうしたんですか!? 急にそんなことを言うなんて……」
「おや、突拍子もない話って訳でもないだろう? カルヴィーノ家の愛娘が、ラニエーリ家の次期当主に嫁ぐなんて」
「私は、レオナルドと婚約しています。それに、ダヴィードだってきっと嫌がりますよ」
「さあ。あいつは嫌がらないんじゃないか」
「……?」
灰皿のふちに煙草を預け、ソフィアはソファーの背凭れに身を預けた。
「それに姉からの目線ながら、なかなか良い男に育ったと思うんだ。ダヴィードはぶっきらぼうで言葉も足りないし、一匹狼ぶってる生意気な坊主だけど、女の子にはやさしいよ」
「……知っています」
「絶対に女性を尊重するし、男だからっていう理由で偉そうにはしない。夫にするには、そこそこの条件を揃えていると思うんだ」
ソフィアは柔らかそうな足を組み、何処か可愛らしい仕草で首を傾けながら言う。
「女だからっていうふざけた理由で、相手を不当に軽んじることもない」
「……私が憧れる、女の人は」
フランチェスカはソフィアのまなざしを受け、ゆっくりと返した。
「私のママや、ソフィアさんです」
「これはこれは。嬉しいことを言ってくれる」
「ですが。冗談半分でダヴィードを結婚させるようなことを言って、軽んじているようなソフィアさんの発言は、あまり尊敬出来ません」
「…………」
そんな言葉も、彼女には届かないと分かっている。
それでも祈るような気持ちでいると、ソフィアは深く息を吐いた。
「……お嬢さんの父親と、似たようなことを言うんだね」
「ソフィアさん?」
オリーブのような緑色をした双眸が、フランチェスカを見据える。
「エヴァルトもそうだった。『冗談半分で誰かとの結婚を口にして、自分を軽んじるような発言をするな』って……人の気も知らないで、そんなことを言ってみせたっけ」
(私のパパが、ソフィアさんにそんなことを?)
フランチェスカの推測が正しければ、それはとても残酷な言葉だ。
「貴族の娘に、そんな自由があることの方が珍しいんだって。エヴァルトであれば、分かっている癖に」
「……」
「あははっ、違うか! あの人は知らないかもしれないね? 何しろエヴァルト自身は政略結婚でありながら、愛した女性と相思相愛で結ばれたんだ! あはははっ、はは……っ」
ソフィアは機嫌が良さそうなふりをして、腹を抱えつつけらけらと笑う。
けれどもぴたりとその笑みを消して、再び真っ向からフランチェスカを見据えた。
「……お嬢さんの髪と瞳の色は、見るほどにエヴァルトとそっくりだ」
「…………」
ソフィアの纏っている空気が、段々と重苦しいものに変わってゆく。
「あの人と同じ、赤い薔薇のような髪。あの人と同じ、水色の空を映した瞳。お嬢さんは、それを持っている」
(……やっぱり、ソフィアさんが好きだった男性は)
先ほど浮かべた想像が間違っていなかったことを、フランチェスカは確信した。ソフィアの右手が、彼女の着ている白いスーツの内側へと滑る。
「私が焦がれたエヴァルトと、憧れて憎んだセラフィーナさんの、愛娘――……」
(……『失恋と家出』のきっかけを生んだのは、私のパパだ……!)
