1 悪党一家の愛娘
【一章】
自分の運命を恨んだことなんて、一度もなかったと言い切れる。
だけど、『どうして』という気持ちも拭えない。だって前世の自分自身は、『生まれ変わったら平凡で、平穏な人生を送りたい』と願っていたからだ。
「はあっ、は……!! くそ、どうなっていやがる……!」
王都の片隅、路地裏で、ふたりの男性が石畳の上に蹲っていた。
困窮した身なりではあるものの、しっかりした体格を持つ男たちは、何が何だか分からないという顔をしている。
彼らを一瞬で倒してしまったのが、ひとりの少女だったことが原因だ。
ドレスを纏ったその少女は、薔薇のように赤い髪をなびかせ、凛とした声で言い放つ。
「強盗なんて、もう二度と計画しないと約束してくれますか?」
「……っ」
十七歳くらいの外見をした彼女は、長い髪のサイドを編み込んでいる。
瞳はぱっちりと大きくて、鼻筋は人形のように通っており、柔らかそうなくちびるは愛らしかった。少しだけ気が強そうな表情をしているものの、それ以外は非力な少女にしか見えない。
「ガキのくせに、なめやがって……!」
「おい、もうやめよう……。どの道こんなこと、無理だったんだ。馬鹿な俺たちが、何をしたって成功するはずもない」
「でもよお!! いま治療費が稼げなきゃ、チビ共の医者代も払えなくなるんだぞ!?」
辛そうに顔を顰めた男たちを前に、少女はほっとして息をついた。
「考え直して下さって、本当に良かった。……この辺りはカルヴィーノ一家の縄張り。あなたたちのような部外者が犯罪行為を行えば、一家が黙っていませんから」
「そんなことは、百も承知なんだよ! だが俺たちは、どうしても金が必要なんだ……!!」
「どのような理由があっても、人を傷付けて金銭を奪うようなことは許されません。だけど」
そして少女は、ぽつりと呟く。
「そんなことをしなくては、生きていけない人がいる。――それは、この縄張りを牛耳っている我が家の責任ね」
それは、この場にいる誰にも聞こえない声だった。
「フランチェスカお嬢さま。お待たせしました」
「ありがとう、グラツィアーノ」
フランチェスカと呼ばれた少女は、路地に入ってきた青年に手を伸ばす。青年から受け取ったのは、一通の書簡だ。
フランチェスカはその内容を確かめると、更には青年からナイフを受け取り、自らの親指に傷を付けた。
「な……!?」
ぴっと小さく走った傷から、粒のような血が滲む。男たちが唖然とする中、フランチェスカは書類の隅に指を押し付けた。
「うん。これでよし!」
満足そうにしたフランチェスカが、水色の瞳で男たちを見下ろす。
「強盗を止めるためとはいえ、手荒なことをしてごめんなさい。だけど、裏社会の住人に目を付けられたら、きっとこの程度では済みません」
「それは……」
外見だけは可憐なフランチェスカは、自らの血がついたナイフを青年に渡しながら、よく通る声で言い放った。
「――大切な人を守るためなら、どうか悪党には成り下がらないで」
「……っ!」
言葉を詰まらせた男たちに、フランチェスカが跪き、書類を差し出した。
「これ、受け取って下さい。この紹介状を持って地図に書いてある病院に行けば、治療費は掛かりません」
「……なんだって……?」
男がぽかんと口を開ける。
フランチェスカが立ち上がると、青年がすぐ指に止血の布を巻いてくれる。続いて、彼に預けていた礼装用の長手袋を受け取ると、それを嵌めながらきっぱりと言った。
「この病院の経営者は、『この一帯で貧しさに苦しむ人がいるのなら、必ず手を差し伸べる』と誓った家です。そこでならその怪我だけではなく、あなたたちが話していたチビちゃんたちの分も、治療代なしで見てもらえるはず」
ふたりの男が絶句したあと、路地裏から去ろうとするフランチェスカを呼び止めた。
「待ってくれ!! あんたは一体……!?」
「ご、ごめんなさい! 遅刻しそうなので、そろそろ失礼します!!」
慌てて駆け出したフランチェスカを追いながら、一緒にいる青年が溜め息をつく。
「……またいつもの悪癖。お嬢、正体を隠す気ないでしょ」
「あるよ、ある! だってこんなの仕方ないじゃない、怪しい人たちを見付けちゃったんだもの!!」
「普通の貴族のご令嬢は、挙動不審な通行人を見て『銀行強盗を企んでる』なんて予想を立てたりしないんですよ」
青年にそう言われ、走りながらもうぐぐと顔を顰める。
「はあ……。もういい加減、堂々と振る舞っちゃったらどうなんすか?」
青年はフランチェスカを見て、つまらなさそうに言い放った。
「この国を裏で牛耳る五大ファミリー、カルヴィーノ家。――あんたはその当主の愛娘で、裏社会を知り尽くした人間なんですから」
「絶対に、嫌!」
青年の言葉に、フランチェスカはぶんぶんと頭を振る。
「私は王立学院に転入したら、貴族令嬢として当たり前の日常を謳歌するんだから!!」
「あーあ、まったく……」
(だって、ずっと夢だったんだもの! 生まれ変わったら別の人生を送るんだって!! 自分が、前世で遊んでいたゲームの世界に転生しちゃったのに気付いたときは、本当に吃驚したけれど……)
誰にも話していない秘密について、心の中で考える。
(私が望んでいたのはごく普通の、平凡な暮らしだけなのに!! ……まさか転生先が、裏社会の巨大ファミリー、そのひとり娘であるヒロインだなんて)
そして、ぎゅっと目を瞑る。
(――このままじゃ前世の、『極道一家の孫娘として生きていた私』と同じ、友達のいない運命を辿っちゃう……!!)
それだけはどう考えても阻止したい。
今世では絶対に友達が欲しい。
フランチェスカは心に誓い、血判のために傷付けた指を手袋で隠して、表通りに停めている馬車へと急ぐのだった。
路地の頭上にある窓から、ずっと彼女を見ていた男がいることなど、いまはまだ気付かない。
「……随分とお人好しな人間なんだな。フランチェスカ」
黒い髪、そして金色の瞳を持つ美しい男は、手摺に頬杖をついて暗く笑った。
「面白い。君と戯れるのも、なかなか楽しみになってきた」
そして青年は、獲物を見定めるかのように目をすがめる。
「……あれが、俺の婚約者……」
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