115 嘘の欠片
レオナルドはフランチェスカの首元に、すりっと額を擦り付けた。
彼の体はやはり熱を帯び、気怠げに火照っているように感じる。
「大丈夫? しんどい?」
「ん。……平気だ」
そう答えるレオナルドは、目を閉じたままだった。フランチェスカは大人しく抱き枕になりつつも、彼の額に触れてみる。
「やっぱり昨日、私の所為で雨に濡れたから……」
「そうじゃない」
フランチェスカの髪を撫でながら、レオナルドは小さな声で答えた。
「……すこし、スキルを使いすぎた。数時間でなおる」
「そうなの……?」
「他人からうばったスキルを、立てつづけに使用すると、かるい反動がでるんだ」
紡がれた声音は、いつもより柔らかな響きを帯びていた。
「ただ、それだけだよ」
いまのレオナルドには、フランチェスカの指が冷たくて心地良いのだろう。
その頬や耳に触れると、彼の手が上から重なって、甘えるように押し付けられる。
(レオナルドのスキル。親しかった他人の死体に触れて、故人の一番強力なスキルを奪うもの)
フランチェスカは、レオナルドの前髪を掻き上げるように梳く。形の良い額を露わにして、そこからよしよしと彼の頭を撫でた。
(奪ったスキルを多用したデメリットで、苦しくなるなら。……それはやっぱり、私を助けるためにスキルをたくさん使わせた所為だ)
不甲斐なさに眉を顰めると、レオナルドが柔らかく笑った気配がする。
「君は本当に、付け入りやすいな」
レオナルドは手遊びをする子供のように、フランチェスカの髪を指に絡めて言った。
「君のこころを揺さぶって、弱味をにぎり罪悪感をいだかせ、言いなりにするなんて簡単におもえる」
「……」
出会ったばかりの頃であれば、この発言を本気に捉えて身構えたかもしれない。
けれどもいまのフランチェスカは、穏やかな気持ちで尋ねることが出来るのだ。
「レオナルドは、私にそんなひどいことするの?」
「……まさか」
想像していた通り、レオナルドは瞑目してこう続けた。
「そんなことが、とうてい俺にできるはずもない……」
独り言にも近しい呟きが、小さな声で落とされる。随分と熱が上がっているようだが、レオナルドはそれでも眠る気はないようだ。
「……話そう、フランチェスカ。この森で起きた出来事と、これから起こり得ることについて」
体調が心配にはなるものの、そうしないと素直に休んでもらえない予感もしていた。先ほどリカルドと話していたこともあり、フランチェスカは渋々頷く。
(夜会は明後日の夜に迫ってる。ゲームのままでいけば、グラツィアーノのお父さんが殺される夜なんだから)
それまでに暗殺者を見付け出し、シナリオの運命を変えなくてはならない。
たとえそれが困難なことであろうとも、どうあったって成し遂げる必要があった。
「グラツィアーノのお父さん、レオナルドに会いに来たんでしょ?」
「……リカルドか」
「私が問い詰めたから、リカルドを怒らないでね。それと、私に黙ってるなんてずるいよ」
フランチェスカが少し拗ねると、レオナルドがくすっと笑った。
「『ずるい』って言い方は可愛いな。もっとそうやって罵られたい」
「もう、はぐらかさないで! 侯爵閣下にいったい何を依頼されたの?」
それについては、リカルドにいくら聞いても答えてもらえなかったのだ。レオナルドは緩やかに瞼を開くと、こう口にする。
「……息子である君の番犬を、サヴィーニ侯爵の傍から『完全に』排除するようにとのご依頼だ」
「……!」
告げられた言葉に、フランチェスカは息を呑んだ。
「侯爵が、本当にグラツィアーノのことを……?」
「――『殺してほしい』と、あの男の口からはっきり言われている」
レオナルドの声音に、嘘をついている様子は感じられない。実の父にそんなことを言われたグラツィアーノのことを思うと、フランチェスカの胸がずきりと痛む。
「ごめんな。君のそんな顔を見たくなくて、言うのを避けた」
「……っ」
あまりにもやさしいその言葉に、痛みはますます強くなるばかりだ。
「……受けちゃった?」
「受けたふりさ。侯爵の動向を探るのに、その方が都合も良いだろう?」
レオナルドはまるで戯れるように、フランチェスカの手を取って指を絡める。
「君が襲われたのも、君の番犬が想像した通り。侯爵が他にも雇っている裏の人間が、あいつを狙ったことが原因だ」
「……サヴィーニ家があるのは、ソフィアさんたちの縄張りだよ。侯爵閣下は普通なら、ソフィアさんたちにグラツィアーノを殺す依頼をするはずじゃない?」
「ソフィアにそれを断られたから、五大ファミリーに属さない有象無象の三下に依頼して回ってるんだろ。そこに都合良く俺たちが現れたから、焦って依頼を寄越して来た」
レオナルドの指を握り返しながら、確信した。
「レオナルド」
「どうした? フランチェスカ」
愛しむような声音で問い掛けられて、フランチェスカは月色の瞳を見据える。
「私ね。レオナルドが本当は悪い人じゃないって分かったときからずっと、レオナルドを疑うことを、意識して止めちゃってた」
ゲームのラスボスだと思っていた相手が、掛け替えのない友人になったのだ。
そうなればレオナルドは味方であり、疑うことなんかあってはならないと信じていた。だからこそ、疑問を抱くことに罪悪感もある。
「だけど、それは間違いだったんだ。レオナルドを疑うのをやめるなんて、大間違い」
「……へえ?」
「だって」
フランチェスカは、真っ直ぐにレオナルドの瞳を見詰めて言った。
「あなたは私に、嘘をついている」
「……」
そう告げると、彼がくちびるに微笑みを宿らせる。