169 偽物
「さっきダヴィードが、こっちの方に歩いて行くのが見えたんだ。生徒の出入りが自由な部屋の中だったら、美術室や図書室じゃなくて、音楽室だろうなーって思ったの」
「ああ? 何を根拠に」
「図書室に美術品は無いでしょ? 美術室に飾ってある絵は、授業用に模写された偽物だし……だけど音楽室にある楽器は、本物だから」
「…………」
そんなことを言いながら、ダヴィードの隣に立ってみる。
近付くのを嫌がられるかと思ったが、ダヴィードは特に何も言うことはなく、フランチェスカの好きにさせてくれるつもりのようだ。
おまけに、こんなことまで教えてくれた。
「……ここにある楽器、どれも隣国製だぞ」
「え! 隣国って、東の方の?」
だとすれば、それはフランチェスカの母が生まれた国だ。
ダヴィードはそれを意識して、フランチェスカにその話をしたのだろう。
「ダヴィードってすごいね! この間の私のドレスも、すぐに隣国産のだって気付いたし」
「言っただろ、見分けられない方がどうかしてるって。……そういう意味だと世界中、大多数の人間がどうかしてるが」
そんな風に言い捨ててしまうところを見るに、ダヴィードは自分の審美眼を、さして貴重なものだと思っていないようだ。
「あの生地は、どんな方法で分かったの?」
「布の表面に出る光沢が、よく見ると淡い虹色に見えるだろ」
「確かに最近、そんな色合いを見た気が……! そっか。あの虹色が、ママの生まれた国の」
けれどもあの時は、ホールからの明かりだけを頼りにしたバルコニーに居たのだ。
薄暗い中、瞬時に生地の産地を見分ける方法を知ったとしても、同じ状況で活かせる自信は無い。
「ダヴィードは、特別にすごいと思うけどなあ。自覚がないだけで」
「……そんなはずねーだろ」
首を傾げたフランチェスカに、ダヴィードが背を向けてこう続けた。
「……俺は、偽物だ」
「!」
素っ気なく紡がれたその声には、寂しくて投げやりな音が滲んでいた。
「当主には、姉貴の方が相応しい」
「……ダヴィード」
「あいつはずっと努力してたんだよ、俺なんかよりもずっとな。……その努力に、『いつか弟に後目を譲るため』のものが含まれてんのが、昔からずっと嫌だった」
ダヴィードの本心が込められた言葉に、フランチェスカは何も言えなくなる。
「俺は醜い。……どうあっても、本物にはなれないのにな」
彼が浮かべた微笑みは、紛れもなく自嘲のものだった。
「……ダヴィードは、その『本物』になりたいの?」
「誰だって、自分が偽物なんて状況は御免だろ」
ダヴィードははっきり断言するが、フランチェスカは頷けない。フランチェスカ自身の考えだけでなく、ダヴィードにも迷いがあるような気がしたからだ。
「ダヴィードは、自分が偽物なのが嫌というよりも、『許せない』って思っているように見えるけどな」
「…………」
ゲームのシナリオで、ダヴィードが思い悩んでいる本心を知っている所為だろうか。
「それに私からしてみれば、醜くなんて感じないよ」
「……何を、言って」
「そんな風に悩んで、お姉さんのことも考えて。すごく真剣な顔をしてるから……」
フランチェスカは心から微笑んで、ダヴィードに告げた。
「ダヴィードはとっても『綺麗』だなって、そう思う!」
「……っ」
その瞬間、ダヴィードが僅かに息を呑んだ。
「……お前」
それから浅く溜め息をついて、あからさまに話を変えてくる。
「そんな風にお人好しだから、アルディーニの奴に絡まれるんじゃねーの」
「か、絡まれてないよ。レオナルドは私の友達だから!」
「転入してきた春ごろは、あいつのこと全力で避けてただろ」
「うぐう……」
あの頃は確かにそうだったので、フランチェスカは途端に何も言えなくなった。
「お前ら有名人だったから、近付かなくても噂が聞こえてきた」
「最初の頃はレオナルドも、私で遊んでた節はあるけど……! でも、本当はすごく優しいんだ」
ダヴィードの口ぶりを聞いていると、レオナルドのことをあまりよく思っていないように見える。少しでもレオナルドのフォローをするべく、フランチェスカは告げた。
「私の大事な大親友。レオナルドのことが、大好きなの!」
「…………」
ダヴィードが、静かに眉根を寄せた。
「――帰る」
「ダヴィード? なにか怒ってる?」
「別に。行くところがあるのを思い出しただけだ」
明らかに不機嫌そうな声だったが、なんだか呼び止められる雰囲気でもない。フランチェスカが戸惑っていると、ダヴィードは音楽室の出口で立ち止まる。
「お前がアルディーニの話をしてると、無性に苛々する」
「……ダヴィード、そんなにレオナルドのことが嫌い?」
「そうだな。だから」
フランチェスカに背中を向けたまま、ダヴィードが独白のように呟く。
「偽物なりに、少しはマシになる努力をする気にはなった」
「……?」
ますます分からなくなってしまう。けれども音楽室の扉を開けたダヴィードに、説明をしてくれる気はなさそうだ。
「……ダヴィード。今夜レオナルドと一緒に、ラニエーリ家の管轄している公園まで遊びに行こうと思うんだけど……」
「……」
ダヴィードは苦々しくこちらを振り返り、言い捨てた。
「知るかよ、好きにしろ」
(……輝石の話、また出来なかったなあ……)
ひとりぼっちになったフランチェスカは、静まり返った音楽室で立ち尽くす。
(どうしてだろう。ダヴィードはなんとなく、ミストレアルの輝石の行方を、そこまで積極的に探したがっていないように見える気が……むしろ、私が一緒に探そうとするのをはぐらかしてる?)
ソフィアとダヴィードの顔を思い浮かべて、思わず眉根を寄せてしまった。
(もしかして。……ダヴィードは、輝石を盗んだ犯人が予想できていて、その人を公にしたくない……とか)
***
音楽室を後にしたフランチェスカは、夕暮れの校内を横切って、とぼとぼと校門へ向かっていた。
先ほど浮かんだ想像は、なんの根拠もない推測だ。
気分が沈むのに振り回されず、まずは捜索が必要だと、頭ではきちんと分かっている。
(しっかりしよう。これからレオナルドと一緒に、リカルドに教わった魔灯夜祭の会場に行くんだし……)
そして顔を上げた視線の先に、女子生徒の人だかりが出来ていた。
「あなた、シルヴェリオくんというお名前なの? なんて愛らしいのかしら……!」
「レオナルドさまそっくりだわ。あのお方をそのまま小さくしたような姿、このまま連れて帰っちゃいたい……!」
(ひょっとして、あそこにいるのって……)
「あ!」
女子たちに囲まれた中心から、明るくて澄んだ声がする。
ひょこっと姿を見せたのは、女子たちの会話から推測出来ていた通り、小さな男の子になったレオナルドだった。
「フランチェスカちゃん! お迎えにきたよ、おかえりなさい!」
(レオナルド!)
愛らしく手を振るレオナルドは、子供用に作られた吸血鬼の衣装に身を包み、黒い外套を纏っていた。