151 一緒に、
一体何が起こったのか分からず、フランチェスカは目を丸くした。
「それに服! やっぱり勝手に大人用に戻るんだ、そのシャツ姿で寝にくくなかった!?」
「ははっ。気にする所がそこなのか、フランチェスカは面白いなあ」
「確かに間違ってた!! そうだよね、一体どうなってるの!? いつ大人に戻っ……わぷ!」
そのとき、ばさっと衣擦れの音がした。
フランチェスカはいつのまにか、レオナルドと一緒に布団へ潜るような状態になっている。挙句に口元を手のひらで覆われて、すぐさまその理由を察した。
「……っ」
誰かが三度、客室の扉をノックしたのだ。
「チビすけ。朝だぞ」
(グラツィアーノ……!)
朝に弱いはずのグラツィアーノが、この部屋の前にやってきている。
横向きの体勢で向かい合ったレオナルドは、寝台の中でフランチェスカを見詰め、くちびるの前に人差し指を翳した。
「しー……」
『静かに』と合図をされて、こくこく頷く。
ここはレオナルドのための客室で、フランチェスカは昨日の夜、こっそり部屋を抜け出した身の上だ。
「チビ。まだ寝てんのか?」
(ど、どどど、どうしよう……!)
グラツィアーノはフランチェスカの世話係だが、主人は父になる。
フランチェスカが父の言い付けを破り、この部屋にいることが見付かれば、グラツィアーノは報告せざるを得ないのだ。
「……まさか」
何かを察したらしきグラツィアーノが、少しだけ声を低くした。
「この部屋に、お嬢が居たりしないだろうな?」
(うわあバレそう……!! そうだよね、グラツィアーノの部屋に潜り込んだ常習犯が私だもん!!)
客室の扉は施錠しているが、グラツィアーノのスキルには身体強化などがあるのだ。
フランチェスカの一大事かもしれないという名目があれば、扉ごと叩き壊したり、扉の中に転移されてもおかしくない。
「困ったな? フランチェスカ」
一緒に隠れているレオナルドが、フランチェスカを覗き込んで微笑んだ。
「このままあいつに見付かって。元の姿に戻った俺と、ベッドに居たことがみんなにバレて」
「れ、レオナルド……?」
揶揄うように目を眇めたレオナルドの表情には、なんだか妙な色気が滲んでいる。
「……そういう悪いことをしたんだって、俺と一緒に怒られようか?」
「……!」
心臓が一度どきりと跳ねて、フランチェスカは息を呑んだ。
「そ、それは駄目……!」
「冗談だよ。俺はともかく、君の名誉に傷が付くなんてあってはならない」
「名誉? そうじゃなくて。私が無理やり一緒に寝たんだし、レオナルドに責任はひとつもないんだもの!」
そう告げると、今度はレオナルドの方が驚いたような顔をする。
「怒られるなら、私ひとりが……」
「……揶揄ってごめんな。ここで待っていてくれ、フランチェスカ」
「レオナルド?」
レオナルドが起き上がったと思ったら、フランチェスカに再び上掛けが被せられた。
「俺たちはただの友人だ。誤解のないように説明してこよう」
「あ!」
フランチェスカが止める暇もなく、レオナルドが寝台から降りた気配がする。それと同時にグラツィアーノが、少しだけ苛々した声で言った。
「おいチビ。まだ寝てるだけか? 部屋に入るぞ」
(駄目、色々とバレちゃう……!!)
フランチェスカがレオナルドを止めるべく飛び起きようとした、そのときだった。
「おい! 客人のチビは置いといて、一旦降りて来いグラツィアーノ!」
「……シモーヌ先輩?」
「もっと重要なお客さまだ!! お迎えするのに手が足りねえ、さっさと来い!」
部屋から少し離れた場所で、構成員の声がする。寝台の中でぴたりと動きを止めたフランチェスカは、予想外の状況に首を傾げた。
「なんなんすか、まったく。……おいチビ、もうすぐ朝飯だからな。起きたんなら早く降りて来いよ」
(な、なんだか分からないけど助かったのかな? だけどここで返事をしないと、また怪しまれちゃう……)
しかし、そこで聞こえてきたレオナルドの声は、フランチェスカを更なる混乱に叩き落とした。
「……うん、おにーちゃん!」
(……小さい子の声!?)
