157 自慢の両親
今朝方ルカがやって来たのも、もしかして父から報告が入った所為だろうか。
(小さな子じゃなくてレオナルドを抱っこしてるって知ってるから、そんな顔をしてるんじゃ……)
「……フランチェスカちゃんのおとうさん、どうしたの?」
微笑んだレオナルドが、父をじっと見詰めたような気がする。父ははっとしたように咳払いをして、重い声を絞り出した。
「シルヴェリオ。たとえ幼い子供であろうとも、淑女にそのような振る舞いはするべきではない」
(なんだ、いつもの心配性なパパなだけかあ!)
どうやら一緒に寝るのが禁止なのと同様に、年齢は関係ないらしい。フランチェスカは納得しつつ、レオナルドを降ろしながら告げた。
「違うのパパ。私が無理やり抱っこして、シルヴェリオくんは困ってたんだよ」
「フランチェスカの方から、彼を抱き締めただと……!?」
「? そうだけど、パパったら大袈裟!」
わなわな震える父の背後では、すでにグラツィアーノが廊下へと退室し、ぴしっと背筋を正している。
時刻はすでに夜の十時になろうとしている。十時以降はグラツィアーノであろうとも、フランチェスカの部屋への立ち入りは許されない決まりだ。
「幼子が眠る時間になった。シルヴェリオも、もう部屋に戻りなさい」
「はあい。おやすみ、フランチェスカちゃん」
「うん、おやすみ。シルヴェリオくん、グラツィアーノ!」
そう言いつつもフランチェスカは、レオナルドにくちびるの動きで『あとでね』と合図をした。レオナルドは僅かに苦笑して、小さな手を振る。
そんなレオナルドのことを、父が呼び止めた。
「待て。お前にこれを渡しておく」
「わあ、お手紙だ。ありがとう、フランチェスカちゃんのおとうさん!」
(手紙?)
父からレオナルドに渡った封筒には、誰の署名も書かれていないように見えた。それが何かを聞く暇もなく、グラツィアーノがレオナルドを抱え上げる。
「それじゃあ当主。チビは俺が連れて行きます」
「ああ」
「ふたりとも! また明日ね!」
「おやすみなさーい」
レオナルドとグラツィアーノを娘の部屋から出した父は、一仕事終えたかのような息をついた。
(パパ、疲れてる。昨日の夜に輝石がすり替えられてから、ラニエーリ家への協力で忙しかったんだろうな……)
そんな状況下でも、帰宅してすぐにフランチェスカの顔を見に来てくれたらしい。少し気怠げにネクタイを緩めた父は、晩秋用の外套すら脱いでいなかった。
「……では、フランチェスカ。お前も早く休むんだぞ」
「あ。待ってパパ!」
「?」
部屋を出て行こうとした父を引き止め、急いで机の上のお菓子を手に取る。小さなバスケットに入れてリボンを結んだ焼き菓子は、フランチェスカが焼いたものだ。
「これ、パパ専用に取っておいたの。甘さは控えめで作ったから、食べやすいと思うんだ」
「フランチェスカ……私のために、か?」
「これなら忙しいときでも気軽に食べられて、気分転換になるでしょ? 私が作ったものなら、パパも忘れずに完食してくれると思って!」
「…………っ!」
自らの目元を押さえた父が、肩を震わせながら声を絞り出した。
「あの小さかったフランチェスカが、菓子まで作れるようになったとは……! 売り物のように立派で美しいが、讃えるべきはそれだけではない。これほどまでの思いやりに溢れたその心、それこそが我が娘の素晴らしさ……!」
「ぱ、パパって私がお菓子を焼く度に、初めてみたいに新鮮な反応してくれるよね……!」
何も珍しいことではなく、しょっちゅう父にプレゼントをしているのだが、その度に新しい記念日を設立しそうな勢いだ。
それを大袈裟に感じる気持ちもあるが、嬉しくてくすぐったいのも本当だった。
「……お前の母も昔、私にこうして菓子を焼いてくれた」
「!」
父は懐かしそうに目を眇め、僅かに微笑んで教えてくれる。
「セラフィーナが焼いた菓子であれば、私が無駄にすることはないだろうと。……いまのお前と、まったく同じことを言っていたよ」
「ママが……」
どうやら意図せず偶然に、母と似た行動を取っていたらしい。父が自分から母の話をしてくれるのは、とても珍しいことだった。
「ママも、パパのことが大好きで心配だったんだね」
「……フランチェスカ」
「パパは昔、ママが自分の世界を変えてくれたって言ってたでしょ? 私はそんなママのことを、すごく尊敬してるの」
すると父は微笑んで、フランチェスカの頭を撫でてくれる。
「お前も間違いなく、セラフィーナと同じ力を持っている。……そしてそれは、どれほど珍しいスキルよりも得難いものだ」
「!」
そう告げられて、心から嬉しく思った。
「……ありがとう。パパ、大好きだよ!」
父から向けられている愛情の、その一割すらも返せている気がしない。
それでもフランチェスカは、父にぎゅうっと抱き着いて、自分に言える精一杯の言葉を口にした。
「この世界で、パパとママの娘として生まれて来ることが出来て、本当によかった!」
「…………!」
前世で命を落としたあと、今度こそ平凡な人生を生きたいと願った。
この世界に生まれて来て、これまでの記憶を取り戻したときは、前世と同じ悪党一家に生まれて来たことに愕然としたものだ。
けれど、父と母の娘であることは、心から誇らしく思っている。
***
「……それでね。パパったら、『お前の今の言葉を残すために、台詞を刻みつけた街路樹を王都中に植えよう』なんて言い出すんだよ……」
「ははっ。さすがはフランチェスカのお父君」
父の書斎の明かりも消えた頃、自室を抜け出したフランチェスカは、今夜もレオナルドの客室に忍び込んでいた。