ソフィアの右手には、一丁の銃が握られていた。
「私はエヴァルトに、見向きもされなかった!」
「……っ!」
響き渡った銃声と共に、賓客室の窓硝子が砕ける。
「別にそれでもよかったんだ! エヴァルトが唯一目を向けるのは、世界でただひとりセラフィーナさんだけ。私以外の、全ての人に目もくれないままであれば、それで良かったのに……!!」
「ソフィアさん! 危ないです、撃つのをやめて!!」
何度も銃声が轟いて、その度に何かが壊れてゆく。調度品の壺、壁に飾られた鮮やかな絵画、美しいものが無惨に飛び散った。
「あははっ! あははは、は!!」
「ソフィアさん……!!」
こうして滅茶苦茶に殺意を振り撒く、そんな人の姿をこれまでも見てきた。クレスターニに洗脳されたリカルドの父や、グラツィアーノの父を思い出しながら、フランチェスカはソフィアにしがみつく。
「駄目……!! ラニエーリ家にとって大切なものが、壊れちゃう!!」
「――エヴァルトとセラフィーナさんの娘。あのやさしい女性の忘れ形見、そして……」
ソフィアの握った銃の口が、フランチェスカへと向けられた。
「エヴァルトがあんなにやさしく微笑み掛ける、もうひとつの存在」
「…………っ」
至近距離で見詰め合ったソフィアの瞳に、十九歳のときの彼女が見えたような気がした。
フランチェスカがこの世界に転生し、父との関係が良好になった結果、お互いに笑い合う日がやってきたのである。けれどもそんなささやかな光景が、ソフィアをひどく傷付けたのだろうか。
「私にとっても憧れの、セラフィーナさん。エヴァルトが大事なのは彼女だけだと、そう思っていたからこそ、想いを封じ込める覚悟も出来たものを……!!」
「……ソフィアさん……」
引き金に掛けられたソフィアの指先へ、力を込めるような動きが見える。
「……お嬢さんが死ねば」
ソフィアは、彼女にしがみついたフランチェスカを見下ろすと、とても柔らかなまなざしを向けて笑った。
「私の失くした恋も、報われるかもね」
(――あ)
本能的に感じた命の危機が、フランチェスカの瞳孔をどくりと開かせる。
けれども次の瞬間、聞こえてきたのは銃声ではない。
「!」
銃を握っていたソフィアの手が、衝撃波のようなものに弾き飛ばされた。
ソフィアは銃へと手を伸ばす。けれども瞬きをする暇すらなく、その銃が氷に覆われた。
「さて。――ここまでだ」
「レオナルド……!」
賓客室の入り口には、その双眸に怒りの色を燻らせたレオナルドが立っている。
「あははっ! 野暮だねえ、アルディーニの青二才が!」
銃を奪われたソフィアは、両手を大きく広げて笑った。
「女同士のお喋りに、わざわざ男が顔出すなんざ。男ぶりが良いのはそのツラだけかい?」
「おかしなことを言う」
口元に微笑みを宿したレオナルドが、月色の瞳でソフィアを見据える。
「――フランチェスカを害する者に、男も女も区別は無いな」
「……ふうん?」
ソフィアの赤いくちびるが、面白がるように歪んだ。
「さすがはセラフィーナさんの娘だ。誰をも惹き付けてしまうのは、お母君譲りってことだろうね!」
「フランチェスカが眩しくて綺麗なのは、フランチェスカ自身が持つ素養に決まっているだろう? 誰かから譲られたものではなく、誰に似ている訳でもない」
こちらに歩いてきたレオナルドが、フランチェスカを後ろから、抱き寄せるように触れた。
「フランチェスカは、世界で唯一の女の子だ」
「良いねえ! 一人前に、大それたことを――……」
「レオナルド」
ソフィアの声を敢えて遮り、フランチェスカは冷静に尋ねる。
「ダヴィードは見付かった?」
「この家の使用人に『案内』させたが、部屋はもぬけの殻だ」
レオナルドの長い睫毛が、その金色の瞳に影を落とす。
「とはいえ、ダヴィードの意思ではないだろうな」
「……ははっ」
弟の名前を出した途端、ソフィアがますます顔を歪めて笑った。
「他人のおうちで探検ごっこかい? 駄目じゃあないか、困った坊や! そんな悪戯をしちゃあ……」
「!」
室内に強い光が瞬き、ソフィアの手には新たな銃が握られている。
「弟の悪い友達を叱るのも、姉の役割……ってね!!」
(ソフィアさんのスキルのひとつ、武器生成……!)
何もない空間から生み出された銃の先が、天井へと向けられた。
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