10 暖簾に腕押し
(いま廊下を歩いてみたことで、大体の原因も分かった)
主人公が転入するクラスは、ゲームシナリオで書かれた限りだと四つあり、そのうちのいずれかになる設定だ。
だが、廊下に並んでいた教室は全部で五つだった。残るひとつのクラスは、シナリオ上で出番がないために省略されていたのだろう。
レオナルドは『学院に在籍しているものの、頭脳優秀で通う必要がなく、特例的に自由登校を認められている』という設定だ。そんな彼も、名目上はどこかのクラスに所属しているのが当然で、それがシナリオに登場しないクラスだったのだろう。
フランチェスカは、操作説明でどのファミリーも選ばなかった。
必然的に、その中のどれでもない、『シナリオで描かれなかったクラス』の所属になったということなのだろう。
(今後のメインストーリーで、レオナルドが学院に登場する予定だったのかも。そのために、シナリオ上でそういう余地が残されてたんだ……! ぶあああああ……)
両手で顔を覆って嘆く。レオナルドは、顔色がどんどん変わるフランチェスカのことを、面白がるように眺めるばかりだ。
「さっきの自己紹介で、カルヴィーノの姓じゃなく、『フランチェスカ・アメリア・トロヴァート』を名乗っていたな。君、家のことを隠したいのか?」
「……察してたくせに。そうだよ、トロヴァートはママの家の苗字」
父に頼み、亡き母の家にまで手を回してもらって、学院に通うために手に入れた身分だ。
フランチェスカの母は、他国の伯爵家の令嬢だった。名目上、フランチェスカは留学生となる。
「驚いたな、随分と面倒なことをする」
「面倒って?」
「家のことを秘密にして学生生活を送りたいなら、王都の学院に入る必要はなかっただろうに。別の都市、あるいは他国にでも行って、そこで『平穏な暮らし』とやらを楽しめばよかったんじゃないか?」
(誰の所為だと思ってるの!)
心の中で悪態をつくが、口には出さなかった。フランチェスカの秘密を知らなければ、レオナルドの意見はもっともだからだ。
(……この学院と王都で、あなたがこれから事件を起こすから)
「?」
フランチェスカは、じっとレオナルドの目を見つめる。
(『レオナルド』の目論みは、学院や五大ファミリーを巻き込んで、王都全体を揺るがす大問題にも発展する。ゲームのストーリーでは、そんな困難も最終的には解決することが出来るけれど……シナリオ上、『主人公フランチェスカ』が仲間と奮闘して、それでようやくなんとかなる)
フランチェスカが関わらないと決めた場合、物語の結末はどうなってしまうのだろうか。
それが予想できないからこそ、捨て置くという選択肢は選べなかった。
自分のスキルも公表せず、ストーリーを無視することを決め込んだフランチェスカには、お話を捻じ曲げてしまった責任がある。
(メインストーリーなんかに関与せず、平穏に生きたいって願ってる。……だけど、本来は私の力で解決しなくちゃいけない事件が起きるのなら、それを無視することも絶対に駄目。ストーリーの通りに進めてさえいれば、ハッピーエンドが保証されているはずの世界を、自分の都合で捻じ曲げるのは私だから)
思い出されるのは、前世の祖父が教えてくれたことだった。
(――悪党は、無関係の人だけは巻き込んじゃいけない)
そう思ったからこそ、ストーリー同様に、二年生のこの時期に転入をすることにしたのだ。
一年生としての学院生活も、叶うなら過ごしてみたかった。
だけど、在学期間が長いほど、他のファミリーの令息たちに接触する恐れも高くなる。
(この学院、ゲームの舞台になっているだけあって、メインストーリーに関係のなさそうなところでも物騒だし)
フランチェスカは、先ほどから気になっている一点をちらりと見遣る。レオナルドは、気付いた上で何も言わないようだ。
(私の色んな覚悟は、レオナルドが考え直してくれるだけで、全部不要になるんだけどなあ……)
そう思い、ついつい目の前の美青年に向ける表情が険しくなる。
フランチェスカの眉間に寄った、絶対に可愛げのないであろう皺を、レオナルドは興味深そうに見下ろした。
「……俺が嫌いか? フランチェスカ」
「え……?」
どこか寂しげな、甘えるような微笑みだ。
レオナルドの問い掛けに、フランチェスカは恐る恐る尋ねた。
「……………………私がアルディーニさんに好感を持つポイント、出会ってから今までに、ひとつでもあったと思う……?」
「はははははっ! まったくその通りだな」
「ぜんぜん笑うところじゃないから!」
だが、レオナルドは何せこの容姿だ。極上の見た目を持つからこそ、多少の横暴は大目に見られるのが日常なのかもしれない。
そういえば、ゲームプレイヤーである前世の同級生も、『レオナルドになら殺されてもいい』と大真面目に言っていた。
ひとしきり笑ってみせたあと、レオナルドはフランチェスカの顔を上から覗き込んだ。
「そんなに俺と結婚したくないなら、やっぱり殺しておいた方がいいんじゃないか?」
「……またそんなこと言ってる」
フランチェスカは溜め息をついて、レオナルドのネクタイを掴んだ。
そして、ぐっと自分の方に引き寄せる。
「!」
「伝えておくね」
レオナルドの瞳は、月のような金色だ。
不思議な透き通り方をしている。そんなはずはないと分かっているのに、ほのかに発光しているのではないかと思うような色合いだった。
その満月色を見上げ、宣言する。
「私はたぶん、あなたの願いをひとつも叶えないよ。――そのことは、ちゃんと覚えていて」
「――……」
すると、レオナルドは目を細め、どうしてか嬉しそうに微笑むのだった。
「君のそういうところが、心底可愛い」
「……ほ、ほんとに話が通じない……」