156 ぬいぐるみ
【第3部3章】
夕食の時間もとうに過ぎ去り、そろそろ眠り支度を始めるような頃、カルヴィーノ家にはフランチェスカのはしゃぐ声が響き渡っていた。
「ううう、やっぱり可愛い…………!!」
現在この部屋の主役となっているは、持ち主のフランチェスカではない。
黒い髪に金色の瞳、そしてぷにぷにした輪郭の頬と小さな手足をした、とても可愛らしい男の子だ。
(ちっちゃくなったレオナルド、熊さんのふわふわパジャマがすごく似合う……!!)
「…………」
寝台に座ったフランチェスカは、自らの膝に乗せたレオナルドをむぎゅっと抱きしめて、あまりの愛らしさに身を震わせた。
寝台にたくさん並べたのは、積み木や絵本などの子供向け玩具だ。そこにお菓子も置き、フランチェスカのぬいぐるみも添えて、レオナルドの周囲を賑やかに演出している。
そして当のレオナルドには、温かくてもこもこした素材で作られ、フードに小熊の耳がついたパジャマを着てもらった。
(グラツィアーノは一度も着てくれなかったパジャマ。可愛すぎて捨てられなかったのを、まさかレオナルドに活用してもらえるなんて!)
「…………」
フランチェスカもナイトドレスを纏い、グラツィアーノにも部屋に来てもらって、今夜はパジャマパーティなのだ。
子供体温のレオナルドを抱えたフランチェスカは、丸い輪郭を覗き込みながら、彼の偽名を呼んだ。
「その熊さんパジャマどうかな、『シルヴェリオ』くん。あったかい?」
「……うん! あったかいよ、フランチェスカちゃん」
抱き締めているレオナルドからの返答が、ほんの少しだけ遅かった気がする。
それを不思議に思っていると、寝台横に置いた椅子へ斜めに座ったグラツィアーノが、なんだか面白くなさそうに言った。
「お嬢。チビとはいえそいつも男なんですから、ぬいぐるみみたいに抱き締めてちゃ駄目っすよ」
「うん。俺も、グラツィアーノおにいちゃんの言う通りだと思うなあー」
(でも、中身はレオナルドだし)
そんなことを考えていると、振り返ったレオナルドが小さな声で、まったく同じことを口にする。
「……フランチェスカ。忘れていないとは思うが、中身は俺だ」
「え? うん、勿論分かってるよ。大丈夫!」
グラツィアーノに聞こえない音量の内緒話だが、レオナルドはなんだか曖昧な苦笑を浮かべた。少し困っているように見えるのは、パジャマが趣味に合わないからだろうか。
「グラツィアーノ、そっちの箱にある玩具も出してみて!」
「ったく。あんまりチビを甘やかすのも、俺はよくないと思いますけどね」
寝る前だというのにクッキーを齧りつつ、グラツィアーノが赤い玩具箱を開けてくれる。
「チビ。お前今日、放課後にお嬢を迎えに行ったんだって?」
「うん! おへやであそんでたら、フランチェスカちゃんをおむかえに行くって教えてもらったから、俺も一緒に乗せてもらったんだ」
ふたりの話している通りだ。今日のグラツィアーノは、輝石の捜索に協力するフランチェスカの父のため、放課後すぐに学院を後にした。
ひとりで帰宅しようとしたフランチェスカの元に、レオナルドを乗せた馬車がやってきたのである。
「仕方ねえな。お嬢の護衛の任務をこなしたチビと、存分に遊んでやるとするか」
「わーい。ありがとう、おにーちゃん!」
(ふふ。グラツィアーノ、本当に張り切ってるなあ)
フランチェスカは、グラツィアーノが玩具箱を開けているその隙に、ひそひそとレオナルドに耳打ちした。
「……着せ替え人形みたいにしちゃってごめんね、レオナルド。だけど、我が家に小さな子がやってきたのに、私がこうやってはしゃがないと不自然だから……」
「謝らなくていいさ。君が楽しいのなら、着せ替えぬいぐるみ扱いも甘んじて受け入れよう」
「う。バレてる!」
レオナルドに見抜かれたふりをして、フランチェスカは大袈裟に動揺してみせた。
(だけど、本当は)
膝の上のレオナルドを抱っこしたまま、内心でこっそり考える。
(子供の姿のレオナルドのことを、いっぱい肯定してあげたいんだ。……レオナルドはあんまり、小さな頃の自分のことを、好きじゃなさそうだから)
レオナルドが過去を語るときは、いつだって自嘲めいた微笑みを浮かべている。
人情家だったという父や兄を好ましく思いながら、守れずに庇わせて死なせたことへの罪悪感が、レオナルドを自罰的にさせるのだろう。
レオナルドはくすっと笑い、フランチェスカに身を預けながら目を伏せる。
「君は優しいな。フランチェスカ」
(……私のそういう考えも、バレちゃってるなあ)
相手がレオナルドなのだから当然だ。後ろから表情を窺おうとすれば、レオナルドもこちらを振り返った。
「俺は君の、そういうところが……」
「ん?」
「ふふ。なんでもないよ」
フランチェスカは首を傾げる。命令を忠実に守ってくれていたグラツィアーノが、玩具箱の底から木製の剣や銃を取り出した。
「ほらチビ、シルヴェリオ。お嬢がガキだった頃の俺を、『修行』と称してぶっ叩いた武器が出てきたぞ」
「た、叩いたんじゃないよシルヴェリオくん、あれは事故だったの! だけどあのときはごめんねグラツィアーノ!」
「フランチェスカちゃんの小さかったころのお話、もっとききたいな」
「というかちょっと待て。お前いつの間にお嬢のこと、フランチェスカちゃんなんて呼び方してんだ?」
三人でそんなお喋りをしていると、階下から誰かが上ってくる足音が聞こえた。
「あ。この足音……」
ノックの音が三度鳴り、フランチェスカは「どうぞ!」と声を掛ける。
そして扉が開いた先には、想像通りの人物が立っていた。
「おかえりなさい、パパ!」
「――ああ。ただいま、フランチェスカ」
帰宅した父エヴァルトが、フランチェスカの膝に乗せられたレオナルドを見遣る。
「おかえりなさい。フランチェスカちゃんのパパ!」
「――――……」
にこっと笑ったレオナルドに対し、父が絶対零度のまなざしを向けた。
(あれっ)
それを見て、フランチェスカの背筋が冷える。
(ひょっとしてパパ。――『シルヴェリオ』くんの正体に、気付いてる?)




