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 知己  作者: 坂本梧朗
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第5話

 

 野元はクラス担任でなかった去年までは、退勤時間になると塚本の側に行って、帰りませんか、とよく声をかけた。一人で帰るより塚本と話をしながら帰る方が楽しかったからだ。塚本は声をかけられれば大体それに応じて一緒に帰った。即、というわけにはいかず、彼の仕事が終るのをしばらく待たなければならない時もあったけれど。塚本は去年はクラス担任をしていたので仕事が多かったのだ。今年は立場が入れ替わった。野元は非常勤講師から専任になり、クラスを担任した。塚本はクラス担任を外れて副担任になった。

 専任になったのは野元にとって意外なことだった。専任になる場合は常勤講師としての勤続期限である三年以内に昇格するのが通例だった。野元は常勤講師三年目の終りに専任昇格は見送る旨を校長から告げられた。その翌年、つまり去年は非常勤講師に降格された。他によい就職口もなく、非常勤講師として一年勤めた。専任になることは諦めていたし、全く考えていなかった。非常勤講師の気楽さもいいなと思い始めていた矢先の専任昇格だった。自分のどこが評価されたのか野元には分からなかった。同期に常勤講師として入った者は三人いたが、三人とも専任にはなれなかった。誰か一人は専任にしたいのだがと、専任見送りの通告の際、校長は野元にもらしていたが、それを一年遅れて実行したようだった。                                              

 クラス担任になると確かに仕事が多く、退勤時間までには終らない場合がある。塚本は時間になるとさっさと帰っているようだ。去年の野元のようには声をかけてこない。野元は無視されているような不快感を感じないわけではない。しかし同時に塚本らしさも彼は感じる。一種の合理主義だ。塚本は全く声をかけてこないわけではなかった。一、二度、帰り支度をして野元の側に来て、「忙しいようだね」と言ったことがある。実際、学年の立上がりの時期で、クラスの生徒に関する書類の作成、整理に追われていた野元は、「ええ」と頷いた。塚本は「そうだな」と呟くと、「それじゃ」と行って帰って行った。その後は声をかけてこなくなった。帰れる者は帰ればいい。一緒に帰ることを至上目的にして互いに縛り合う必要はないという合理主義だ。職場の教員の中には一緒に帰ることを交際の証のようにしている者もいる。それが同年輩であれば、互いに相手の都合を考えて譲歩し合うだろうが、年齢差がある場合は年下の者がどうしても無理をすることになる。社会科の村西と英語科の佐藤の関係がそうだ。この二人は必ず一緒に帰る。村西より一回り年上の佐藤は退勤時間になると、「先生、帰るよ」と村西の側に行って声をかける。村西が仕事をしていようがいまいがお構いなく。村西はその声に慌てて帰り支度を始める。仕事を打ち切れず、「後、五分待って下さい」などと言う場合もある。野元はそんな村西の様子を見て、年長者に気に入られるのも大変だなと思う。それに比べればさっさと帰ってしまう塚本のほうが気が楽だ。塚本は声はかけてこないが、離れた所から自分の様子を窺って、まだ帰れそうにないと判断しているのかも知れないとも野元は思った。自尊心の強い塚本は声をかけて断られる不快をそうすることで避けているのかも知れなかった。

 その日、野元は退勤時間に職員室をすぐ出られるように仕事の段取りをしていた。塚本と酒を飲むことになっていた。こんな事が学期に一、二度あった。野元が言い出すこともあれば、塚本が持ちかけることもあった。その日の飲み事は三日前のスクールバスの中で決まった。塚本が言い出したのだが、名目は担任になった野元の慰労だった。退勤時間になると、塚本が早速側に来て、「先生、いいですか」と声をかけた。野元は「はい。いきますか」と答えて、肩掛け鞄を取り上げた。それはその日野元が塚本と職員室で交わす最初の会話だった。二人は出勤のスクールバスに隣り合って座り、話をするが、職員室に入ると殆ど話すことはなかった。所属学年が異なり、席が離れているということが大きな原因だった。側に行ってまで話すことは互いにめったになかった。印刷室などで会うと、作業をしながら二言三言、相手の仕事を尋ね合ったりすることはあったが。「はい。いきますか」という野元の言葉に塚本は「うん」と応じて自分の席に行き、これも鞄を肩に掛けた。二人は久し振りに一緒に職員室を出た。



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