154 本物
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この日、王立学院の二年生は予定通り、芸術鑑賞の授業の一環で美術館を訪れていた。
生徒たちはひとり一冊のスケッチブックを手に、館内を見学して回る。
そこで自分の気に入った美術品を見付けたあとは、それをよく観察して絵に描き起こし、後日改めて美術の授業で色を塗るそうだ。
(レオナルド、本当に大丈夫かなあ……)
ひとりぼっちのフランチェスカは、美術館内をてくてく歩きながら、親友を案じて息をついた。
同級生たちはふたり以上のグループになり、楽しそうに美術品を見て回っている。フランチェスカはレオナルド以外に友達がいないので、単独行動だ。
今日は二年生だけの課外授業であり、一年生のグラツィアーノは参加していない。
リカルドも学院には来ていなかった。恐らくは輝石のすり替えにより、ラニエーリ家に協力を要請されているためだろう。
(レオナルドへのお土産話になるようなもの、探して帰ろう。……あ、これってシュリカ地方の宝玉!? ゲームでキャラクターのスキル育成に使う強化素材! こっちの世界での本物は初めて見た……あれもゲームで見たことある!)
そんなことを考えながら歩いていると、通路の先に人だかりの出来た部屋が見えた。
「あった、あの部屋だ! ミストレアルの輝石が展示されているらしいぞ」
「展示期間は一ヶ月しか無いんだっけ? 並んでこようぜ」
話しているのは学院の生徒ではなく、一般の入館者だ。老若男女さまざまな人が入り混じり、みんな楽しみにしているらしい。
(ミストレアルの輝石が偽物になっていることを、ラニエーリ家はまだ隠し通せている。だけど定期的に他国から視察が来るんだから、いつまでも誤魔化せない。冬には聖夜の儀式があって、そこでミストレアルの輝石を使う訳だし……)
やはりゲームシナリオを知るフランチェスカが、捜査の情報を提供した方が良いのかもしれない。
(……ダヴィードに、会ってみようかな。レオナルドのことをソフィアさんにどう伝えたのかも気になるし、怪我……)
そのとき、フランチェスカは気が付いた。
「…………え?」
美術館の通路を曲がった先の壁に、真っ黒な穴が空いている。
「ん……っ!!」
それを認識した瞬間に、中から人間の腕が出てきた。そこから声を上げる暇もなく、フランチェスカは穴の中に引き摺り込まれる。
「あれ? ついさっき、赤い髪の女子がここを歩いてなかったか?」
「はあ? 怖いこと言うなよ、誰も居ないだろ」
通路を通り掛かった男子生徒たちが、消えたフランチェスカには気付かずに歩いてゆく。
人通りの少ない通路に残ったのは、静寂だけだ。
***
「……ぷは……っ!」
壁に空いた穴へと引き摺り込まれ、口を塞がれていたフランチェスカは、その手から解放された瞬間に息を吸い込んだ。
「すごい……!! ここ、壁の中の隠し部屋!?」
六角形の小さな部屋は、物置のような空間になっているらしい。
絨毯の上に座り込んだフランチェスカは、周囲を一度見回したあとで、自分をこの部屋に引き込んだ犯人のことを見上げる。
「こんな部屋のことを知ってるなんて、さすがだね。――ダヴィード」
「……ふん」
制服のシャツや上着を着崩し、両手をポケットに突っ込んだダヴィードは、つまらなさそうにフランチェスカを見下ろしていた。
「言っておくが、騒ぎ立てるなよ。大声を上げたら……」
「そんなことよりも!」
昨日も似たような言葉選びで、ダヴィードの言葉を遮ったような気がする。けれどもフランチェスカはやはり、昨日と同じようなことが気に掛かった。
「あれから腕はどう? 私が下敷きにしちゃった所、あとになって痛くなったりしてない!?」
「……は」
「なんだか昨日より顔色も悪いし! ひょっとしてあまり寝てないんじゃないの!? 傷が痛かったことが原因じゃ……」
「うるせえ、静かにしろ。俺は美術館で騒ぐやつが大嫌いなんだよ」
「ご、ごめん……!」
はっとして両手を口で塞ぐが、この部屋は防音加工がされているようだ。フランチェスカは話し声が何処にも漏れていないことを察しつつ、改めて確かめる。
「……それで、怪我と体調は?」
「ちっ。……なんともねえよ、寝不足は家が慌ただしかった所為だ。色んな人間が出入りして、耳障りで仕方ねえ」
(本当かなあ。ゲームシナリオで語られるエピソードでは、ダヴィードがこっそり徹夜で輝石盗難の調査をするシーンがあるけど……)
とはいえひとまず、ダヴィードがひどく体調を崩したということはなさそうだ。
「本当に、大丈夫なんだね。……よかったあ」
「…………」
心から安心して微笑めば、ダヴィードはなんだか苦しそうに顔を顰める。
フランチェスカから目を逸らし、小さな声でぽつりと呟いた。
「……なんなんだよ、昨日から。会ったばかりの俺のことを、何度も何度も心配しやがって……」
「ん? どうかした?」
「どうもしねえ。それよりお前、俺がこの部屋に引き摺り込んだとき、なんで抵抗しなかった?」
思わぬことを質問されて、フランチェスカは首を傾げる。
「そんなことない。ちゃんとびっくりしたよ?」
「嘘つけ。怯えた反応どころか、警戒心すら出さなかった癖に」
「だって、敵意がある拉致じゃなかったから……」
「は?」
訝しそうなダヴィードに対し、遠い目をしてこう答えた。
「小さい頃から、誘拐されるのに慣れちゃってて。……どういうタイプの誘拐か、攫われた時点で分かるんだよね……」
「………………」
厳密には前世から慣れているのだが、それはもちろん口にはしない。
(あ。ドン引きされてる)
しばらく固まっていたダヴィードは、けれどもやがて少し俯き、ふるふると肩を震わせ始めた。
「……は」
「ダヴィード?」
「ははっ、は。……なんだよそれ、誘拐慣れって」
堪えきれなかったらしき笑いを溢し、ダヴィードがフランチェスカを見遣る。
「……変な奴」
(ダヴィードが、笑ってる!)
目を丸くしたフランチェスカを見て、ダヴィード自身もはっとしたらしい。一気に耳を赤くして、口元を手で押さえたまま顔を逸らした。
「……じろじろ見んな」
「ご、ごめん! ……ええと、そうだ、この部屋はラニエーリ家の隠し部屋? 美術館にはよく来るんだね!」
慌てて話を変えてみるが、ダヴィードは会話に付き合ってくれるようだ。
「ここには、『本物』しか無いからな」
「……ダヴィード」
「だからこそ、偽物ごときが堂々と展示されてる状況なんざ、許せねーんだよ」
ダヴィードは美術品を愛するキャラクターで、美しいものを尊んでいる。そのことは、シナリオ上で何度も語られる情報だ。
そしてダヴィードの美しい手には、一丁の銃が握られていた。
「お前、輝石について何か知っているな?」
「…………」
銃口が、フランチェスカに向けられる。