第9話 - 1 獅子王杯、準決勝 フレイ VS トール ~人の形をした絶望
獅子王杯7日目、出場選手は4人にまで絞られた。準決勝第一試合にフレイ、そしてトールの名があった。
トールはフレイ戦に至る3回戦、4回戦の二試合、あえて試合開始直後のギアを落とした。フレイの目の前で、スロースターターを印象づけたのである。対戦相手も肩書きに恥じぬ強者であったが、序盤を慎重に入ってくれたことで功を奏した。
この行動は、勝敗に拘らず、あくまでも自身の成長のみを追い求めるトールの姿勢とは相容れない。だがトールはあえて、今回は勝利への可能性に執着した。絶望的な状況に心を折られず、創意工夫をもって対抗する訓練の場と考えたからである。
フレイの方も、開始直後から圧倒する勝ち方はしていない。これは慎重さと言うよりも、相手選手への気遣いであった。
勝敗オッズは、フレイ1.04、トール9.0。圧倒的にフレイが有利ながらも、トールの勝ち目も、僅かであるが見込まれている。さすがに準決勝まで上がってきた実力が評価されたのと、トール・ハンマーという圧倒的な武器の存在が大きい。
試合開始の時間となり、東西ゲートから両雄が入場する。絶対王者フレイと、学生の身で準決勝まで勝ち上がってきたトールに、歓声が湧く。
剣術界において、もはやトールの名を知らぬ者は殆どいない。高等部の1年生が、初出場で騎士ケヴィンを打ち破り、準決勝でフレイと相見える。注目されて当然であろう。
トールはフレイを真正面に見据え、この状況に立った自分を悔いた。生き物として、圧倒的強者にわざわざ立ち向かう事ほど、愚かな行為はない。人としての理性ではなく、生き物の本能が、懸命にトールに逃亡を命じる。
しかし、トールは僅かに笑んだ。笑って、本能の命令を拒絶した。フレイを相手に、しかも公式戦で戦える。元より、命を懸けての勝負ではない。恐怖など、自分の弱さが見せるまやかしに過ぎない。
「今日はよろしく! トール。今、売り出し中の剣士と対戦できて、光栄だよ!」
フレイは、さすがに堂々たる振る舞い。そこにはトールの緊張を和らげようとする、思いやりすらあった。
「はい、よろしくお願いします」
トールは、深々と頭を下げた。今、こうして対峙しているだけで、肉体の内側から恐怖が込み上げてくる。気を抜き、油断すると我を見失ってしまいそうだ。
既にトールは、フレイに数百回は殺されていた。イメージ上の模擬戦での話であるが、トールの主観では、その位置づけで差し支えなかった。
イメージ上でのフレイには、木剣ではなく、真剣を持たせた。そしてトールの知る最高峰のフレイに、幾度となく挑み続けた。結果は、全戦全敗。何もさせてもらえず、ただ一方的に斬殺されるばかり。メアリーを仕留めた最後の一撃を出されれば、トールに成す術はなかった。
トールのイメージ上での戦いは、映像や音の他、感触や痛みまでも創造する。フレイとの対戦では、絶叫する程の激痛、死に向かって薄れゆく感覚と意識までも経験した。ただ想像上とは言え、生と死の境界線を越えてしまっては、本当に死ぬ危険性がある。自分は死んだと判断した脳が、肉体機能を停止させかねないからだ。境界線を渡る半歩手前で、トールはイメージを解除する。それを行う必要最小限の理性は、現実世界に残してある。
今回の経験で、トールは一つ確信を得た。人は、死には慣れない。元々、誰でも一度しか死を経験できない。けれども仮に幾度と死のうとも、人が死に慣れる事はない。その恐怖と断末魔の絶望は、同じ濃さで有り続ける。
顔を上げると、そこには昨夜と同じく、人の形をした絶望がいた。ぼんやりと、トールは思う。早く、試合を始めさせて欲しい。自分に、戦うか逃げるかの選択肢をくれ。何もせずにいれば、絶望を相手に心が屈服してしまう。
だが、恐怖心も暴力への衝動も、決してフレイに察せられてはならない。心の奥底に仕舞い込み、目に宿らせてはならない。
フレイは、トールに違和感を覚えた。気配が、あまりに静か過ぎる。これから戦いを始める者の、それでは決してない。気負いも脅えも感じられない目の色には、覚えがある。とすれば、その奥にあるのは……。
「始め!」
審判の試合開始の号令と、銅鑼の音が響く。
――狂気だ!
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