160 あの月ですら
「大丈夫だよ。君に心配をさせるほどじゃない」
「やっぱりデメリットがあるんだね? カルロさん、教えてください」
そう尋ねると、カルロは朴訥とした声音で話してくれた。
「激しい体の痛みをはじめとした、心身への負荷を覚える者が大多数だ。稀に、本来覚醒するはずだったと思われるスキルとは別のスキルに変質する者もあるが、それに関してはあくまで推測となる」
「つまり、痛くて苦しい上に、レオナルドの本物のスキルとは違ったものに歪んじゃうかもしれないということですよね?」
「補足する。アルディーニの場合、スキル変質に関する不安はない。俺がアルディーニのスキルの内容を把握しているからな」
フランチェスカがレオナルドを見やれば、レオナルドはにこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ、フランチェスカ」
(……レオナルドは、誰にも痛みや苦しみを打ち明けない。私が辛いときは、レオナルドが絶対的な味方でいてくれるのに)
フランチェスカは彼の方に歩いてゆくと、長椅子の隣にぽすんと座る。
「フランチェスカ?」
そして、小さなレオナルドの手をしっかりと握った。
「傍に居てもいい?」
「……!」
こんなことくらいで、レオナルドの助けになれるとは思わない。
ただ、せめて一緒に居たいのだ。
(痛い思いも苦しい思いも、してほしくない。無理にスキル覚醒なんてしなくても、私が守るよって言い切れたらいいのに)
しかし、そうしなければレオナルドが危険なことに間違いはないのだ。
「ありがとう。フランチェスカ」
「……レオナルド」
やさしく手を握り返されて、少しだけ安堵する。
そして内心で、こんなことを考えた。
(レオナルドはすぐに大人に戻る方法よりも、子供の姿のまま、自分が動きやすいように対策を講じてるんだ。……まるで、すぐには大人に戻れないって分かってるみたい……というよりも)
疑問を口に出さないまま、フランチェスカは首を傾げる。
(敢えて子供の姿のまま、行動しようとしている……?)
***
短い仮眠を終えたあとの真夜中、ラニエーリ家の女当主であるソフィアは、十七歳である弟の行方に顔を顰めていた。
「……まったく、あの愚弟ときたら……」
執務机に座り、窓から見える玄関を見下ろす。見張りを置いている門からも、弟についての報告は上がってこない。
「ダヴィードはまだ戻らないのかい? こんな時間だってのに、あの餓鬼」
「は。恐らくは絵画美術館、あるいは陶器美術館のどちらかにいらっしゃるかと……」
そう答える構成員も、覇気がなく憔悴している。だが、部下たちの顔色が優れないのも無理はない。
ミストレアルの輝石がすり替えられてから二日目、ラニエーリ家は国王ルカからの厳命によって捜索を続けているものの、進展と呼べるものは何もないのだ。
「……総員に命令を」
ソフィアが溜め息をついて告げると、構成員は背筋を正す。
「仰せのままに。次はどちらを捜索いたしますか? 囚人の拷問、娼婦たちを利用した聞き込み、いかようにも」
「まずは半数に『八時間休め』と通達しな。それが済んだら残りの半数に休息を取らせる、必ずだよ」
「し、しかし……! 今はそのような状況下では」
「ここで無理のある捜索を続けて、いざってとき無様にぶっ倒れるつもりかい?」
椅子の背もたれに身を預け、ソフィアは笑った。
「私の家族も同然のお前たちに、これ以上疲弊させる訳にはいかないよ」
「……ソフィアさま……」
構成員は声を震わせたあと、すぐに頷く。
「伝達をして参ります。ソフィアさまこそ、くれぐれもご無理をなさらぬよう……」
「分かってる。ほら、さっさと行きな」
構成員が退室したのを見送ってから、ソフィアは口紅を塗り直した。
小さく息をつくと立ち上がり、外出用の上着を手に取る。その上で思い出すのは、今朝方の弟に告げられた言葉だ。
『一丸となって輝石の捜索? 馬鹿馬鹿しい、そんなのに足並み揃えつるもりはねえ』
『ダヴィード。あんた、誰に口きいてるつもりだい?』
すると弟は鋭いまなざしで、ソフィアのことを睨み付けた。
『俺がいつまでも、姉貴の言いなりになって動くと思うな』
次期当主になることが決まっている弟は、この頃そんな物言いが増えたように思う。
通常なら、そこで厳しく叱責する必要があるだろう。しかしソフィアからしてみれば、ダヴィードの言動はあまりにも分かりやすいのだ。
「……馬鹿だね」
煙草を吸いたくなったものの、塗り直したばかりの口紅を思って止める。
ソフィアは上着に袖を通しながら、弟のことを思い浮かべて目を伏せた。
「あんたが悪ガキぶろうとしたって、無駄に決まってるのに。それに、あんたは何も分かっちゃいない」
そして再び窓の外を見遣り、明日には満月となる月を眺めて笑う。
「――輝石がこのまま見付からないなんて、あの月すら想像していないだろうさ」
***