172 異形の祭宴
振り返って、はっきりとレオナルドの姿を見た訳ではない。だが、フランチェスカの体に回された腕は青年のそれだ。
大きな手や、筋張った甲は、決して子供のものではなかった。
軍服らしき衣服の袖口から覗く手首も、一見すると細く感じるが、ごつごつした骨のおうとつがはっきりと分かる。
「それなら、私たち、一緒でしょ?」
レオナルドの手に、フランチェスカ自身の手を重ねて告げた。
「おんなじ気持ちだよ。一緒に居たくて、お互いが大事で……掛け替えのないたったひとりの親友。だから」
「フランチェスカ」
フランチェスカの耳に、レオナルドの柔らかな声が触れる。
フランチェスカを抱き寄せて、切実な力が込められていた腕が、ゆっくりと解けた。
「そうだな。……一緒だ」
「!」
弾かれたように振り返っても、レオナルドはそこに居ない。人混みの雑踏に隔たれて、姿が見えなくなってしまったのだ。
けれども気配はちゃんとある。
フランチェスカはすぐさま人混みに飛び込み、その先にいるはずのレオナルドの元に向かった。
「レオ……」
見付け出した相手の外見が、再び小さな男の子へと変化していることに気が付いて、咄嗟に言葉を変えて呼ぶ。
「――――っ、シルヴェリオ!」
そのとき、金属を弾いたような甲高い音が、きんっと周囲に響き渡った。
「……っ!?」
鼓膜を貫く音に顔を顰め、小さな子供に戻ったレオナルドの耳を塞ごうとする。
けれどもレオナルドは、彼を抱き締めようとしたフランチェスカを背に庇い、挑発を滲ませた笑みを浮かべた。
「湧いてきた」
「……これ」
辺りの光景に息を呑む。
いつのまにか、公園内に溢れていたのは、普通の人間ではなくなっていたのだ。
鋭く長い爪を持ち、他の異形が身につけた宝飾品を奪おうとする者。
口と手が異様に大きく、屋台の食べ物を貪り尽くそうとし始める者。頭部が割れた鏡になっていて、怯える女性の肩を掴み、聞き取れないような罵声を喚き散らす者も居る。
(ここに居るほとんどが、人間じゃない……)
他にも様々な姿を持った異形たちが、公園内に蔓延り始めた。
「わああんっ、お母さん何処ぉ……!?」
(クレスターニの攻撃だ。間違いない、守らないと!!)
ごく僅かにしか居ない大人も混乱する中、子供が怯えて泣きじゃくる。
「助けて! お化け、怖い……!!」
ドレスの中に隠した銃を抜き、フランチェスカは冷静にレオナルドへと告げる。
「下がってて!」
レオナルドを守りながら、他の子供たちや幾人かの大人を逃さなくてはならない。そのための退路を素早く確認して、突破口を見付け出す。
「会場の外はラニエーリ家の人たちが警備してる。そこに助けを求めて、協力しながら場を収めれば……」
「君が戦う必要はない。フランチェスカ」
「!」
フランチェスカの前に踏み出したレオナルドが、悠然とした振る舞いで笑った。
「――君に纏わり付くものを、ようやく堂々と引き剥がせる」
「……まさか」
その瞬間、ぞくりと鳥肌が立つのを感じる。
(レオナルドは、このお化けたちの存在に気付いてた……?)
フランチェスカがそれを察したのと同時に、異形たちが襲い掛かってくる。
「ちょうだい……ちょうだい、ちょうだい、その綺麗なネックレス!」
「……っ」
その瞬間、レオナルドがスキルを発動させた。
「!!」
きんっという甲高い音が、耳を貫く。
先ほど聞こえたのと同じ、金属を弾くようなものだ。異形たちが苦しそうな悲鳴を上げて、一斉にがくりと項垂れた。
(これ、支配スキル……!?)
使用したのは、幼い子供の姿をしたレオナルドだ。
(カルロさんの診療所で、レオナルドがひとつだけ強制覚醒させたスキルだ! このスキルは他人から奪ったものじゃなくて、レオナルド本人が持つスキルのひとつ……)
このスキルを使用された相手は、レオナルドの命令に逆らえなくなる。
だが、この広大な公園の中に跋扈する異形をすべて相手取るには、あまりにも数が多すぎるはずだった。
(それに!)
