177 変化
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朝になり、フランチェスカが目を覚ましてからというもの、屋敷はずっと大騒ぎだった。正しくは、フランチェスカが眠っている間も大変な騒動だったようだ。
レオナルドは『ただ酔って眠っているだけ』という説明をしてくれたにも拘わらず、父はとにかくフランチェスカを心配し、王都中の医者を叩き起こして連れて来そうな勢いだったらしい。
構成員たちもそれに同調していたところを、なんとか冷静な執事頭とグラツィアーノが留めてくれて、奇跡的にフランチェスカの目覚めが間に合ったのだ。
「当主が銃持って街に出そうな勢いで、本当にやばかったんすよ……」
フランチェスカの傍に居ようとする父を、なんとか仕事に送り出したあとのこと。
カルヴィーノ家の中庭で、十五時のお茶を用意してくれているグラツィアーノが、午前中を振り返って溜め息をついた。
「それよりもお嬢の傍に居てあげてくださいって説得が、どうにかギリギリで効きましたけどね」
「あ、ありがとうグラツィアーノ……! ごめんね。火曜日に、グラツィアーノまで学院を休ませちゃって」
グラツィアーノも学生の身分なのだが、どうしてもフランチェスカを優先させることになってしまう。そのことを、心から謝りたかった。
「今日は魔灯夜祭の当日で、本番なのに。社交界がすごく忙しい日だけど、パパは寝不足で大丈夫かな……」
「最近ちょっと自覚が足りないんじゃないすか? ご自身のピンチがこの家の、ひいては王都の平和を左右するってこと。くれぐれも肝に銘じて貰わねーと、お世話係としては困るんすけど」
少々憎まれ口を交えつつも、グラツィアーノだってフランチェスカを心配してくれていたのは間違いない。
「うん。本当に、ごめんね」
「……ま。元気になったなら、何よりです」
淹れてもらったお茶を飲みながら、その温かさにほっとする。
(レオナルドが、パパたちに上手く説明しておいてくれてよかった)
なんと昨晩、ラニエーリ家の管轄となる公園で起きた一件については、王都の何処にも噂が流れていないようだった。
魔灯夜祭を行なっている期間中の公園内ということが幸いしたことや、大人の目撃者がほとんどいないこともあり、事態は見事に抑え込まれている。
(あのとき、なんで急に気を失っちゃったんだろう? ……気になるけど、私が今やらなくちゃいけないことは……)
「お嬢さま」
カルヴィーノ家の使用人が、中庭に現れて一礼した。
「おやつの時間中、申し訳ございません。お体が問題ないようでしたら、お客さまが――……」
「…………」
平日の夕方も近付き始めたこの時間に、こうしてフランチェスカを訪ねてくる『友人』は、もちろんひとりしか存在し得ない。
***
「――昨日は本当にごめんね、レオナルド」
外出のための黄色いドレスに身を包み、赤い髪をアップに纏めたフランチェスカは、馬車の中で数回目の謝罪を告げた。
「さっきも言っただろう?」
隣に座ったレオナルドは、フランチェスカの顔を見詰めながら微笑んでいる。
そして、柔らかな表情を浮かべながらこう言ってくれるのだ。
「君が謝る必要なんて、なにひとつ無い。それよりも、体調はもう問題ないか?」
「うん……レオナルドも」
フランチェスカは視線を上げて、親友を見遣る。
「大人の姿に戻れたみたいで、本当によかった」
「――――ああ」
大人びたグレーブラウンのスーツに、黒いネクタイという姿のレオナルドは、『シルヴェリオ』を名乗っていた子供の姿ではなかった。
「もう、子供にはならずに済むようだ。スキルも問題なく使えているしな」
フランチェスカよりも背が高いのは当然の上、その声は低くて甘い。どこからどう見ても、元通りの十七歳らしい外見に戻っている。
「完全に、戻れたんだね」
「ああ。そうだな」
レオナルドはあっさりと答えたあと、フランチェスカに尋ねてきた。
「君が『条件』に心当たりがあったのも、そのゲームとやらの知識なのか?」
「……レオナルドは本当に、信じてくれるんだね」
「君が俺に話してくれることなら、真実かどうかすら問題ではないさ」
「ふふ。もう、さすがにそれは嘘――……」
レオナルドの手が、フランチェスカの手を握る。
お互いに、薄手の手袋越しだ。レオナルドは黒で、フランチェスカはドレスと揃えた黄色の手袋をしている。それなのに、不思議な錯覚に陥った。
「……本当だよ」
レオナルドの手の温度が、なんとなく伝わってくるような気がする。
そんなフランチェスカを見透かしたかのように、レオナルドの声音がいっそう甘くなった。
「俺の可愛い、フランチェスカ」
「……っ!?」
驚いて、思わずどきりとしてしまう。
(なんだろう。今の……)
レオナルドが、なんだか知らない人のようだ。
(いつもより大人っぽいというか。……ううん、そうじゃなくて、艶っぽい……?)
レオナルドが妙な色気を帯びているように見えるのは、なにも珍しいことでもない。
それなのに、彼の何かが決定的に、昨日までとは異なっていた。
(私に向ける表情が、違う気がする。そういえばレオナルドの『秘密』について、『輝石を隠した人間が見付かったら、もう一度話そう』って……)
「……フランチェスカ」
くすっと笑ったその様子は、フランチェスカの動揺を見抜いているように感じた。