164 美しい音
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「フランチェスカおねえちゃん、これ教えてえ!」
「おねえちゃん、僕もー!」
「はいはーい! 順番に行くね、良い子で待ってて!」
「なんなんだよ、この状況は……」
孤児院に隣接した教会の入り口、石の階段を椅子にした子供たちの間を、フランチェスカは忙しく動き回っていた。
「そうやって張り切ってみせたところで、バイト代なんか出ねーぞ」
「そんなことよりダヴィード、そっちの楽譜押さえててあげて! 風でめくれちゃう!」
呆れ顔をしたダヴィードとは対照的に、子供たちは笑顔で慕ってくれる。
ラニエーリ家が用意している楽器は、小型のバイオリンやハープといったものから、子供たちに扱いやすいベルなど様々だ。
毎週教わっているだけはあり、扱い方が分からない子供はひとりも居ない。
しかし、年齢がまちまちの子供たちから『教えて』とおねだりされるフランチェスカは、青空の下で寒さを感じる暇もなかった。
「おねえちゃん、見て! 私、タンバリン上手に叩けるよ!」
「わあ、本当だ! 聴いてるだけで楽しくなっちゃう、素敵!」
「僕、笛が上手に吹けない。ふーって音になっちゃうの」
「難しいよねえ。力いっぱい吹くんじゃなくて、優しくそうっと膨らませるみたいにやってみたらどうかな?」
難しい楽器はフランチェスカにも扱えないため、主に小さな子供たちに教えて回る。階段のそれぞれの段に立った彼らは、満面の笑顔で楽器を楽しんでいた。
「ダヴィード、毎週ひとりでこれをやってるの? やり甲斐はあるけど大忙しだね!」
「別に。おいガキ共、そろそろ一旦座れ」
「わあ! お兄ちゃん、今日も弾いてくれるの!?」
ダヴィードはそれには返事をせず、使い込まれたバイオリンを手にした。嬉しそうにはしゃぎ回る子供たちが、石の階段にお行儀よく座ってゆく。
「フランチェスカお姉ちゃん、ここ座って!」
「うん、ありがとう。もしかして、ダヴィードが演奏してくれるの?」
「そうだよ! いつも一回だけやってくれるの。すごく綺麗なんだ!」
子供たちに急かされながら、フランチェスカは階段の上の方に腰を下ろした。演奏会にやってきたつもりでかしこまってみると、ダヴィードがふんと鼻を鳴らす。
(わ……)
ダヴィードはバイオリンを顎と肩で挟んで構え、弓を当てた。その姿勢がとても美しく、芸術的な彫刻のようだ。
そして響き始めた旋律は、強く情熱的な荒さを秘めながらも、何処となく切ないものだった。
衣服の袖を織り込んだ腕は、表面に血管の筋が浮いている。ダヴィードはそんな腕で力強く弓を操るが、指の動きはとても繊細だ。
無心に弾いているようでもあり、様々な思考を込められているようにも聞こえる、そんな表裏一体の演奏だった。目を伏せたダヴィードのまなざしは、ここでない遠い場所へと向けられている。
その音色に、フランチェスカの心は強く揺さぶられた。
「……っ」
短い演奏が終わったあと、フランチェスカは思わず立ち上がって拍手をする。
「すごいよダヴィード! とっても素敵な演奏だった、思わず泣きそうになっちゃったもの……!!」
「ダヴィードおにいちゃん、かっこいー!」
「うるせえ。だるい。もう終わりだ」
子供たちが一斉に駆け寄って、ダヴィードやバイオリンを取り巻いた。ダヴィードは彼らにバイオリンを渡してやりながら、フランチェスカの立っている位置まで階段を登ってくる。
「本当に格好良かった! ダヴィードは、昔からバイオリンを弾いてるの?」
「そんなに昔からでも無えよ。あのバイオリンが使い込まれてるのも、死んだ親父が使ってたってだけだ」
「お父さんが……」
「親父が死ぬ前に姉貴に渡って、姉貴が当主になってから俺に回された。当主としての仕事が忙しくて、楽器なんだやってる暇がなくなったんだと」
ダヴィードが渡したヴァイオリンを、子供たちは嬉しそうに観察している。
フランチェスカは内心で冷や冷やしたものの、子供たちは楽器の扱いをしっかり心得ているようで、とても丁寧に触れていた。
それを見ていたダヴィードが、フランチェスカの隣に腰を下ろして呟く。
「あのバイオリン。……まるで、当主の座みてーな遍歴をしてやがる」
「…………」
ラニエーリ家の当主の座は、ふたりの父からソフィアに渡り、もうすぐダヴィードのものになるのだ。
その横顔に言い知れない感情を見た気がして、思わずこんなことを告げていた。
「ダヴィードの悩み事は、私に本心を曝したら楽になるかな?」
「……ああ?」
ゲームシナリオの通りにするならば、当主の座を継ぐことに自信がないダヴィードのことを、『フランチェスカ』が励ます必要があるのだ。
けれど、この申し出は間違いだったとすぐに分かった。
「なんて。ごめんね、変なこと言って」
いまのダヴィードが、そんな悩みを打ち明けるはずもないのだ。フランチェスカが謝罪すると、ダヴィードはこちらを注意深く見詰めてくる。
「私の『友達』も、きっと何かに悩んでるはずなんだ」
「……そうかよ」
「なんでも話してって言ってあげたい。でも、それを望む相手じゃないのも分かるから、無理に打ち明けさせたくないの」
レオナルドのことを思い浮かべて、寂しい気持ちで微笑んだ。
「難しいね。友達って」
「……」
ダヴィードに『悩みを曝け出して』と言っておきながら、これではフランチェスカの悩み相談になっている。
そのことに気付いて、フランチェスカは苦笑した。
「ダヴィードが、子供たちに音楽を教える時間なのに。私の話を聞いてもらっちゃった」
「別に。そんなに大仰なものでもねーからな」
くだらなさそうに吐き捨てたダヴィードが、小さな声で呟く。
「本気で楽器をやらせたいなら、週に一度じゃ意味もねえんだ。……こんなのは俺の、自己満足にしか……」
「そんなことないよ!」
「!」
自嘲的な言葉に驚いて、フランチェスカはずいっと顔を近付けた。
「見て、あの子たちの表情!」
「……それが、なんだよ」
「嬉しくて楽しそうな顔してるでしょ? それが大事なんじゃないかな。ダヴィードは歯痒く感じるかもしれないけど、この時間が意味ないなんてこと、絶対に無い」
フランチェスカが思い出すのは、ひとりぼっちで眠っていた頃のことだ。
この世界で記憶を取り戻したばかりで、まだ父とも和解できず、グラツィアーノがやってくる前だった。
中身は十七歳といえど、いきなり知らない世界に転生してしまった心細さに苛まれた夜も、前世で知っていた曲を口ずさんだのだ。
(そういえばあの曲って、ゲームのタイトル画面で流れるサウンドだったな。綺麗な音楽で、大好きだった)
そんなことを思い出しながら、フランチェスカは微笑む。
「寂しいときも、音楽があればきっと怖くない。ダヴィードはこの子たちに、そんな楽しい思い出をあげてるんでしょ?」
「……それは」
「私も今日、ダヴィードに教わっちゃった」
ダヴィードがどうして美しいものを愛するのか、少しだけ想像ができたような気がした。
そのことが嬉しくて、彼に告げる。
「……綺麗なものが持つ力って、こんなにすごいんだね!」
「……っ」
そのとき、ダヴィードが目を見開いた。
そして彼の頬や耳が、火照ったように赤く染まるのだ。