132 おまじない
「だめ、というか」
どういうことなのかが分からなくて、フランチェスカははくはくと口を開閉させる。じっと観察されているのだが、そんなことに反応してはいられない。
(……もしかして、親愛のやつ!?)
頬などに挨拶でキスする光景を、前世で何度か見たことはある。けれども転生先であるこの世界に、挨拶で口付ける習慣は無いはずだった。
(それとも私が知らないだけで、社交界には存在してたとか!? さらに私が知らないだけで、友達同士でのキスはあるのかも。私が! 友達を!! 知らないだけで……!!)
何よりもレオナルドのお願いだ。叶えてあげたい気持ちはあるのだが、いかんせん壁が高すぎる。
「キスって、くちびるでするあのキスだよね……?」
「ははっ。そうだな」
「ううう……!!」
念の為確認してみたところ、あっさり肯定されてますます焦った。
寝転んでくったりと体の力を抜いているレオナルドは、妙な色気を帯びている。
薄いくちびるは綺麗な形をしており、芸術品のように美しいと思うのだが、それに口付けられるかは別問題だ。
(さすがに、このくちびるにキスをするのは――……)
決して嫌悪感がある訳ではない。
しかしなんだかそれこそが、気軽にキスの出来ない最大の要因であるような気がした。フランチェスカがぐるぐると葛藤していると、やがてレオナルドがふっと笑う。
「冗談だよ。フランチェスカ」
「!」
安心させるようなその声音は、とてもやさしいものだった。
「君の困った顔が見たかったんだ。こんな悪い男の悪戯に、まんまと引っ掛かる必要はない」
「……レオナルド」
「俺のために真剣に悩んでくれる。ただそれだけで、十分だ」
そう言って体を起こしたレオナルドが、大きく自由に伸びをした。
「行こうか、フランチェスカ。君としばらく会えない日々を耐えて、また学院で……」
「っ、待って!」
手を伸ばし、レオナルドの首元で緩んだネクタイを掴んで、フランチェスカはそれを引く。
「――――……」
意を決してくちびるで口付けた先は、前髪を掻き上げたレオナルドの額だ。
ちゅっと小さな音を立て、すぐに離したつもりなのだが、思いの外恥ずかしくて頬が熱くなる。
「っ、おまじない……! さびしくないようにと、それから」
「……フランチェスカ」
「レオナルドの熱が、出ませんようにって――――……わあ!!」
ぐっと強引に抱き寄せられて、フランチェスカは声を上げた。
こうしてレオナルドに抱き締められるのは、もう何度目のことだろうか。そろそろ慣れてきてもいいはずなのだが、いまは心臓の鼓動が早い。
「……もう一回」
「!?」
更なる懇願にびっくりして、フランチェスカは目をまん丸くした。
いつものように悪戯っぽい声音であれば、冗談だと判断していたかもしれない。けれどレオナルドの振る舞いは、決して見なかったことに出来ないような切実さを帯びている。
レオナルドがフランチェスカの首筋に、甘えるように額を擦り付けた。
こんなに人懐っこく振る舞うくせ、本当に欲しいもののねだり方をあまり知らない、そんな子供のようでもある。
「……っ」
勇気を出し、今度は彼のこめかみに口付けた。レオナルドがふっと小さく息を吐くと、それがフランチェスカの鎖骨の辺りに触れてくすぐったい。
レオナルドは顔を上げないまま、さらにこう続けるのだ。
「……フランチェスカ……」
(まだ、おねだりされてる……!!)
それがはっきり分かる呼び方をされても、フランチェスカの限界は近かった。そもそも額などへのキスだって、今世の父にすらしたことはない。
「も、もうだめ……」
ずっしりと体重を掛けるように抱き込まれているため、絶対に痛くない強さでぺちぺちとレオナルドのことを叩く。これは拒絶ではなく、降参の合図だ。
「レオナルド!」
「……ん」
物分かりの良いふりをしたレオナルドは、それでいてますますフランチェスカのことを強く抱き締めるのだった。
「分かっている。嫌だよな」
「そうじゃなくて!」
レオナルドに誤解されないよう、はっきりとした言葉選びで断言する。
「……ものすっごく、恥ずかしいの……!」
「…………」
嫌ではないのだということだけは伝えたい。その意図が伝わったのか、レオナルドが驚いたような気配がした。