131 お願い
レオナルドが居ないということで、アルディーニの構成員たちが困っていたのだ。なんとなく人目に付かないところで休んでいる気がして、この湖まで探しにやってきた。
レオナルドが横たわっているのは、白い野花の咲く草の上である。
上着を脱いでシャツの袖をまくり、ちょうど木陰になる位置へ仰向けになっていた。レオナルドが寛いでいる姿は、無防備に見えるのに隙がない。
フランチェスカがひょいっとその顔を覗き込むと、彼は眩しそうに目を眇めた。
「君、帽子は?」
「グラツィアーノにあげちゃった」
「ふーん……」
その手が伸びてきて引き寄せられ、陽射しの当たらない木陰に座らせてくれる。
フランチェスカはそのお返しに、レオナルドの額に触れて熱を測った。
「レオナルド、やっぱり具合悪い?」
「はは。まだその心配をしてくれているのか」
フランチェスカがしょげた顔をすると、レオナルドはそれを見て嬉しそうに笑う。
けれどもこちらは、先日の夜会で何度もスキルを使わせたことが、やはりどうしても心配なのだ。
(使い過ぎの反動がどのくらいでくるのかも、具体的に聞く訳にもいかないし。いつ私が洗脳されて、レオナルドの敵になるか分からないもんね)
触れた限り発熱はなさそうだし、顔色も悪くない。だとしたら体調が悪いのではなく、本当にただ休んでいただけなのだろうか。
「ひょっとして、まだ帰りたくないのかな。……なーんて」
「……」
冗談でそう言ってみたところ、レオナルドが思いのほかじっと見詰めてきた。
「え。まさか本当に?」
「そりゃあ王都に戻ったら、君と別々の家に帰ることになるからな」
レオナルドはわざと軽薄に笑ってみせる。
「夏休みが終わるまでは、学院でも会えない」
「…………」
この発言が冗談なのか本音なのかは、見極めが難しそうな問題だ。
何しろこの森に滞在していた約二週間ほど、ラニエーリ家から提供された別荘にみんなで寝泊まりをしていたのである。
そしてフランチェスカは、レオナルドが案外さびしがり屋だということを知っていた。
「私もさびしいよ。レオナルドは戻ったらきっと、たくさんお仕事あるんだろうしね」
そう返すと、レオナルドは少し満足そうに笑う。
「サヴィーニ家が事業売却なんて言い始めているらしいからな。ラニエーリの総取りでも良いんだが、信条に沿わない商売には手を出さないだろう」
「……イザベラさん。ソフィアさんに抱き締められて、泣いてたよね」
「彼女は数年前、ぼろぼろのところをソフィアに拾われたらしい。恐らくは子供の頃から殺し屋として利用されていたところを、逃げ出して足を洗った後だったんだ」
イザベラのことを思い出し、フランチェスカは項垂れた。
たとえ一度は敵対したとはいえ、洗脳されて銃を握らされた彼女のことを、責めるような気持ちになれはしない。
「ソフィアさんにも、いっぱい謝られちゃったなあ……」
フランチェスカはそう呟いて、レオナルドの隣にぽすんと寝転がった。
ふわりと花の香りがして、湖からの風が心地良い。レオナルドが手を伸ばし、フランチェスカの頭を撫でてくれる。
あの夜会の後、ソフィアはフランチェスカたちに謝罪を述べたあと、すぐに王都に向かったそうだ。
この森で起きた数々の出来事について、フランチェスカの父にも説明と謝罪をするためだという。ソフィアは出発する最後まで、『本当にごめんね』と誠実に重ねてくれた。
「だけど」
フランチェスカは目を細め、ぽつりと呟く。
「ソフィアさんに防げないのはどうしようもないよ。洗脳されていたイザベラさんだけでなく、サヴィーニ侯爵自身も黒幕側だった」
「ああ。そうだな」
「侯爵がお客さんだって紹介すれば、それがサヴィーニ侯爵を狙おうとした殺し屋であっても拒めない……そんなこと、想像もしないだろうし」
もっともフランチェスカを襲った面々は、黒幕側がレオナルドを意識して差し向けたもので間違いないはずだ。
(私がレオナルドの弱みになるって、とっくに気付かれてしまってる)
しかし、それを負い目に思い続けても好転はしない。
(もっと強く、上手に立ち回って進むんだ。私が主人公である以上、ゲームのストーリーから逃げられない……逃げる訳にもいかない。絶対に、平穏な暮らしを手に入れるんだから)
そう思い、頭を撫でてくれる友人を見詰める。
(大事な友達と笑い合って、みんなで幸せに生きていく未来。――何よりも大切で憧れている、そんな『普通』の世界を掴むの)
そんな決意を新たにして、体を起こす。
「さあ、そろそろ行こうレオナルド。みんなが待ってるよ」
「……いやだ。帰りたくない」
「ふふ。駄々っ子みたいなこと言ってる……」
思わずくすっと笑ってしまった。誰もに恐れられるアルディーニ家の当主が、もっとここに居たいと我が儘を言っているのだ。
「さあさあ行きますよー、レオナルドくんー。起きてくださーい」
「それならフランチェスカも俺の屋敷に帰ろう。婚約者なんだから問題ない、そうだろう?」
「あるよ! それとパパがそろそろ限界だと思うの。自分の出張があるときも、絶対に二週間以内で帰って来ようとするし」
両手を掴んで引っ張るふりをしつつ、レオナルドを促した。それでもなんだか動く気配がないので、フランチェスカはううんと考える。
「そういえば、あのとき約束した『良い子』がまだだったね。撫でたら帰る?」
「…………」
眩しいものを見詰めるまなざしが、フランチェスカを見据えた。レオナルドはそれから、柔らかな声でこう紡ぐのだ。
「――――キスしてくれ」
「へ」
まったく予期していなかった懇願に、ぽかんとする。
(いま、キスしてくれって言った?)
冗談みたいなお願い事だが、まったく冗談には聞こえなかった。寝転がったままこちらを見上げるレオナルドの表情に、いつもの笑みは浮かんでいない。
「だめ?」