フランチェスカにとって気掛かりなのは、スキルを使用したレオナルドの負担だ。
「レオナルド、こっちに来て……!」
この混乱の中、誰も会話を気に留めていないような場所で、呼び方を注意する余裕もない。フランチェスカは右手で銃を構えたまま、左手でレオナルドの小さな肩を掴もうとする。
すると頭を持ち上げた異形が、子供を連れて逃げる女性と子供に襲い掛かろうとした。
「ちょうだい、ねえ、それ……!」
「きゃあああっ!!」
(やっぱり小さな体じゃあ、この数を『支配』しきれない……っ)
銃口を異形の方へと向ける。異形がびくりと身を竦めた隙に、レオナルドがそちらへと手を翳した。
「ぎっ、あ、あ……!!」
スキルの支配力が強まった気配に、フランチェスカは顔を顰める。
「レオナルド……!」
「どうやら、そいつらには、銃を恐れる知性が残っているな」
こちらを振り返ったレオナルドの頬に、汗の雫が伝っていた。
「その銃で君自身を守ってくれ、フランチェスカ。ただし、化け物共のことを、撃たないように」
(レオナルド、苦しいんだ。未熟なスキルの効力を高めるため、自分に負担を掛けてる……)
悟らせまいと振る舞っていても、そうするほどの余裕が今は無いのだ。この状況下の中、他の異形が再び自由を取り戻しそうになって、その手を逃げる子供に伸ばそうとする。
(……っ)
フランチェスカは銃を構え、子供や異形に当たらないよう、その足元を狙って撃った。
銃から伝わる反動と硝煙の匂いに、思わず顔を顰めてしまう。レオナルドの読んだ通り、異形は銃を恐れて足を止めた。
フランチェスカは駆け出すと、転んだ女の子を急いで助け起こす。
「っ、うわあああん!」
「ごめんね、びっくりしたよね……! あそこにいるママのところまで走れるかな、そう、良い子……!」
そうしている間にも、レオナルドが支配スキルで異形を制御した。しかし、少し離れてしまった彼が一度だけ苦しそうな息を吐いたのを、フランチェスカは見逃さない。
「レオナルド、スキルはもう止めよう……!? このお化けたちは私が止める、だから――」
「……今から、君に、少しだけ」
こんな状況でも、レオナルドは笑ってみせるのだ。
「本心とやらを、打ち明ける」
「…………?」
冗談めかした響きの中に、確かな本音が滲むのを感じた。
「俺は、君が大切にしてくれる『友情』を壊すのが、とても怖かった」
金色の輝きを帯びた強い光が、レオナルドの周囲に纏わり付く。
そして、フランチェスカは目を見張った。
「レオナルド……?」
光の中に立つレオナルドの姿が、五歳ほどの小さな男の子のものから、八歳くらいに成長しているのだ。
幼児から少年の姿になったレオナルドが、体の自由を取り戻し掛けていた次の異形に向け、手を翳す。
「君にとって友人とは、掛け替えのないものだ」
落葉を全て巻き上げるかのような突風と共に、異形たちが悲鳴を上げた。
支配の力が、先ほどよりも強固に発揮されているのが分かる。しかし、体が成長しているはずのレオナルドは、決して楽になったような表情を見せない。
「それを壊してしまったら、君は――……」
「……?」
レオナルドの言葉の意味が分からなくて、フランチェスカは戸惑いを覚える。
だって、絶対に変わるはずがない。レオナルドの方から手離そうとしない限り、それは永遠に続いてゆくものだ。
「何があっても、壊れないよ。絶対に……!」
そんな約束を重ねながらも、フランチェスカの中に焦燥が生まれてゆく。
(違う。レオナルドが怖がっているのはきっと、本当はもっと別のものだ……)
それだけははっきりと理解出来るのに、正体が何も分からない。
「……っ」
支配の力が強まっても、やはり異形の数が多すぎる。レオナルドの支配から逃れた異形が、逃げる男性に襲い掛かろうとした。
フランチェスカは銃を向け、異形の傍の木に弾丸を撃ち込む。反動でやはり手が痺れるも、それに構っている余裕はない。
「壊れない、か」
顎に伝ってゆく汗を、レオナルドが白いシャツの袖でぐっと拭った。
「そうだよ! 壊れないの、絶対に……! だって」
レオナルドにはっきりと伝えるために、フランチェスカは声を張る。
「今はもう、友達だからレオナルドが特別な訳じゃない!」
「……!」
月の色をしたその瞳が、僅かに揺れたような気がした。
「……俺の愛しい、フランチェスカ」
「!」
雷が迸るのに似た音と共に、再び光がレオナルドを取り巻く。落ち葉が花吹雪のように乱れ舞う風の中、直視出来ないような強い光が瞬いた。
「分かっているよ」
(また、姿が変わって……)
光の中に見えるレオナルドの姿が、十三歳ほどの容姿に変化していた。
白いシャツに黒いベストと、スラックという装いだ。フランチェスカが知るレオナルドほど長身ではないものの、手足が伸びて骨格のラインを感じさせる体躯のそこかしこに、華奢な輪郭を残している。
「――『動くな』」
レオナルドがそんな命令を紡ぐと共に、異形たちが更なる悲鳴を上げて硬直した。
「……っ」
「レオナルド!」
フランチェスカはほとんど無我夢中で、レオナルドの方に走り出す。支配の力を強めるほどに、レオナルドへの負荷が明らかに増していた。
(レオナルドの体は大人に近付いていっている。それなのに苦しそうなのは、いま発動させているスキルが、強制覚醒させたスキルだから……!?)
それでも足を止めたのは、誰かの悲鳴が聞こえたからだ。
フランチェスカは顔を顰め、そちらに向けて銃を撃つ。小さな子供たちに触れようとしていた異形が、その銃声に怯んで身を竦めた。
(レオナルドにもうこれ以上、支配スキルを強めて欲しくない。だけどそうしないと、誰かが怪我をしちゃう……!)
それ以上に心の中にある懸念は、もっと異質なものだった。
(レオナルドが、みすみすこんな状況に陥るはずがない。さっきから嫌な予感がする理由、それは)
どうしても拭い去れない考えに、フランチェスカは息を呑む。
(……これが全部、レオナルドの願った通りの状況だとしたら……)
その瞬間、手首をレオナルドに掴まれた。
「君は何ひとつ、心配しなくていい」
「……レオナルド」
本来の姿より幼く見えても、いまのレオナルドはフランチェスカより身長が高い。骨格もしっかりしており、単純な力比べをしたとして、どれほど振り絞っても敵わないだろう。
「ねえ、もう無理しないで。お願いだから」
「やさしいな。……本当に、出来ることならばこれからも、変わらない友情のままにしてあげたかったんだ」
紡がれた声には、レオナルド自身に言い聞かせるかのような響きが込められていた。
「だけどもう、壊さなくてはならない」
「…………?」
「なにせ俺は、そんな君のことが――……」
レオナルドが、大切な本心を押し殺したように感じられた。
それなのに、直後に嘘のひとつもない声音で、はっきりとフランチェスカに告げる。
「……この世界の何よりも、大切だからな」
「!」
その瞬間に溢れた光は、一際強いものだった。