第2話 シュヴァルツ高等学校、交流戦
交流戦の日が訪れた。
アラド=クラーゼン学院とシュヴァルツ高等学校とは、姉妹校として深い友好と交流関係がある。教育資源の共有や連携も盛んで、定期的に開催される剣術交流戦も、その一環であった。
例年でクラーゼンが優勢であったが、シュヴァルツも予算をかけて優秀な指導者を招くなど、その力の差は埋まってきている。今回の1年生同士の交流戦においては、下馬評でクラーゼンの実力はさほどでもなく、シュヴァルツは雪辱を晴らすべく士気を高くしていた。
試合は、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将を決め、勝ち抜き戦で行われる。クラーゼンは、先鋒:ベルゼム、次鋒:シンシア、中堅:カリム、副将:シュツワート、大将:トール、と決定された。これは単純に、先鋒からの実力順である。実力の高い者が、確実に試合を行えるようにという思惑だ。試合を行えない者があったなら、必要に応じて、クラーゼン生同士で試合を組むと話がまとまっている。
試合会場となるクラーゼン学院に隣接する闘技場は、約2万の収容人数を誇る本格的なものだ。一校が所有する闘技場としては、異例の規模である。円形の大地を石の柵で覆い、それを見下ろす形でスタジアム上に客席が配置されている。
ただ客席は無料で一般開放されているものの、1年生同士の交流戦では注目度も低く、人はまばらだ。両校の関係者と生徒、選手の身内を除けば、近所の熱心なマニアか暇つぶしに訪れているくらいだろうか。その中で、中段にエレナ=クラーゼンの姿もあった。
現在、両校選手による試合前の調整が行われている。素振りをする者、軽く打ち合う者、ステップを踏んで足場を確認する者、与えられた時間で各々が準備を整えていく。
エレナはまず、ベルゼムに着目した。シュツワートと打ち合いながら、様々な動きを確認している。気迫も十分で、踏み込みの鋭さから、身体の調子も良さそうだ。さて獅子王杯のレベルにまで、届いているかどうか。
シュヴァルツの方に、一人、気になる選手があった。190cmはあろうかという細身の女性で、ゆったりと型を繰り返している。銀髪のおかっぱが、大人びた面立ちとどこかミスマッチだ。長身選手にありがちな鈍重さは感じられず、なかなか見事な連動性である。具体的に敵の姿がイメージされ、リアルな攻防となっているのが伝わってくる。どうやら彼女が、シュヴァルツ側のエースであろう。
そしてもう一人、カリムと打ち合っているトールの姿が目に留まった。事前調整にしては強すぎるカリムの打ち込みに困っている様子だが、その受けの形がヤケに決まっている。まるで講師が、ヤンチャな教え子に稽古をつけているようだ。「ほう……」と、エレナは口元をニヤリと歪めた。これはもしかすると、面白くなるかもしれない。
「頑張れ! クラーゼン!」
エレナの右斜め前方から、ややしゃがれた女性の声が聞こえて来た。目を向ければ、見慣れた後ろ姿があった。試合の度に見かける、お馴染みのお客さんだ。エレナの学生時代にもいて、最初は誰かの家族か親戚だと思っていたのだが、どうやらそういう事でもないらしい。名前も住む場所も知らないが、近所のクラーゼン贔屓の剣術ファンといった辺りだろう。何となく学院長として、この人をガッカリさせたくないと思うから不思議なものだ。
大柄なベルゼムの前に、頭の半分ほど、さらに長身の女性が対峙した。シュヴァルツ高等学校1年生筆頭、メアリー。今回が、初めての対外試合となる。両者、筆頭同士の対戦となった。
先鋒であるベルゼムは、ここまで4人を下して来た。奇をてらわず、正々堂々たる試合運びで、相手との実力差どおりに順当勝ちをして見せた。ただ副将戦での苦戦が響き、さすがに疲労の色は濃い。しかし眼前の敵を見据える眼光は険しく、まるで獰猛な獣のそれであった。
威圧され、メアリーは完全に気圧された。「気楽に頑張って来いなんて、絶対に嘘じゃない……」という意味を込めて、先生に恨みの視線を送る。能天気な笑顔で、ガッツポーズを返された。もうダメ、棄権しよう!! と決意した瞬間に、審判から試合開始の号令が発せられた。
「始め!」
大男(自分ほどではない)が、一気に間合いを詰めて来た。初撃の突きが、喉元を襲う。メアリーは上体をねじり反らし、辛うじてこれを躱す。一瞬、眼前の木剣で左目の視界が塞がれた。体勢を立て直す間もなく、二撃目の突きが腹部を狙う。メアリーは、これを後方に倒れ込んで逃れ、その勢いで回転して距離を取り、立ち上がった。わずかに、場内がどよめく。
ズレた兜を戻しながら、メアリーは再び、先生に目をやった。「絶対に無理ですって! 棄権して良いですか?」の思いを伝える。先生は親指を立て、何か言葉を発した。口は、グッジョブ! の形に見えた。……コノヤロ~!
