海を見つめる伝言板
令和の元号に違和感を感じなくなった昨今、仕事のノルマは契約件数だけでなく有給の消化まで及び、強制的に一週間の休みを取らされた。上司から明日からだぞ、と念押しされた晩、休暇を過ごす場所を探すため、自宅から電車で三時間以内、美しい風景、という条件をパソコンで打ち込んだ。画面をスクロールしていると、海に面した駅舎の写真が目に飛び込んできた。近くにいくつかの温泉街もあり魚も美味そうだ。湯治もどきも悪くないと、翌夕にはその駅舎に足を運んでいた。
駅舎は待合用のベンチと乗車券の自動販売機、切符を入れる小箱が改札という、殺風景な小屋だった。海を見ながらタバコをふかしていると、自分の目線と並行に立つ伝言板が目に入った。懐かしいと思い、近くに寄ったが何も書かれていない。それもそのはずでチョークも黒板消しも無い。廃棄すらもしてもらえなかったのかと思ったとき、ふとイタズラ心が浮かんだ。
翌日の休暇二日目に、レンタカーを借り、近くの名所を見たあとにホームセンターでチョークを買うと
「16:55ようやく辿り着いたよ。それなのに君はいない」と伝言板に書き、チョークを紐で結わえてピンで留めた。
三日目の夜、駅舎を覗くと「08:25/すれ違いね」と書き足されている。綺麗な草書体だった。仕掛けた本人が驚いては様にならない。顔が緩むのを感じながら「19:10/君は今どこにいるの」と書き添えた。
四日目「08:30/水底で海神の歌を聴き、雲の上でお陽様とにらめっこ」
「18:45/素敵だね。どうやって行くの」
五日目「08:29/想像力を働かせて」
「18:55/歳を取って枯れるのは、肉体でなく想像力なんだ」
六日目は何も書かれていなかった。ここまでか、と思ったが今日が日曜日であることに気がついた。書き手は学生かも知れない。「18:31/想像力は衰えるが、美への感性は鋭くなる。自分がこの美しい世界に生を受けたということを実感したい」と、心のなかで手を合わせながら書いた。
休暇の最終日、レンタカーを返し、夕暮れの駅舎に着いた。黒板には「08:40/日没は17時55分。海を見て」と書いてあった。
振り返ると水面が穏やかな波に揺らぎ、傾く夕日に向かって光の道が真っ直ぐ伸びている。カモメが声をあげて飛翔し、その先を朱色に染まった雲がゆっくりと流れている。
西に位置する海辺の街なら何処でも見られる風景かも知れない。けれども美しい、と心の底から思った。電車が到着するアナウンスが流れる。僕は慌てて「17:44/本当に美しい。どうも有難う。お陰で充実した休暇だった」と書き車両に飛び乗った。
ドアが閉まり電車が動きだす。ホームにいた、家路に向かう女子高校生グループのひとりと目が合い黙礼した。美しい黒髪を揺らして彼女も微笑んでくれる。乗客と汐の香りを運んだ列車が夕日を背負って進む。僕は頬杖をついて水平線に沈む夕陽を眺め続けた。