117 守られるもの(第2部4章・完)
レオナルドの指が、フランチェスカのくちびるに触れる。
「離れることを、偽りですら誓える気もしない。……何と戦うことになろうとも、君が傍に居ないのは耐えられないんだ」
何物をも恐れないはずのレオナルドのまなざしが、宵の口の薄闇によって翳る。
「たとえ君に拒まれ、怯えられても」
「…………」
そのくちびるに、穏やかで淡い微笑みが滲んだ。
「――俺なんかに愛されて、可哀想なフランチェスカ」
その言葉に、フランチェスカは手を伸ばす。
レオナルドの白いシャツの、ボタンを外した襟元を掴み、ぐっと自分の方に引っ張る。
「……っ!?」
お互いの額がぶつかって、こちん! と軽い音を立てた。
「フラ……」
「ついさっき、守られるのが嫌かって聞かれたけど!」
覆い被さっていたレオナルドの体を、そのまま横に引っ張り倒した。
熱で苦しいはずのレオナルドは、簡単にフランチェスカの横に倒れ込む。彼と向かい合ったフランチェスカは、驚いて瞬きを重ねるレオナルドの頬に触れる。
「守られるだけじゃ嫌。私を守ってくれるなら、私にも守らせてほしいの!」
「……フランチェスカ」
「可哀想なんて思わないで。傍に居たいって言ってもらえて、すごく嬉しい……」
それを負い目に思われる必要なんて、何処にも無いのだ。
「だって、レオナルドは私の親友で。それから」
そこまで言い掛けて、自分の言葉に瞬きをした。
(それから?)
言葉にしがたい感覚が、心の中を満たしている。それを上手く表現することが出来ず、とてももどかしい。
「……大事なの。だからいいよ、一緒に居よう?」
「……フランチェスカ」
「レオナルドだけが負うんじゃなくて、ふたりでやっつけちゃえばいい。だってこれは」
フランチェスカは目を閉じて、静かに口にする。
「――私の物語でもあるんだから」
「……?」
レオナルドに何か尋ねられそうになる前に、フランチェスカは元気よく体を起こした。
「襲撃者も暗殺者も黒幕側なら、その方がずっとシンプルじゃない? もちろん決め付けは良くないから、別勢力っていう可能性も警戒し続けた方が良いだろうけど!」
「……」
「明後日はもう夜会の日だもん。グラツィアーノのお父さんをきっちり守らなきゃ……わあ!」
レオナルドの腕に肩を掴まれ、先ほどの仕返しのように引き倒される。フランチェスカを再び抱き枕にしながら、レオナルドは耳元で尋ねてきた。
「暗殺者に向いているのは、どんな人間だと思う?」
ぎゅっと抱き締めてくるレオナルドの問い掛けに、フランチェスカはもぞりと身を動かしつつ考える。
「えーっと……。度胸があって、護衛の人たちに止められない程度の腕力と、生命力がある人……?」
「ん。君の暗殺のイメージは、少し面白いな」
(うわあ!! 確かに私がいま想像してたのって、殺し屋っていうよりも鉄砲玉だ!!)
前世で敵対組織の幹部を殺しに来るのは、血気盛んで標的の目の前に飛び出してくるような組員だ。
自分が捕まることはおろか、それによって死ぬ覚悟すら出来ていることもあり、見付かるリスクよりも確実に役目がこなせる距離を選ぶ。
「ふ、普通の殺し屋はどうなの?」
「うん。殺し屋はまあ、普通には居ないんだが」
レオナルドはくつくつと楽しそうに喉を鳴らし、こう言った。
「場に溶け込む存在感の無さで、そこに居ても自然な存在だ。この森に初めて来た日に君が話していたように、夜会に招かれた賓客や……」
(言えない。レオナルドの言ってる想像とはちょっと違って、『会場に招かれた賓客のひとりが突然豹変して襲い掛かる』イメージだったなんて言えない……!)
「他にもパーティーの準備をし、会場に出る黒服。それから、主催者側の人間も」
「主催者側……」
主催者側というのはつまり、賓客をこの森に招く側であり、森の管理者やその配下も該当する。
「レオナルド」
フランチェスカは、ずっと気に掛かっていたことを口にした。
「あのとき、あの人があんなにちょうどよく森の中に現れるのは、不思議だってずっと思ってたの」
「……」
きっとレオナルドはもう、その考えに辿り着いているのだろう。
「部外者の女性が、この森へ娼婦に化けて潜り込むのは、どのくらい簡単なことかな?」
「……フランチェスカ」
レオナルドが少し困った顔をしたことを、フランチェスカは見逃さない。
「気付いたよ。前にレオナルドが言ってた、私も夜会に潜り込む方法」
「……待ってくれ。それで他の男が君に無礼な真似をしたら、俺はそいつを殺してしまうかもしれない」
「そんなことしなくても大丈夫。レオナルドを守りたいと思ったら、レオナルドの大事なものも守らなきゃ。そうでしょ?」
そう告げると、レオナルドがぱちりと瞬きをした。フランチェスカはにこっと笑い、真っ直ぐに告げる。
「レオナルドの守りたいものが、私自身だって自覚してるから。――それごと全部、レオナルドを守るよ」
「……君は……」
レオナルドは、フランチェスカの額に口付けるかのように抱き締めて囁いた。
「世界中からどんなスキルを奪っても、君の強さには敵わないな」
「レオナルド、大袈裟!!」
そうして夕陽が沈み、夜が訪れる。
夜会のときまでは、残り僅かだ。
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第2部の最終章へ続く