オーソドックスな中段に構え、切っ先をベルゼムの胸に向ける。戦う意志というよりも、私に近づいて来ないで……という心情であった。
同じくベルゼムも中段に構え、息を整えた。相手との距離は二足ほどか。重く疲労のある今、できれば最初の打ち込みで勝負を決めたかった。自分よりも上背があり、身体能力の高さも解った。練習を見た印象では、技術も決して低くはないはずだ。
ベルゼムはジリ足で、ゆっくりと距離を詰める。メアリーは合わせて下がり、距離を保つ。
ベルゼムは圧をかけながら、メアリーが動くのを待った。後の先を取るべく、彼女の攻め気に全神経を集中させる。メアリーの表情は、泣くのを必死に堪える幼い子供のように見えた。まさかこの試合に立つ者が、本気で怯えているとでも言うのか?
メアリーは必死で、大泣きしそうなのを我慢していた。この人、強い! さっきの攻撃だって、かなりヤバかった。こんな人、うちの同級生にはいない。棄権しようにも、そんな事をしたら何を言われるか解らない。最悪、あの先生だったら退学もあり得る。何とか早く終わらせて、この怖い顔をした男の人から離れたい。
負ければ、あのとんでもない一撃をくらう事になる。痛いのは嫌だから、残された選択肢は勝つしかない。そう結論づいた時、メアリーの腹が据わった。窮鼠、猫を噛むモードに入った。
表情が消え、メアリーをまとう空気が一瞬にして変わった。ベルゼムに戦慄が走った。――それは、ほんの小さな隙だった。恐怖で重心が後退した刹那、メアリーの上段斬りが飛ぶ。ベルゼムは剣で受けるも、後ろ重心では威力に負けて流される。その分、次の胸部への刺突に対応できなかった。……勝敗は決した。ベルゼムは苦悶に顔を歪め、片膝をついた。
メアリーがホッとした表情を見せるも束の間、勝ち抜き戦であることを思い出した。恐る恐る、クラーゼン側の控えスペースに目を向ける。全員が、自分に注目している。さらに巨大な体躯をした男が、燃えるような眼差しで笑みを浮かべているのを見て、メアリーは心底の後悔をした。
「勝者! シュヴァルツ高等学校大将、メアリー!」
審判の高らかな勝者宣言が、場内に響き渡った。目を閉じ、ホッと息を吐くメアリーと、うなだれる副将:シュツワート。その力量差は明らかであり、勝負と評せられるものではなかった。
先鋒:ベルゼム戦以降、メアリーはただ、早く終わらせる為だけに戦った。その姿は、まさに鬼神の如く。次鋒:シンシアは、多少の善戦はしたものの、防戦一方の末に押し切られて敗退。中堅:カリムは、剛腕を振るうも難なく躱され、肉体はおろか剣にも触れられなかった。
1年の担任ゴードンは、この時点で首を振り、奥の控室に引っ込んだ。たった一人の選手に、最後の一人まで蹂躙され尽くされるのは、見るに耐えなかった。
エレナ=クラーゼンは、目を見張った! メアリーとかいう1年生、とんでもない逸材じゃないか! うちのスカウトは、どこで何をしていたんだ?
