第17話 - 2 トールに迫る暗殺者 ~依存の代償
放課後、トールは3年生の教室にセイ=クラーゼンを訪ねた。突然の二人の会合に、3年生達がざわめく。渡し損ねた賞金の話をすると、セイは笑い飛ばし、断固として受け取るのを拒絶した。その代わりとして、「少し、話さないか?」の提案に、トールは快く乗る。
――寮近くの湖のほとりで、二人は原っぱに腰を下ろす。山に沈みゆく茜色の陽が、うろこ雲の空と湖面にその色を滲ませていた。山から吹き下ろす風が、草花を揺らす。
「姉から聞いたんだが、君は軍人になりたいそうだね。良ければ、その理由を聞かせてもらえるかな?」
「……僕の父は、軍人でした。僕が小さい頃に戦死してしまいましたが、父のお陰で、自分も母も、今こうして生きていられると思っています。誰かがやらなければならない役割なら、次は僕が引き受けようと……」
「解るよ……。騎士団からの誘いもあるようだけれど、騎士になるつもりはないのかい?」
トールは、湖の遠くを眺めた。
「もしも興味を持ってもらえているなら光栄ですが、誘われている訳ではないですよ。正直、騎士団に魅力は感じています。一度、任務に参加させてもらって、フレイさんやヘラグさんのような素晴らしい人達と共に務められたら、どんなに素晴らしいだろうと思いました」
「進路を決めるのは、まだ少し先の話だ。ゆっくりと考えれば良いよ」
セイは、トールに優しく微笑んだ。
「私は将来は、政治家になろうと考えているんだ」
「……政治家ですか?」
「ああ、世界を変えられるのは、政治の仕事だからね。トールが軍人になるなら、開戦前に軍を有利に導くこと、それ以前に戦争をせずに済ませることが私の役目だ」
「凄いですね!」トールは、同年代の少年の持つ大望に、素直に圧倒される。「僕には到底、想像もできない世界です」
「ハハ、まだ何も成し遂げていない。自己肥大をこじらせた学生の戯言だと思って、少し話を聞いてくれるかい?」
「はい、勿論です! あ、いえ、勿論というのは学生の戯言に対してではなく、聞くということで……」
緊張しちゃって、カワイイ後輩だな……とセイは思った。あの凶悪なスペードを殺した者と、同一人物とは思えない。
セイは、自身の政治家としての目標を語った。それはあまりに壮大で非現実的であったが、もしかしたらセイなら成し遂げてしまうかも……という不思議な説得力もあった。
「オーシアによる世界統一国家、その先にある理念が実現すれば素晴らしいですが、果たして実現可能なのでしょうか?」
トールの疑問は、一定以上の常識を踏まえた世界中の人々と共通である。何故、歴史上、誰もどの国も成し得なかったものが、現在のオーシアに可能なのか?
「トールは、どう思う?」
「……僕には、話が大き過ぎて考えも及びません」
「私もだよ」
え? と、トールがセイを見やる。
「私も色々と考えてはいるんだけれど、正解は見えない。だからまずは、オーシアを世界一の大国にする。東のエディンバラを取れば、オーシアは産業規模と人口規模で最大になる」
エディンバラ公国は、トールの故郷と隣接する。かつてはオーシア王国の一領地であったが、120年前、領主であったエディンバラ伯爵が独立を宣言。激しい戦いの末、事実上の独立を勝ち取った。以降、君主が王ではなく伯爵を名乗り続けるのは、オーシア王政の権威を否定する目的があるとされている。
オーシア王国の立場からは、戦争を勃発させても、内政問題であり反逆者の鎮圧であると大義名分も立つ。ただ近年、若い国家元首に代替わりをして以降、エディンバラは軍事力を増強している。行動を起こすなら、早くしなければ。と、セイは計画の賞味期限を感じていた。
トールにとってエディンバラは、父を殺された遺恨のある相手だ。さて、どう反応する? と、セイはトールの顔色を伺う。……そこに、エディンバラへの憤怒、復讐心などは感じ取れなかった。もうとっくの昔に、何らかの形で昇華されたテーマなのだろう。
ここで、トールは軍人になる意味を突き付けられる形になった。戦争の大義が、常にオーシアにあるとは限らない。いや戦争の当事国は、どの国も何かしらの大義を主張する。セイがオーシアで重要な地位に就き、世界統一国家の大義をもってエディンバラを侵攻した時、自分は果たしてその大義に賛同できるのであろうか?
そこでトールは、ジャミルとの対話で得た知識と、その後の考察を説いた。世界から戦争の必然性をなくし、富は集中させずに常に循環させる。強引に世界を統一せずとも、現状の枠組みで緩やかに連携していく方向性の先にも、セイが求める平和な世界はあるのではないか?
セイは全てを諦めたように、首を振った。
「国際協調をもって訪れた平和は、どれも仮初めに過ぎなかった。一つの絶対的な力をもって統治しなければ、人は争いを止められはしないのさ」
トールは黙して、反論も賛同もできない。もしかしたら、セイの方が正しいのかもしれない。自分はただ、その過程にある血生臭い道を避けたい一心で、ご都合主義でものを考えているのかもしれない。ジャミル=ミューゼルという巨大な星に依存して、自分は正しいと安易に思い込みたいだけなのかもしれない。
そう考えた時、トールはそれで良いと結論づけた。正解の見えない道に違いないなら、その過程で人の血が流れない方、流れたとしても少なくて済む方を選びたい。
黙するトールに、セイは察した。確証のない者に、自分ではなく、他人を犠牲にする茨の道は歩けない。
「残念だよ。出来れば君には、近い将来、私の剣になってもらいたかった」
一方的な期待ではあったが、トールはそれに応えられない自分に、後ろ暗いものを覚えた。この「残念だよ」の本当の意味を、トールは知らない。
しかしセイは、猶予を設けようと考えた。王立騎士団入りをするとしても、まだ先の話だ。本人の希望通り軍人になると言うなら、見過ごしても良いのではないか。また今日、トールの心に撒いた種が、芽吹かないとも限らない。
――この時、セイにユリア=テロニクワの姿が浮かぶ。トールに猶予を与える根拠が打ち消され、その周辺での思考活動が不能に陥る。代わりに、「トールを殺す」という決定に上書きされた。
ユリア=テロニクワの異能、『依存の代償』である。ユリアに依存した者は、その度合いに応じて精神支配を受ける。ユリアと交わした約束を果たす、ユリアからの期待に応える事が優先され、その周辺の思考回路から合理性が奪われる。
薄暗く茜色も消えかかった頃、二人は湖畔を後にした。
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