11 悪党の娘のお世話係
そのとき、授業開始五分前の予鈴が鳴り響いた。
「授業! 戻らなきゃ」
フランチェスカはレオナルドのネクタイから手を離し、彼にも声を掛ける。
「ほら、アルディーニさんも早く! 遅刻しちゃうよ!」
そう言うと、レオナルドは僅かに目を丸くしたあとで、にやりと笑う。
「……俺と一緒に戻ったら、確実に目立つんじゃないか?」
「そうだった!! 置いて行こう!!」
すぐに決断したフランチェスカは、レオナルドに「じゃあね」と告げ、急いで教室に戻るのだった。
その途中、そっと心の中で考える。
(……校舎裏に出たときから気になってた、妙な気配。レオナルドも絶対に、気付いてたよね)
恐らくは、その上であそこに残ったのだろう。
(気になるけど、レオナルドが自分で残ったなら、下手に関わっても邪魔かなあ。転入初日からサボったなんて、友達作りには悪印象だし)
けれども教室に戻ってから、クラスメイトはフランチェスカに微妙な距離を置くばかりだった。
こうして、転入一日目の友達作りは、失敗に終わったのである。
***
「フランチェスカお嬢さま」
「……グラツィアーノ……」
放課後、とぼとぼと校舎を出たフランチェスカは、こちらに歩いてきた青年の名前をしょんぼりと呼んだ。
ふわふわとした茶色の猫っ毛を持ち、それを短く切り揃えた青年は、赤い瞳でフランチェスカを眺める。
細身で背が高く、甘やかに整った顔立ちの彼は、立っているだけで女子生徒の注目を浴びているようだ。
特に、上級生である三年生がはしゃいでいる。けれども彼は、そんなことを気に留める様子もない。
意気消沈したフランチェスカを見ながら、青年は眉根を寄せる。
「ひっどい顔ですね。どうせ転入早々、『友達作り』に失敗したんでしょ」
「し、してないよ! だって今日はまだ一日目、始まったばかりだもん!」
そう言うと、青年グラツィアーノは、あまり興味がなさそうな溜め息をついた。
グラツィアーノは、フランチェスカより一歳年下の十六歳で、幼い時からの世話係である男の子だ。
世話係といっても、お互い子供の頃からの仲なので、姉弟あるいは幼馴染のようなものでもある。
グラツィアーノの方が年下だが、いつも冷静で淡白な彼は、フランチェスカよりもしっかりしていた。
「さっさと諦めた方がいいですよ。表で普通に生きるなんて」
「うぐう……」
グラツィアーノは、フランチェスカの『平穏な人生計画』について、幼い頃から否定的だ。
「どうせ無理でしょ」という冷めた目をして、論理的に説き伏せようとしてくる。
「だってお嬢、骨の髄までこっちの世界に染まってますもん。生まれる前から裏社会にいたんじゃないかってくらい。こんな学院通うより、次期当主になるための教育受けた方が、よっぽど効率いいはずでしょ」
(また骨の髄まで染まってるって言われた……!)
ショックを受けつつ、ぶんぶんと頭を振る。
「だめだめ、絶対ここで頑張るの! 私は何があってもうちは継がないし、平穏な人生を送るんだから!」
「はいはい、まあ俺にはどうでもいいんすけど。今日から授業はじまっててすっごい疲れたんで、さっさと帰りましょう」
「あれ? そういえば」
ふと気付き、顔を上げる。
「一年生って、今日は入学式の翌日だから、二年生より早く授業が終わるんじゃなかったっけ。私を待っててくれたの?」
「待つってほどじゃないっすけど」
そして彼は、ふいっとそっぽを向く。
「……ただ、雨が降りそうだったんで。校舎から馬車のロータリーまで歩くけど、お嬢は傘持ってなかった気がしただけです」
見れば、グラツィアーノは大きな傘を一本手にしていた。
確かに空は曇っていて、どんよりと雨が降り出しそうだ。
グラツィアーノは住み込みなので、帰りもフランチェスカと同じ馬車に乗る。
フランチェスカのことなんか気にせず、先に馬車で待っていても良かったはずなのに、校舎前で注目を浴びながら残っていてくれたらしい。
その気遣いが嬉しくて、フランチェスカは笑った。
「ありがと! いつも頼りになるね。グラツィアーノ」
「…………別に」
グラツィアーノは眉根を寄せ、ちょっと不機嫌そうな顔をする。
だが、これは彼の照れ隠しであることも、フランチェスカはよく知っていた。
(ゲームのメインストーリーでは、家から遠ざけられていたフランチェスカと初めて会って、お世話係だけど壁のあるクールな態度を取るんだよね。いまここにいる、私の幼馴染としてのグラツィアーノも、いつも冷静な性格だけど……)
ふふ、と小さく笑いつつ、フランチェスカは傘を受け取る。
(本当は、すごくやさしい)
口に出して誉めると怒るので、心の中で考えるだけに留めておいた。
「降ってきたね。傘、私が差してあげる」
「は? いえ。俺はいらないので、その傘はお嬢おひとりでどうぞ」
「絶対そう言うと思った! 駄目だよ、一緒に入るの。グラツィアーノ背が高いから、ちょっと屈んで」
「……屈みながらお嬢に傘差してもらうくらいなら、俺が持ちます……」
渋々と傘を持ってくれるので、ありがとう、と笑った。
グラツィアーノはばつが悪そうな表情のあと、フランチェスカに傘の大部分を傾けてくれながら、馬車までの道すがらに教えてくれる。
「あ。お嬢が一昨日病院に紹介した連中、子供抱えて診察に来たらしいです。あの病なら薬が効くっぽいんで、一週間くらいで持ち直すだろうって」
「ほんと!? よかったあ……! ね。今度お見舞いに行こうか」
「どーせそう言うだろうと思って、栄養のつく食べ物を手配するよう言っておきました」
「さっすがグラツィアーノ!!」
そんなことをふたりで話しながら、馬車に乗り込んだ。