126 荒療治
がしゃがしゃと音を立てながら、銃が床に落とされてゆく。すると娼婦たちは驚いたように周囲を見回し、怯え始めるのだ。
「な……何よこれ!! お客さまたちが倒れてる、どうして……!」
「サヴィーニ侯爵!? 撃たれたんじゃ……」
「っ、皆さん! 逃げてください、ホールの外へ早く!」
フランチェスカがそう叫ぶと、女性たちははっとしたように駆け出した。
息を吐き、女性たちが正気に戻ったことに安堵する。リカルドの持つ全体異常回復のスキルが、集団洗脳に対して有効なことは、前回の夜会で実証済みだ。
「俺はこのまま、彼女たちの避難を手助けするぞ!」
「お願い、リカルド!」
リカルドが誘導してくれるのを心強く思いながら、女性たちを託す。
「女の人たちがすぐにまた洗脳されるってことは、ないみたい……やっぱり黒幕の使うスキルにも、連続で使えない時間制限があるんだ」
フランチェスカの言葉に頷きつつ、レオナルドがサヴィーニ侯爵を見据えた。
「他にも収穫があったな。リカルドの状態異常回復スキルでは、集団への雑な洗脳は解けても、頑強な洗脳には通用しない」
サヴィーニ侯爵は額を押さえ、小さな声で繰り返し呟いている。
「『誰も彼も、邪魔をする……』」
低い声での呟きに、フランチェスカは身構えた。しかし侯爵はこちらに構うことなく、そのまま独り言を続けるのだ。
「『こんなまだるっこしい真似などせず、すぐに自分の頭を撃ち抜けば良かったじゃないか』」
「……?」
「『どうして俺に抵抗した? 俺の洗脳に抗って、そうまでして何を守る』」
グラツィアーノが息を呑んだ気配もする。サヴィーニ侯爵の独り言は、誰が聞いても独白には思えない内容だ。
「誰かと、話してる……?」
フランチェスカの零した言葉を、誰も否定することはなかった。レオナルドが凍り付くようなまなざしで、サヴィーニ侯爵を見据えている。
「『今すぐ頭を撃ち抜いて死ね。勇気が無いのならば、人を雇ってでも殺してもらえ。さあほら、早く、銃口をその脳天に!』」
「……っ」
侯爵が銃を握る手は、何かに背くように震えていた。その状態で引き金が引かれた所為で、天井に向かって銃声が鳴る。
「わ……!」
何発も響く破裂音と共に、たくさんのステンドグラスが砕け散った。
硝煙の匂いと共に破片が砕け、シャンデリアを吊るした鎖にも当たる。大きく揺れたシャンデリアから火のついた蝋燭が投げ出され、離れた場所の絨毯に落ちた。
(洗脳による混乱がひどくなってる。ジェラルドおじさまが動転して、暴走したときと同じ……!)
フランチェスカは耐えかねて、侯爵の元に駆け出そうとする。引き留めるようにその肩を掴んだのは、レオナルドだ。
「レオナルド……! ごめんね、でも侯爵を止めないと」
「もう少し」
「……!?」
一体どういう意味なのだろうか。レオナルドは変わらず冷たいまなざしで、侯爵の方を見据えたままだ。
「いざとなったら殺してでも止める。だから今はもう少し耐えてくれ」
「っ、でも!」
「君が望む結末を得るためには、荒療治が必要だ」
「え……?」
フランチェスカが目を見開くと同時に、侯爵が叫んだ。
「――グラツィアーノ!!」
「!」
父からはっきりと名前を呼ばれて、グラツィアーノが目を見開く。
「何をしている。何度も言っただろう、さっさと私の傍から消えろと……!」
「……侯爵閣下……?」
小さな声音で口にしたグラツィアーノは、何かに気付き始めているようだった。
「いなくなれ。消えろ。何処かに行ってしまえ!! ラニエーリの者は居ないのか!? この子供を早くつまみ出してくれ……!!」
(この様子。やっぱり変……)
銃を手にして俯いた侯爵は、全身を震わせながら叫んでいる。目元は見えず、そのこめかみからは汗が伝っていた。
(ううん。……逆なんだ)
いまの様子がおかしいのではない。恐らくはこれが侯爵にとって、何も取り繕わない姿なのだ。
(あんなに震えて。グラツィアーノを罵るのが苦しそうで、とっても嫌そうで……)
「頼むから、何処かにいなくなってくれ……!!」
ぽたりと床に伝ったのは、汗ではなくて涙だった。
「こんなろくでもない父親から。……ろくでもない家から。ろくでもない家の後継者という、犠牲者の立場から遠ざかれ……」
「……父、さ……」
「でなければ、私は……っ」
姿勢を正した侯爵が、銃を自身のこめかみに突き付ける。
涙にまみれたその顔には、とてもやさしい笑みが浮かんでいた。
「――お前を守るという約束すら、守れない父親になってしまう」
(駄目……っ)
引き金に掛けられた指が動く。
けれども次の瞬間、銃が遠くに弾き飛ばされた。
「な……」
サヴィーニ侯爵から銃を奪ったのは、グラツィアーノだ。
瞬時に父親の元へと転移をし、引き倒すように覆い被さって、怒りの滲んだ声で叫ぶ。
「いい加減にしろよ、クソ親父が……!」
「!!」