127 隠されていたもの
グラツィアーノは仰向けに倒れた父の胸倉を掴むと、想いを絞り出すように告げる。
「……頼むから全部、教えてください。あんたと、俺と、母さんの……」
「…………」
フランチェスカは、グラツィアーノがあんなに悲しそうな声を出すのを聞いたことがない。
(それに、今のはすごく危なかったはず。グラツィアーノの身体強化スキルの効果はもう切れてて、万が一銃が暴発したり、グラツィアーノに弾が当たっていたら……!)
グラツィアーノが決死の覚悟で飛び込んだことを、侯爵も感じ取ってくれたのだろうか。
彼は静かに目を閉じると、こう言った。
「……サヴィーニ家は代々、熾烈な争いの元に後継者が決まっていたのだ。当主に取り入れば莫大な利益があることから、親族たちも様々な派閥に分かれ、日夜争っていた」
レオナルドが教えてくれたサヴィーニ家の状況からすれば、無理もない争いとも言えるだろう。
裏社会の人間と手を組み、犯罪をも厭わない形で莫大な金額を動かしていれば、それに関わる人々は手段を選ばなくなる。
「私は家に嫌気が差し、何もかも捨てて逃げようとしていた。私を救い、唯一の癒しになってくれた女性と共に」
(グラツィアーノの、お母さん……)
ソフィアが話してくれた『昔話』は、グラツィアーノにも伝えてある。
そのときは関心が無さそうな顔をしていたのに、いまのグラツィアーノはそうではなく、何かを堪えるようなまなざしで父を見据えていた。
「幸い私は長男ではなく、後継者争いからは遠い座に居たのだ。……兄たちに取り入ることの出来なかった親族が、殺し屋を雇うまでは」
「……それじゃあ……」
「兄たちが殺され、私が跡継ぎになることが決まった日のことだ。――私たちの間に、お前を授かったと知ったのは……」
侯爵たちの心情を想像して、フランチェスカは胸が痛む。
「私が逃げれば、お前たちまで殺される。兄たちを狙った殺し屋は、サヴィーニ家と繋がりの深い組織の手の者だった」
「……」
「私の血を引く息子は火種になる。お前に取り入ろうとする者や、殺そうとする者……仮に生き延びられたとしても、その先に待つのは血塗られた家の当主の座だ」
侯爵は苦しそうに目を瞑り、言葉を続ける。
「私と彼女は約束をした。何があってもお腹の子供を……私たちの宝物を守ると。だからお互いにもう二度と会わず、私の子供を世間から隠し通すと誓ったのだ」
母を大切にしていたグラツィアーノにとって、これは残酷な話のはずだ。
なにしろグラツィアーノの存在こそが、ふたりの仲を引き裂いたということになる。
「それでも私は半端なもので、陰ながらお前たちの援助をしようと考えていた。そんな私の甘さを、彼女は見抜いていたのだな」
「……母さんが……?」
「彼女はラニエーリの娼館から姿を消し、何処を探しても見付からなかった。……彼女との覚悟の差を思い知り、私は自分を恥じたよ」
父親の胸倉を掴んだグラツィアーノの手から、ゆっくりと力が抜けてゆく。
「グラツィアーノ。私たちの息子」
「……やめろ」
「随分と、大きくなった。私の身長も、とうに追い抜いていたのか……」
「やめろ……!!」
グラツィアーノが目を瞑り、その両耳を塞ぐように押さえる。サヴィーニ侯爵はふっと息を吐き、申し訳なさそうに笑った。
「子供の頃、俺があなたを見付けたとき。……あなたは俺を罵って、追い払おうとした……」
「……その通りだ。私を憎み、私に怯えて、二度と近付くまいと感じてくれれば、それでいい」
「必要以上の大声だった。あなたは周りにそれを聞かせ、万が一にも息子を引き取るつもりなど無い外道の父親だと、そう振る舞ったのか?」
「…………」
「この森で再会してからも。何度も、過剰なくらいに」
フランチェスカも思い当たり、ぎゅっと眉根を寄せる。
(サヴィーニ侯爵のグラツィアーノへの態度は、確かに行き過ぎだった。あんなに過敏になっていたら、誰だって深い関係性があるってわかってしまうのに)
その目的は、父子であることを隠すためではなかった。
それを知っている周囲に、息子を本気で疎む父親であることを見せ付けるためだったのだろう。
「私の振る舞いで、傷付いただろう」
その声には、確かな寂しさが滲んでいる。
「どうか私を、憎んでくれ。……嫌ってくれ。そして、近付かないでくれ」
「やめろって、言って……っ」
「本当に、やさしい子だな」
侯爵はゆっくり手を伸ばすと、グラツィアーノの胸元に輝くブローチに触れた。
「やはりお前を、サヴィーニ家の後継者になどしなくて良かった……」
「……!」
その触れ方を見たグラツィアーノの目が、はっと見開かれる。
「……カルヴィーノ家の養子になるのも、反対だ。婿としての盤石な立場を与えられるならともかく、彼女に似てやさしいはずのお前が、裏社会の当主になど」
「あなたは……」
「などと今更、父親ぶったことを言う資格すら無い、な。……それに、こうなれば後は簡単だ……」
「……?」
サヴィーニ侯爵の手がブローチから離れ、彼自身の上着の内側に滑り込んだ。その瞬間、フランチェスカの背筋にも嫌な予感が走る。
侯爵が手にしていたのは、小型の隠し銃だ。
「――『息子が死ねばお前も死ぬだろう? サヴィーニ』」
「父さ……っ」
「グラツィアーノ!!」
瞳の色が変わったサヴィーニ侯爵が、グラツィアーノの左胸に銃を突き付ける。レオナルドの小さな舌打ちが聞こえ、侯爵を殺すための、何らかのスキルを発動させようとしたのが分かった。
けれどもレオナルドは何かを見て、そのスキルの発動を止める。
「――――っ!!」
響いたのは、呆気ないほどに軽い銃声だ。
グラツィアーノの体が後ろに倒れ、どさりと音を立てる。その光景を目の当たりにして、フランチェスカは声を上げた。
「サヴィーニ侯爵……!」
グラツィアーノが声を震わせる。
「っ、なんで……」
赤い血が流れ始めたのは、グラツィアーノの心臓からではない。
銃声の瞬間に身を翻し、息子を突き飛ばして、無理やり銃を抱き込んだサヴィーニ侯爵の肩口からだった。
「私の、体で。……これ以上息子のことを、傷付けるな」
一発しか弾の込められない小型銃が、瑠璃色の絨毯の上に落ちる。銃弾は侯爵の肩を貫通し、天井のシャンデリアに当たって大きく揺らした。
「……忌々しい、クレスターニ家……!」
「父さん!!」
それを耳にしたレオナルドが、静かに目を伏せる。
「……『クレスターニ』……」
フランチェスカの肩を抱き寄せるレオナルドの手から、僅かに力が抜けた。
フランチェスカはそれと同時に、グラツィアーノたちの方に駆け出す。
「父さん! くそっ、なんで……!」
(左肩。心臓に近い位置の傷……!)
前世の知識からも知っていた。そこを撃たれると出血も多く、致命傷になり得るのだ。
けれどもフランチェスカが走る理由は、それだけではない。
「グラツィアーノ! 気を付けて、上のシャンデリアが落ちる!!」
「!」