142 接触しない
この時点で、すでにゲームのシナリオと違っている。
そして『一章』と『二章』から学んだのは、このような相違は見逃すべきではないということだ。
「ごめんね、私はダヴィードを偵察してくる。レオナルドには、さっきお願いしたことを頼んでもいいかな?」
「心配だから、ひとりで行かせたくはないんだが。……君のおねだりだ、従おう」
「ありがとう!」
フランチェスカは、頭の被り物がずれないように両手で押さえつつ、ダヴィードの消えたバルコニーの方へ向かう。
けれども内心で思い出すのは、たったいまレオナルドが見せた、穏やかな微笑みのことだった。
(……レオナルド。やっぱりこの頃は何かを隠して、とっても寂しそうな気がする……)
***
「……アルディーニ!」
「ああ。リカルド」
セラノーヴァ家の次期当主リカルドは、仮装だらけの参加者たちを掻き分けて、その男の元にようやく辿り着いた。
海賊の仮装に身を包んだ黒髪の男は、金色の双眸を楽しそうに眇める。
リカルドが手にしていたグラスの片方を差し出してやると、アルディーニは笑ってそちらではなく、リカルドが自分用に確保した方のグラスを手に取った。
「俺のところに来ていいのか? フランチェスカのお父君に、要人との繋がりを取り成してもらっていたんだろう」
「何を白々しいことを……。あれ程あからさまな『呼び出し』をしておいて、俺の気の所為だったとは言わせんぞ」
「ははっ」
リカルドがカルヴィーノ当主に伴われた挨拶の場を抜け出し、こうしてアルディーニの所に来たのは、この男の合図があったからだ。
挨拶中だったリカルドは、十分ほど前に視線を感じた。
さり気なく周囲を探ってみれば、隣にフランチェスカらしき着ぐるみを連れたこの男が、リカルドにささやかなウインクをしたのだ。
「それと、フランチェスカはどうした。とんでもない着ぐるみ頭部を着けていたのは彼女だろう?」
「おやおや、女の子の行き先をあけすけに聞くとは。リカルドくんは無粋だなあ」
「!? お、俺はそんなつもりは無く……!!」
しかしアルディーニの言う通り、デリカシーの無いことを尋ねてしまったかもしれない。
(く……っ!! なんということだ、気を付けねば……!! もしかしたらこれまでも、フランチェスカに無神経な質問をしていたのかもしれん)
リカルドが俯いて猛省していると、アルディーニは声を上げて笑う。
「嘘だよ。リカルドの方が、よっぽどフランチェスカに対して誠実だ」
グラスの中身を揺らした彼は、独白のような声音をぽつりと紡いだ。
「フランチェスカにとって何よりも大切な『友情』を、守ってやりたいのにな。……壊さず、大事に」
くちびるが動いたのは分かるものの、アルディーニがどんな言葉を紡いだのかは、リカルドの耳にまで届かない。
「今なんと言った? 聞こえんぞ、アルディーニ」
リカルドが眉根を寄せて尋ねると、アルディーニはそこで表情を変えた。
「なんでもないよ。さてと」
「!」
アルディーニが次に浮かべた微笑みは、至って人懐っこいものだ。
「そんな誠実なリカルドくんは、これから起きるかもしれない事件を放置したりしないよな?」
「な、なんだ急に。肩を抱くな!」
「ほらほら、俺と内緒話をしよう。参加者どもなんて俺はどうでも良いんだが、フランチェスカが守りたがるから仕方ない」
「なんの話だ!? おい、アルディーニ!!」
そしてリカルドは成す術もなく、事態に巻き込まれてゆくのだった。
***
(……本当に、ダヴィードが居た……)
レオナルドから離れたフランチェスカは、極限まで気配と足音を消しながら、バルコニーの様子を探っていた。
魔灯夜祭のシーズンは、仮装こそが夜会の正装だ。
けれどもバルコニーに立つダヴィードは、普段の夜会で着るような外出着を纏っている。
前のボタンを開けて着崩し、全体的に開放的なアレンジを加えているものの、根本にある育ちと品の良さが隠せていなかった。ダヴィードは手摺りに凭れ掛かり、ひとりで夜空を見ているようだ。
(入場のときにこっそり確認したリストにも、ダヴィードの名前は載ってなかったのに)
もちろんあれはラニエーリ家の作ったリストであり、警備を担当するのも彼らである。リストに無かったことだけならば、些事と言えたかもしれない。
だが、ゲームシナリオとの変化点には注意するべきだろう。
(シナリオと違うところについての情報収集は、レオナルドじゃなくて私がやらなきゃ)
ホールの隅のカーテンに隠れて、着ぐるみの中からじっと観察する。
(大丈夫。この距離なら、ダヴィードに気付かれずに済むはず……! 平穏な生活を得るためにも、ダヴィードとは絶対に接触しないで様子を……)
「……どいつも、こいつも」
手摺りから離れたダヴィードが、額を押さえて低い声で呟く。
「人を勝手に、『次期当主』呼ばわりしやがって……」
次の瞬間に、フランチェスカは目を見張った。
「――――っ」
苦しそうに顔を歪めたダヴィードが、ふらついて倒れ込みそうになったのだ。
「危ない……!!」
「!!」
カーテンから飛び出したフランチェスカは、ダヴィードを助けるべく手を伸ばした。
ダヴィードが、それに気が付いて目を見開く。
「な……っ」
けれども少女の体では、長身の青年を支えられない。
結果として、ほとんどダヴィードの下敷きになるような格好で、フランチェスカはダヴィードに押し倒される。
「んん……っ!」
「――――……っ」
被っていた着ぐるみの頭部が脱げて、離れた場所に落下した。
背中を打ったと思ったのに、痛みはまったく感じない。
それはどうやら、フランチェスカと一緒に倒れた青年が、咄嗟にその腕をクッションにしてくれたお陰のようだ。
「……お前……」
視線を上げたその先に、色気のある切れ長の双眸が見えた。
さらさらとした金色の髪は、首筋や鎖骨に掛かるほどの長さがある。その金髪が重力に従って流れ、まるで絹糸のカーテンのようだ。
その芸術的な美しさと、ソフィアと同じ褐色の肌を目の当たりにして、フランチェスカは自分の状況をようやく飲み込む。
(…………ダヴィード)
ラニエーリ家の次期当主である青年が、仰向けに転んだフランチェスカの上に、向かい合うような形で覆い被さっていた。