143 「やっちゃった」
「……余計なことを」
舌打ちしたダヴィードが見遣ったのは、フランチェスカが被っていた着ぐるみの頭だ。
「その不気味な被り物。今ので壊れて……」
「――そんなことより!!」
「!」
フランチェスカは慌てて起き上がると、すぐさまダヴィードの腕を取った。
「ごめんなさい、あなたの腕を下敷きにしちゃった!! 私が背中を打たないようにしてくれたでしょ、痛くない……!?」
「ああ?」
「腕を見せてね、ちょっと袖まくるね? ……よかった、何処も腫れたりはしてないみたい……」
「…………」
ダヴィードの手に触れ、必死に観察するフランチェスカのことを、彼は怪訝そうに眺めている。
「手首や肘の関節、ちょっと動かすよ。痛くない?」
「……別に」
「それからさっき、具合が悪そうだったよね? 顔色もあんまり良くない。人を呼んでくるから座ってて、お水も――……」
「待て」
立ち上がろうとしたフランチェスカの手首を、今度はダヴィードの方が掴んだ。
バルコニーの床に片膝を立てて座った彼は、引き続き妙なものを見る目をしている。
「余計なことすんな。ホールに下品な香水の匂いが充満してて、吐き気がしただけだ」
「……本当に?」
「だから外の空気吸いに来てんだろ。お前こそ」
ダヴィードは面倒臭そうに顔を歪め、フランチェスカの姿を見遣った。
「俺の巻き添えになって転んだ所為で、ドレスがあちこち汚れてんぞ」
「あ。本当だ」
「それからそっちの不細工な着ぐるみ頭。さっきも言ったが、落ちた衝撃でヘコんでる」
ダヴィードの言う通り、地獄ゾンビの頭はべこべこだ。
それでもフランチェスカは、優先すべき事項を改めて確かめた。
「……本当に本当に、本当に大丈夫? ぶつけた直後は痛くないこともあるから、ちゃんと様子を見てね」
「人の話聞いてんのか。『俺にお節介を焼いた結果、魔灯夜祭の衣装が台無しになってるぞ』って言ってんだよ」
「うん。だけど」
フランチェスカが飛び出したことで、ダヴィードが倒れる際の衝撃を和らげることが出来た。
その分、フランチェスカを庇わせてしまう形にはなってしまったものの、大事には至らずに済んだはずだ。
「衣装よりも、あなたが怪我をしないことの方が大切だから」
ダヴィードが無事で済んだことを嬉しく思い、心から安堵して微笑んだ。
「本当に、よかった……」
「っ、な……」
その瞬間、フランチェスカを見下ろしたダヴィードの耳が赤く染まる。手首をぱっと離してくれた彼に、不思議に思って首を傾げた。
「あれ? 顔色、一気に良くなったね」
「……うるせえ。人の顔をじろじろ見んな」
「わ、それはごめん! ええーと……」
依然としてバルコニーの床に座ったまま、フランチェスカは我に返る。
(うん。……うん、やっちゃったなあこれは……)
思いっきり晒してしまった顔を覆い、頭を抱える勢いで俯いた。
(……ダヴィードと、思いっきり接触しちゃった……!!)
「?」
先に立ち上がったダヴィードが、フランチェスカを見下ろしている。けれどもそれに反応する余裕はなく、ぐるぐる渦巻く思考を整理した。
(着ぐるみ外れて顔も見られたし、結構しっかりした会話まで……! でもまだ大丈夫、ただの通りすがりを貫こう!!)
