130 唯一無二
【第2部エピローグ】
「――俺にとってのお嬢はね。唯一無二で、特別なんです」
グラツィアーノにそう言われて、麦わら帽子を被ったフランチェスカは瞬きをした。
蝉時雨の降る森の中には、今日も強い陽射しが差し込んでいる。湖から吹く風が木々を揺らし、地面に木漏れ日が瞬く様子は、まるで水面を思わせた。
暗殺未遂のあった夜会から、今日で三日が経つことになる。今日はフランチェスカたちが、ラニエーリ家管轄の森から去る日だ。
グラツィアーノが思わぬ発言をしたのは、各家の構成員や使用人が、帰り支度に追われている昼前のことだった。
「ど、どうしたの? グラツィアーノ。いきなりそんなこと言うなんて」
グラツィアーノの手には、着替えが詰まったフランチェスカの鞄がある。お世話係りとしての仕事を果たしつつ、何気ないことを言うかのように告げられたのだ。
「いきなりって訳じゃないですけど。そういえば改めてそう話したこと、あんま無かったなと思い出して」
「だからって荷物運びの途中に!? 私にとってもグラツィアーノは、掛け替えない唯一無二の弟だよ!」
驚きつつもそう返すと、グラツィアーノはわずかに目を丸くしたあとで笑った。
「……あの人から手紙が来たんです。当主にも同じ内容が行ってるそうなんで、お嬢には俺から話しておきたくて」
「サヴィーニ侯爵から、だよね?」
馬車を停めてある場所に向かい、森の中をふたりで歩いて行く。少し離れた場所にある馬車の周りでは、他の構成員たちが荷物を詰め込んでいた。
「もしかして! グラツィアーノ、お父さんのところに行っちゃうの?」
起こり得る内容に思い至り、フランチェスカは顔を歪めた。くちびるをむにむにと噤み、顔を顰めると、振り返ったグラツィアーノが「うわ」と呟く。
「なんでそんな顔するんです? というか一体どんな感情ですか、それ」
「グラツィアーノよかったねの気持ちと、いなくなったらさみしいの気持ち。どちらかというと、さみしいの方が大きい感じ……」
「ぷっ、はは!」
グラツィアーノが声を上げて笑うのは珍しい。そんなに変な顔をしていたのだろうかと思いつつ、フランチェスカは自分の頬を触った。
「その顔見れて良かったです。そもそも別に、俺がサヴィーニ家に行くって話じゃないんで」
「そうなの? よ、よかったあ……!」
「――あの人は、サヴィーニ家を解体するそうですよ」
フランチェスカが瞬きをすると、グラツィアーノは続けて教えてくれる。
「サヴィーニ家がこれまで行ってきたことを陛下に伝えてから、爵位を返上するんですって。貿易事業の権利もほとんどを売却して、親族たちにとっての旨みを消すらしいです」
「……そっか」
ひょっとするとサヴィーニ侯爵は、元々それを計画していたのかもしれない。
一族の罪を告白し、爵位と共に事業を手放すことで、自分の死後もグラツィアーノの安全を保てるようにしたのではないだろうか。
(死ぬための夜会が今だったのは、そんな準備も必要だったからなのかも。それが終わるまで殺されないように、洗脳にも抵抗してきたんじゃないかなあ……)
グラツィアーノも分かっているだろうから、敢えて口には出さないでおく。たくさんの荷物を持ってくれているグラツィアーノは、重さなどなんの苦にもなっていないようだ。
「それがなくとも。俺はこの先ずっと、カルヴィーノ家にいます」
「グラツィアーノ……」
「当主になるかはお嬢次第ですけど。どっちにしても貿易のことは勉強しなきゃいけないんで、あの人からも色々教わろうかなとは思います。……それから、母のことも」
「……うん!」
未来を見詰めるその言葉に、フランチェスカは心底から安堵した。
「グラツィアーノが自分のために、思う通りの未来を歩めるのがいいなあ。お父さんのことを少しでも知ることが出来て、本当によかった……」
こちらを振り返ったグラツィアーノが、フランチェスカを見て目を細める。
「お嬢、本当に嬉しそうな顔してくれますよね」
「そりゃそうだよ、嬉しいもの。グラツィアーノは私の弟分なんだし」
「弟……」
「ん?」
首を傾げると、グラツィアーノは笑って言う。
「いーえ何も。ともかく俺が言いたかったのは、お嬢は俺にとって特別なので、泣かせる奴が居たら引き続き殺すっていうことだけです」
「そんな人いないと思うけどなあ……」
「いますよ。アルディーニとか」
どうしてそこでレオナルドが出てくるのだろうか。フランチェスカが心底不思議に思えば、グラツィアーノは真っ直ぐにこう言った。
「俺はあんたの弟なんでしょ? ――だから姉貴は守ります。そのことは、あいつに伝えておいてもらえますか」
「ううーん。グラツィアーノがいま考えてることは、やっぱりよく分からないけど……」
けたたましく蝉の鳴く中で、フランチェスカは麦わら帽子を脱ぐ。
こめかみに汗を滲ませているグラツィアーノの頭に、陽除けのためにぽんと置いた。
「私だってこれからも、グラツィアーノを守るよ。お姉ちゃんだからね」
「…………!」
目を見開いたグラツィアーノが、やがて静かに微笑んだ。
「もう十分に守られてますよ。――あんたのお陰で、俺は生きてる」
小さな声は、わざと蝉時雨で消えるように紡がれたもののようだ。
「グラツィアーノ、いまなんて言ったの?」
「なんにも言ってませんよ、気の所為じゃないです?」
そんなやりとりをしながらも、フランチェスカたちは馬車につき、荷物の積み上げを手伝うのだった。
***
「レオナルド、まだこんな所に居た!」
「……フランチェスカ」
出発の間際、姿が見えなかったレオナルドを探しに来たフランチェスカは、湖のほとりに寝そべっている彼をようやく見付けた。
【お知らせ】新作を始めました!
タイトル『初めまして、裏切り者の旦那さま。』
血まみれドレスで自らの結婚式に現れ、復讐を始めるつもりの強い花嫁と、キスしておいて協力者にはなってくれない、冷たくて美しい夫のお話です!
※ハッピーエンドの恋愛ファンタジーで、強い女の子が欲しいものを手にして幸せになります。
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