128 宝物
シャンデリアを支えている鎖には、銃弾が当たっている。輪の欠けた鎖がシャンデリアの重みにより、歪みながら広がり始めているのだ。
(すぐに下から逃げないと。でもいま侯爵を下手に動かすと、出血が……)
それと同時にレオナルドが声を張り、廊下で娼婦たちを避難させていたリカルドに告げる。
「リカルド。ラニエーリの別荘に娼館お抱えの治癒スキル持ちがいるはずだ、呼んでくれ」
「分かった! アルディーニ、任せたぞ!」
グラツィアーノがぐっと顔を顰め、侯爵の傷口を圧迫して押さえる。心臓の鼓動に合わせて溢れ出す血が、瑠璃色の絨毯をどくどくと色濃く染めていった。
「そんな顔を、するな。……裏社会で生きている人間に、そのやさしさは命取りではない、のか?」
「もういいから喋るなよ、クソ親父……!」
「私の言葉を、そう簡単に信じるものでも、ない。……お前を利用するつもりで、情を引こうとしているのではないかと、警戒するべきだ」
「黙れって……!!」
グラツィアーノたちの元に駆けながら、フランチェスカは実感する。
(レオナルドが私に嘘をついて、サヴィーニ侯爵の本心を隠そうとした理由。本当は愛情があるって分かった上で、それでも侯爵を助けるのに失敗したときに、グラツィアーノや私のショックが大きいからだ)
侯爵がこうやって悪党ぶる理由も、同じようにグラツィアーノのためなのだろう。
グラツィアーノは、父親の傷口を必死に手で圧迫しながら、懸命に言葉を絞り出す。
「自分が本当は父親に愛されていただとか、そんな実感がすぐに湧いた訳じゃない。ただ、あなたが母さんを愛していたのは本当だ」
「は……何を、根拠に」
「あなたに変装するために奪った、このブローチ」
グラツィアーノの胸元に着けられた瑠璃色のブローチは、散った血で赤く汚れていた。
「母さんから、父さんと揃いで持っていたものだって聞いた。俺のために売った、それでも母さんの宝物だった。あなたがそれと同じものを着けているのは、当たり前で……だけど、そうじゃない」
グラツィアーノが、掠れた声で言葉にする。
「ラピスラズリが欠けているのは、ガキの頃の俺が傷付けたからだ。……あなたがずっと身に付けていたのは、あなたが元々持っていた方じゃなく、母さんの手放した……」
(……侯爵が、ブローチを探して買い戻したの……!?)
グラツィアーノが引き取られたあと、カルヴィーノ家でもそのブローチを探したことがある。
母との大事な思い出の品を、グラツィアーノに取り戻すためだった。探したことをグラツィアーノに言わなかったのは、見付からなかったときの落胆を思ってのことだ。
(貧民街で売られたブローチは、裏社会の住人であるうちの家が探しても見付からなかった。犯罪者と繋がりがあったとはいえ、サヴィーニ家が探すのはもっと大変だったはず)
けれども侯爵はそれを見付け出し、ずっと肌身離さずに付けていたのだ。
「……やはりブローチが欠けていたのは、幼いお前が付けた傷だったか」
「……っ」
「そんなことを想像しては、愛おしいと思い、何度も撫でた。……そのブローチがお前の胸元に輝いているのを見るのは、不可思議な、心地だ……」
サヴィーニ侯爵の震える手が、グラツィアーノの頬に触れる。
「怒ったときの泣きそうな顔も、彼女によく似ているな」
「……何を」
「あのとき。幼いお前が私の息子だと気付いたのは、決して私に似ていたからではない」
グラツィアーノの頬に血が付いたのは、侯爵の手も血に塗れているからだ。
「お前の面差しや表情に。そのやさしさに、彼女の面影が残っている……」
「グラツィアーノ!」
辿り着いたフランチェスカが、グラツィアーノの背中へ必死に手を伸ばす。
「私たちの、宝物」
鎖が軋んだ音を立て、シャンデリアが傾いた。それによって重心の位置が変わり、歪みがいよいよ大きくなる。
「……私は、お前たちに出会えて幸せだった……」
「――――っ」
フランチェスカの指先が、グラツィアーノに触れた。
(スキル発動。強化、グラツィアーノの転移スキル)
光が走り、それがグラツィアーノの周りを取り囲む。
「グラツィアーノ! 止血の体勢のまま、お父さんと一緒に転移して!!」
「!!」
フランチェスカの言葉に対し、グラツィアーノの反応は早かった。
恐らくは殆ど反射的に、『フランチェスカに従う』という行動原理が働いたのだ。光と共に彼らが消え、その瞬間、真上からシャンデリアの鎖がぶつりと切れる音がした。
「お嬢!!」
ホールの端に転移したグラツィアーノが声を上げる。けれどもフランチェスカには、恐怖心などまったく無かった。
レオナルドがフランチェスカを追い、守るために動いてくれていると知っていたからだ。
「レオナルド、お願い!」
「――当然だ」
レオナルドが走りながらシャンデリアに手を翳し、スキルを発動させる。
その瞬間に吹き荒れた凄まじい風が、頭上のシャンデリアを吹き飛ばした。