第12話 - 2 ウィンザー邸、襲撃事件 ~命を奪う覚悟
夜間警護で、ちょっとしたトラブルが発生した。ウィンザー邸付きの衛兵隊長が、王立騎士団による邸内警護を拒絶したのである。衛兵隊長には、部下たちへの信頼と任務への強い自負があった。邸外の警護を任せるのはともかく、邸内には出しゃばらせたくない。
王立騎士団、この度の任務でリーダーを務める副団長ロイズは、これを承服しかねた。しかし衛兵隊長の意志は強く、一人、フレイを邸内に配置するのを飲ませるので精一杯だった。ジャミル=ミューゼル侯爵の護衛任務としてここにいる以上、誰も側にいない訳にはいかない。これを拒否すれば、護衛任務への妨害行為として訴える。と脅迫を混ぜ、ようやく得られた妥協である。
ロイズは、この妥協案で善しとした。いつまでも、交渉に費やす時間はない。その旨を伝えると、フレイは呆れ顔で、「はい、はい」とだけ答えた。
一方、トールとヘラグは、西側の外壁を任された。外壁の約50メートル先には林があり、敵が身を潜めるには恰好の場所となる。仮に林から弓で狙われた場合、そう簡単に当たる距離ではないが、十分に殺傷力を持った有効射程距離ではある。常に、飛来物には気を配っておかねばならない。幸い今日は半月で、そこそこには明るい。
ただ現実的には、当たる可能性の低い弓矢を打ってくるとは考えにくい。当たらなければ、ただ敵襲を知らせるだけになる。あるとすれば、陽動であろうか。何れにしても、自分の常識で想定を狭めるのは危険だ。
「トール、今のうちに教えといてやるよ」
やんちゃさが目立つヘラグであるが、根は面倒見がよく真面目だ。
「こういう護衛っていうのは、ほとんど何も起こらない。初任務の今日は心配ないだろうが、何度もそれを経験すると、どうせ何も起こらないと思うようになっちまう。まあつまり、油断だ」
「はい、解ります」
神妙に、トールは頷いた。
「おっと、こっちを見るんじゃねえ! 目は、林の中にでも向けておけ」
「はい」
「……その油断の代償は、任務の失敗と自分の命だ。あと勝手に、危険な任務だ安全な任務だと判断すんじゃねーぞ。こっちは全ての情報を、知らされてる訳じゃねーんだからな」
先輩風を吹かせてはいるが、言っている内容は騎士団で教わった受け売りである。言っているヘラグも、何となくバツが悪い。
「ただジャミル=ミューゼル公は、俺から見ても危険だ。気を引き締めてかかれよ」
トールは、護衛任務の難しさを感じていた。緊迫した臨戦態勢では、長時間は持たせられない。気を抜き過ぎれば、その虚を突かれる。気を楽にしながら張り詰めておくという、微妙な匙加減を求められる。
剣術の試合では、戦闘開始の時間が決まっていた。その時間に合わせて、自分を戦える精神状態に持っていけば良かった。しかしこの任務では、戦闘開始時間が判らない。相手が万全の準備で挑んで来るものに、受け身で対応しなければならない。この圧倒的に不利な状況で、負ければ命を落とす。
……ぬるま湯も、良いところだ。所詮、学院は守られた安全な空間なのだと、トールは思い知った。常識として知ってはいたが、こうして実戦の場に身を置けば、見えてくる世界も変わってくる。
いつ誰が、襲ってくるか知れない。今、こうしている間にも、敵がこちらの様子を伺っているかもしれない。意志に反して、心が身勝手に脅える。可能なら、すぐにこの場を離れたい。
「トール、今から言う事が、もっとも大切だ」
ヘラグの改まった声は、緊張して聞こえた。
「お前、人を殺した経験は……ないだろうな。……一瞬でも躊躇したら、自分が殺されると思え。現場では、甘いやつ、優しいやつから死んでいくんだ。任務を果たす、敵を殺す、自分が生き残る、それ以外の事は何も考えるな。……良いな?」
「……はい」
トールの返事が遅れたのは、自信のなさの現われだった。果たして、自分に人が殺せるのか? 軍人を志している以上、考えないテーマではない。乗り越えられない壁とは思えないが、躊躇なくとなると、どうだろうか?
ヘラグは、トールの心中を察した。いきなり躊躇なく人を殺せるような人間ではない事くらい、接していれば判る。こうして心構えは教えてやれても、後は本人の問題だ。早死にしてくれるなよ……。
二人に、沈黙が訪れた。トールはこの時、初めて高く澄んだ虫の音に気付いた。
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