今度こそ勢いよく飛び起きて、フランチェスカは目を丸くする。
扉の前に立っていたのが、相変わらず仕立てのいい子供服に身を包んだ、幼児の姿のレオナルドだったからだ。
「レオナルド!! ま……また子供の姿になっちゃったの!?」
「ああ。どうやらそうらしい」
「自分の体のことなのに、さっきから落ち着きすぎじゃないかなあ!」
再び小さくなったレオナルドは、昨晩眠る前と同じサイズ感で変わらない。先ほど一時的に大人に戻ったのが、まるで夢か幻のようだ。
(レオナルドが大人に戻る条件は、ゲームの私と違うの……?)
「フランチェスカ。この家が、重要なお客さまとやらを迎えているうちに……」
「そうだった! 部屋に戻るねレオナルド、また後で!」
レオナルドの返事を待たず、フランチェスカは急いで窓から抜け出す。すると屋敷の正面に、豪奢な作りの馬車が見えた。
(ラニエーリ家からのお遣いかな? 輝石の件で何か進展があったのかも。……ゲーム三章で起きる事件、この章で鍵になる人物は、やっぱり……)
***
「――ダヴィード坊っちゃま」
「…………」
ラニエーリ家の執事に呼び掛けられて、ダヴィードは不機嫌に眉根を寄せた。
飴色に磨き上げられた骨董物のテーブルには、昨晩の来客リストが広げられている。
ダヴィードの前に、要望通りの濃さの紅茶を出した執事は、いささか心配そうに進言してきた。
「ご覧の通り、もう朝日も昇っています。ソフィアさまのお手伝いをなさりたいそのお気持ちは、十分に理解しておりますが……」
「誰が姉貴の為なんて言ったよ。俺はただ、輝石を『偽物』にすり替えやがった屑が許せねえだけだ」
執事の言葉を切り捨てて、リストを捲る。
昨日ホールに居た人間の所持品や、ホールを出入りした時刻、スキルについてを入念に調べ上げたものだ。
(本物の輝石を持っていた人間も、不正に出入りした人間も、輝石をすり替えられるようなスキル持ちも居なかったと調べられている。……ただし、あいつらを除いて)
ダヴィードの脳裏に浮かんだのは、アルディーニ家の当主である人物だ。
それからもうひとり、赤い薔薇のような色の髪を持つ、『フランチェスカ』という名の少女のことだった。
「……おい。リストの作成は本当に完璧だったか? 夜会の直前になって、急遽参加すると言い出したり、反対に取り止めると言った人間は?」
「た、確かおひとりだけ。カルヴィーノ家のご令嬢フランチェスカさまが……」
「…………」
思い浮かべたばかりの名前が出てきたことに、ダヴィードは舌打ちをする。
「仮眠を取ったら学院に行く。馬車を手配しとけ」
「ダヴィード坊っちゃま……」
「それから」
用意させたばかりの紅茶を、残さず一気に飲み干したダヴィードは、執事の方を見ないで告げた。
「……姉貴にも、さっさと寝ろって伝えて来い。あいつが寝不足で酒飲むと、絡み酒になってうっとうしいからな」
「……はい。必ずやお伝えいたしましょう、坊っちゃま」
「おい。笑いを堪えてるの、気付いてねーとでも思ってんのか」
苦々しい気持ちで言い捨てつつ、寝室に向かいながらぽつりと呟く。
「……カルヴィーノの娘。あいつ……」
***
レオナルドの客室から部屋に戻り、朝の身支度を済ませたフランチェスカは、『来客』の正体に唖然としていた。
「な……ななな、な」
「おお、おはようフランチェスカ。早起きをしていて偉いなあ」
その人物は屋敷のエントランスに立っているが、少なくとも気軽に朝の挨拶を交わしていい相手ではない。
「さあ。こちらにおいで」
ぽかんとするフランチェスカに対して、幼い少年の姿をした彼が笑う。
「孫同然のお前さんに、ご褒美の菓子でもやろうじゃないか」
「国王陛下――……じゃなかった、ルカさま!」
そこにはこの国の頂点でありながら、『気軽にルカと呼んでくれ』と笑う国王が、上機嫌な様子で佇んでいるのだ。