18 ふたりっきりは困ります
【三章】
フランチェスカが王立高等学院に入学してから、あっという間に一ヶ月が経っていた。
身体測定を兼ねた健康診断や、二年生最初の実力テストも終わり、早くも五月の初旬だ。
朝晩はまだ薄手の外套がいる日もあるものの、日中はぽかぽかと暖かい。
開け放した窓から、新緑を揺らす風が吹き込んできて、図書室の白いカーテンを揺らす。机に向かっていたフランチェスカは、羽根のついたペンを走らせながらもあくびを我慢した。
(試験勉強中なのに、油断すると眠くなっちゃいそうだ。……誰かさんのお陰で、適度な緊張感は保たれてるんだけど……)
そんな風に思いながら、ちらりと隣の席を見遣る。途端、すぐさまその人物と視線が重なった。
「……レオナルド」
「なんだ? フランチェスカ」
「なんだ、じゃなくて」
ペンを止め、改めて彼の方を見遣る。
「……視線が気になって落ち着かない……」
「ははっ」
机に崩れた頬杖をつき、ほとんど突っ伏すような体勢のレオナルドは、フランチェスカをずうっと見つめていたのだった。
「仕方ないだろう? 君の真剣に勉強してる顔が可愛くて、どうしても目が離せないんだから」
「はいはい。分かったからこれ以上目立つ前に、どうかあっちに行っててほしい」
「そうやって、どうでもよさそうに俺をあしらうところも可愛いな」
軽すぎる賛辞を口にしながら、レオナルドは目を細めた。
「赤薔薇色の髪も長い睫毛も、陽の光に反射してきらきらとしている。……君が瞬きをする度に、水色の瞳が透き通って、とても美しい」
(そりゃあもう、ゲームヒロインの外見だからね)
フランチェスカにさしたる感慨はない。それに、外見の美しさでいうのなら、レオナルドこそが最上級だ。
陽光に当たって艶めく黒髪と、白い肌。不思議な光を帯びた金の瞳は、明るいところではいっそう月のようだった。
涼しげな目元は切長で、睫毛はもちろん上だけでなく、下睫毛まではっきりと長い。形のよい双眸だけでなく、通った鼻筋もくちびるの形も、何もかも一級品なのだった。
そんな外見の美青年が、シャツのボタンをふたつ開け、緩めたネクタイ姿でここにいる。
無防備なほどに気怠げな姿勢は、独特の色香を醸し出すようだ。レオナルドを追い掛けている女子たちがこれを見たら、いまごろ大騒ぎだっただろう。
だが、レオナルドに見詰められ続けるフランチェスカの困りごとは、ときめきが原因のものではない。
(……こんなところを誰かに見られたら、悪目立ちしちゃう……!)
こんな男子と一緒に居て、フランチェスカが注目されないはずもないのだ。
幸いにして、この学院には複数の図書室がある。その中でもここは蔵書が乏しく、ほとんど自習室のような部屋のため、昼休みのいまも他の生徒の姿はない。
とはいえこれは、運がいいだけだ。
ふたりで居るのを目撃されたら最後、噂は瞬く間に広まるだろう。
「昼休みにレオナルドとふたりっきりだったなんて知られたら、確実に大勢の女子を敵に回すよ……」
「ん? 安心しろよ。この世界にいるどんな女より、君のことだけが大切だから」
「レオナルド」
フランチェスカは顔を顰め、髪に触れてこようとしたレオナルドの手をぎゅむっと押さえた。
「あなた、毎日こんなことしてて大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「勉強とか。授業中も居眠りばかりしてるし、授業自体に出てないこともしょっちゅうじゃない」
フランチェスカが自習をしているのは、先週行われた実力テストの結果に、ほんの少しだけ焦ったからだ。
目標点は超えていたものの、思った以上に難しい問題が何問もあった。
この学院に転入した際、カルヴィーノ家当主である父は、真顔でこんな風に言っていたのである。
『家庭教師に学んでいるお前は、常に九十点以上を取るほどの頭脳を持っている。そんなお前が万が一、学院に入って成績が落ちることがあっても、なにも恥じることはない。そのときは、お前の優秀さを伸ばすどころか、成長の妨げになっている学院が悪なのだからな』
『ぱ、パパ……?』
娘から見ても美しい父は、きっぱりと続けた。
『――そんな学院は、すぐさま私が潰してやるからな』
『やめてパパ!! 安心して、学院でも勉強頑張るから!!』
羽根つきペンをぎゅっと握り直しながら、フランチェスカは遠い目をした。
(私が良い点を取らなかったら、本当に学院が取り潰しになっちゃう……)
フランチェスカの成績に、生徒全員の命運が掛かっている。そう思うと、気を抜くことは出来なかった。
「この学院のテスト、結構難しいでしょ? だから、レオナルドは大丈夫なのかなって」
「……」
そう言うと、レオナルドはようやく体を起こす。
立ち上がるのかと思えばそうでもなく、フランチェスカの方に身を乗り出すと、ノートに書いていた数式をとんっと指で叩いた。
「……ここ」
「え? なに?」
「当て嵌めてる公式が惜しい。これを応用しようとすると、答えが変わってきてしまう」
そう言われ、目を丸くした。
「それよりも、四問前に使った方の公式があっただろ? そっちをここに当て嵌めると……」
「――あ!」
答えがするりと導き出されて、フランチェスカは目を丸くした。
「……ほんとだ……」
「君はどうやら、引っ掛け問題に弱いらしい。そんな所も可愛いんだが」
レオナルドは、軽口のつもりでそう言ったようだ。
恐らくは、授業を聞いていなくても学力に問題がないことを証明したのだろう。
しかし、あっという間に問題が解けたその鮮やかさに、フランチェスカは目を輝かせる。
「レオナルド、すごい!」
「……」
「これと似た問題、このあいだの実力テストでも間違えたんだ。でも、次からは絶対に大丈夫な気がする!」
嬉しくなって、にこにこと笑いながら彼に言った。
「教えてくれて、どうもありがとう!」
「…………」
金色をしたレオナルドの瞳が、真っ直ぐにこちらを見据える。
「わ!」
続いて、フランチェスカのくちびるの前に、レオナルドの人差し指が翳された。
「しー……」
「!」
図書室前の廊下を、笑いながら歩いていく女子生徒の声が聞こえる。
「ねえ、本当にこの校舎にレオナルド先輩が入って行ったの?」
「うーん。ひょっとして、見間違いだったのかも」
(あわわ……)
慌てて口をつぐんだら、レオナルドは面白そうにくすっと笑った。
「そうそう。……見付からないよう、良い子にしてな」
「むぐ……」
柔らかな微笑みを向けられて、ばつが悪くなる。
(……ふたりっきりを目撃されないように、一応配慮はしてくれるんだよね……)
その気遣いを感じた後、はっとする。
(いやいやいや! 休み時間、私がクラスのみんなから離れて過ごしてるのも、教室でレオナルドにくっつかれると困るからなんですが!?)
つまり、転入から一ヶ月経っても友達が出来ない諸悪の根源は、フランチェスカにやさしい顔を向けているレオナルドなのだ。