「……おい」
(ちょっとぶつかってお喋りしただけだもの。そんなにダヴィードの印象にも残ってないはずだし、私の素性を隠したまま解散すれば、いつかは存在も忘れてくれるはず……)
「おい。お前、カルヴィーノ家のひとり娘だろ?」
「ぎくう……!!」
悲しいほどに隠せていない。肩を跳ねさせたフランチェスカを見て、ダヴィードは鼻を鳴らす。
「俺のことも、知らないとは言わせねーぞ。学院で接触しそうになる度に、俺のことを避けてただろ」
「ううううう…………」
そこまで気付かれていたのであれば、もはや言い逃れも出来ないだろう。
「だ……だだだ、だ。ダヴィードさん」
「ああ?」
そう言ったフランチェスカのことを、ダヴィードはますます不機嫌そうに睨む。
(……今更考えても仕方ない。あそこで飛び出してなかったら、ダヴィードはきっと怪我をしてたし……それが回避できたんだから何よりだ。うん、本当に良かった!)
後悔の気持ちは無いのだから、間違っていなかったと考えることにする。
(接触した事実はどうしようもないよね。これからどう行動するか、そっちに思考を切り替えよう!)
するとそのときダヴィードが、低い声でぼそりとこう言った。
「……さん付けやめろ。気持ち悪ぃ」
「!」
意外な言葉に驚いて、フランチェスカは顔を上げる。
するとダヴィードは、そのぶっきらぼうな台詞とは裏腹に、フランチェスカの方へと手を差し出していた。
「早くしろ。腕が疲れる」
「え。もしかして、この手……」
「……『床に座り込んだ女子を放置した』なんて知られたら、俺の方が姉貴に床に沈められるんだよ」
素っ気なく突き放すような物言いだ。けれどもダヴィードの手は間違いなく、フランチェスカを助け起こすためのものだった。
「……ふふ。ありがと!」
「さっさと立て」
本当はひとりでも大丈夫なのだが、この思い遣りは受け取りたい。フランチェスカはダヴィードの手を借りて立ち上がり、もう一度お礼を言ったあとに、ドレスの裾を手で払った。
「おい、その生地をそんな雑に扱うなよ。隣国でも希少な布だろうが、容赦なく叩くな」
「すごいね、一目で分かるの!?」
「俺からすれば、区別がつかない大多数の人間の方がどうかしてる」
刺々しく言い切ったダヴィードを前に、しみじみと感じた。
(不良っぽい言動があるダヴィードだけど、さすがは『優美』を信条とするラニエーリ家の次期当主。キャラクターのプロフィールにも、『美術品や芸術、美しいものを愛している』って書かれてるんだよね)
そんなダヴィードにとって、ミストレアルの輝石は気になるものだろう。彼の目から見た輝石について聞いてみたくて、フランチェスカは口を開く。
「ねえダヴィード。展示されている輝石だけど……」
その瞬間、突如として風が吹き荒れた。
「わ……っ!?」
「!」
思わず目を瞑ったと同時に、辺りからふっと灯りが消えたのを感じる。
こうした風でシャンデリアの灯が消えるのは、グラツィアーノの父が狙われた際にもあったことだ。
(シナリオ通り。輝石が狙われてる……!)
「くそ、姉貴!」
輝石の危機であることを察知したダヴィードが、真っ先に駆け出した。
「真っ暗だよ、気を付けて!」
「うるせえ! お前はそこで、じっとして……」
ダヴィードとふたりで暗闇のホールに戻った、そのときだ。
「――――!?」
大きな地響きと共に、世界が揺れた。
「うわああああっ、なんだ!?」
「地震よ!! きゃあっ、テーブルが……!!」
(何これ!? こんな地震、シナリオには無い……!!)
暗さに慣れ始めた視界の中で、怯えてしゃがみ込む人たちの姿が見える。混乱した誰かが逃げようとしたのか、フランチェスカにぶつかった。
「ひゃ……!」
「おい!!」
それに気付いたダヴィードが、転びそうになったフランチェスカに手を伸ばす。
けれどもそのとき、大きくて力強い誰かの手が、フランチェスカを抱き寄せた。
「――レオナルド!」
「平気か? 俺のフランチェスカ」
たったひとりの親友が、微笑んでこちらを見下ろしている。