119 注目のふたり
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欠け始めた月の浮かぶ夜、サヴィーニ侯爵家の主催する大規模な夜会には、主に国外からの要人たちが集まっていた。
その錚々たる顔触れときたら、見る者が見たら青褪めたかもしれない。
なにしろ誰もが大物で、ひとりひとりがその国々の経済状況を左右するような力を持った人物なのだ。
大陸間の海運を牛耳る貿易商や、大陸の食糧事情に深く関わる大農園の持ち主などが、ワインを片手に談笑している。
地位ある男性たちの傍らに寄り添うのは、ラニエーリ家が抱える高級娼婦たちだ。
優美な花のごとき女性たちは、それぞれ色とりどりのドレスを身に纏っている。
容姿や所作が美しいだけでなく、豊富な知識と磨き上げられた話術を持つ彼女たちは、参加者を心から楽しませていた。
そんな中でも注目を浴びたのは、五大ファミリーの若き当主の姿だ。
「サヴィーニ閣下に礼を言わねばな。まさかこんなところで、アルディーニ家のご当主と顔見知りになれるとは」
「いやはや、今日の会に来てよかった! 実にいい日だ」
「ところで、アルディーニ殿が連れているのは……」
要人が呟いた言葉を聞き、傍らにいた女性がそっと囁く。
「もう、駄目ですよ。あの子はアルディーニさまの専属なの」
「そうなのか? しかし、名前くらいは良いだろう」
「ふふっ、だーめ。今のお話がアルディーニさまに聞かれていないか、私が確かめに行って差し上げますね?」
ぱちりとウインクをした女性は、ホール内の人混みを堂々と歩き始める。何人もの男性たちが彼女に視線を送るが、女性は迷わずに大きな人垣の方に進み、ドレスの裾を翻した。
人垣の中心にいるのは、年若いふたりの人物だ。
黒髪の青年は、レオナルド・ヴァレンティーノ・アルディーニである。
繊細な造りの美しい顔立ちに、大胆不敵な獅子のような振る舞いを持つその青年は、ただ立っているだけで他者を焦がれさせる雰囲気を纏っていた。
そして、そのレオナルドが隣に置いて大切そうに守っているのは、明らかに場慣れしていないひとりの少女だ。
「まあ。緊張しちゃって、可愛らしいわね」
女性は少女を見て呟き、くすりと笑った。
赤髪の少女が身に纏っているのは、瞳と同じ水色のドレスだ。
優雅なラインを描く裾は、水中で揺蕩う花のようにひらひらと広がって、年頃らしい可憐さを醸し出している。
上半身は首筋から肩、谷間にかけて肌が露出しているデザインだが、チョーカーやアクセサリーによってとても上品に纏められていた。
大人っぽさと初々しさが見事に重なり、とてもよく似合っている。
この夜会の主催であるサヴィーニ侯爵の家は、様々な場面でラピスラズリを用いるのだ。その瑠璃色と同じ青系統のドレスを選んでいる結果、会場内の調度品とも調和が取れていた。
隣で守っているレオナルドがいなければ、今頃たくさんの殿方に囲まれてしまっていただろう。
女性はそんなことを思いながら、赤髪の少女に笑い掛ける。
「――フランチェスカちゃん!」
「!」
すると少女は表情を輝かせ、こちらにぶんぶんと手を振ってきたのであった。
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「お姉さ……イザベラさん!」
レオナルドの隣に立っていたフランチェスカは、娼婦の女性イザベラに声を掛けられてほっとした。
見知らぬ男性たちに囲まれて、少し緊張していたのだ。いそいそとイザベラの方に向かおうとしたものの、すぐさま肩を抱かれてしまう。
「フランチェスカ」
フランチェスカを引き留めたのは、隣にいるレオナルドだった。
「駄目だ。行かせない」
「で、でも」
小さな声で囁かれて、フランチェスカも同じく小さな反論をする。
「あれは他の参加者の男の人じゃなくて、ソフィアさんのところのお姉さんだよ?」
「それでも駄目。忘れたのか? 今の君は、俺だけの女の子だってこと」
レオナルドは周囲の男たちを牽制しながら、フランチェスカに向かって微笑んだ。
「――娼婦のふりをして潜り込むなら、それだけは譲らないって約束しただろ」
「うぐう……」
レオナルドの言う通りだった。
今夜のフランチェスカは、カルヴィーノ家のひとり娘としてでもなければ、学院に通う学生としてこの夜会にいる訳でもない。
『私が娼婦のふりをして、レオナルドと一緒に夜会に行く。これが、婚約者や奥さんをエスコートして行けない夜会の場に、女である私も同行する方法でしょ?』
フランチェスカがそう告げてから、レオナルドを説得するまでには大変な紆余曲折があった。
男装することも考えたものの、即席で男の人のふりをするのはきっと難しい。であれば娼婦のふりの方が、まだ誤魔化せる可能性が高いと思ったのだ。
最終的に折れてくれたレオナルドからの条件は、かなり厳密なものだった。
今もこうしてフランチェスカの肩を抱き寄せ、間近に見下ろして、少し意地悪な微笑みを浮かべながら言う。
「俺がこうして、常に君へと触れていられる距離にいて貰わないと。少しでも俺から離れたら、たちまち君を口説く男たちに囲まれるぞ」
「それはさすがに大袈裟!」