メアリーの強さの基盤は、高い身体能力にある。天性の骨の柔軟性を持ち、その活かし方を知っている。全ての動きは体幹から行われ、骨をしならせた反発で加速。一定のレベルにまで到達すれば、誰もがある程度は得ている感覚であるが、その連動速度が桁外れだ。それを高身長の深い懐でやられるのだから、射程内に入る時点で困難を極める。
これでは、うちの1年生連中では付いていけない。ベルゼムに疲労がなく万全であったとしても、どこまでやれたか……。残されたトールも、少しは期待したが、このレベルではないだろう。もしもメアリーがクラーゼンに在籍していたなら、間違いなく獅子王杯に選出されていたに違いない。
「こいつは……」
エレナは思わず、爪を噛んだ。育ててみたい逸材が自らの手元にない事実が、腹立たしかった。
あと一人で、帰れる! ようやく見えてきた終わりに、メアリーの胸は躍った。結構、最初の人が強かったので、これは大変だと思ったけれど、他の人達はそうでもなかった。多分、強い順から並べたんだと思う。これなら最後の一人も、問題ないかな? 疲れも、ほとんどない。ウォーミングアップが済んで、逆によく動けるくらいだ。
「アラド=クラーゼン学院、大将トール、前へ!」
対峙した赤髪の少年は、いかにも凡庸そうだった。他の選手のようには、特に感じるものがない。気迫と脅えと緊張の入り混じった目は、メアリーと同様に経験の薄さを物語っていた。
相手の力量を察し、メアリーの力が抜けた。よく見ればこのトールという子、なかなか整った顔をしている。取り立てて際立ったパーツはないものの、全てが及第点以上で均整が取れている。人の良さそうな、ごくごく平凡なカッコイイ少年だ。
メアリーは他人があまり得意ではないせいか、自己主張の強い顔立ちが苦手だ。絵描きが表現する神話の英雄のような姿は、カッコイイと思う以上に近寄り難さを感じてしまう。これくらい大人しい顔立ちの方が、安心できる。
いやいや、和んでいる場合じゃないと、メアリーは気を取り直した。剣術に限らず、メアリーにも、相手を侮って痛い目に遭った経験くらいは何度かある。とにかく全力で終わらせて、早く帰る! メアリーの顔から、表情が消えた。
遠目から、ベルゼムに戦慄が蘇る。彼女が別人のように切り替わった、あの瞬間だ。
「トール! 来るぞ!!」
思わず、ベルゼムは叫んだ。瞬きの間、メアリーの意識がトールから逸れた。それが、トールに先手を許させた。
メアリーは、上段に振り上げながら、跳躍するトールの姿を見た。え、何のつもり? 一か八かの玉砕戦法? 呆れた……。こんなもの、私が喰らうはずないじゃない。これじゃ、素人以下よ。ここでメアリーに、好奇心が湧いた。トールの渾身の一撃を、どんなものか受けてみようと思った。
え、消え……!?
と刹那、トールの剣身が消えた! 上段の受けが間に合ったのは、メアリーだったからだ。右手に得体の知れない衝撃が伝わってきた時、メアリーは死を直観した。だが、同時に起こるはずの頭部の衝撃は薄く、ぼんやりと着地するトールを眺める。
遅れて、兜が真っ二つに割れて、頭部から滑り落ちる感触。中央部分で折られた自らの木剣を確認して、メアリーは敗北を悟った。自分は剣を折られ、寸止めの情けをかけられたのだ。兜を割って頭部を傷つけないなど、何という技量だろうか。
……涼しげな顔の裏で、トールは動転していた。寸止めで勝つのは予定どおりであったが、兜に当てるつもりはなかった。ほんの少しでも加減を間違えていたなら、大怪我では済まなかっただろう。……でも、これはこれでカッコイイから、狙ってやった体で行こう!
「勝負あり! 勝者、トール!」
誰の目からも、もはや勝敗は明らかだった。ルール上では、明らかなダメージを負うか、本人が負けを認めなければ勝敗は決しないが、それを指摘する野暮もいないだろう。
「何だ、今のは?」
エレナは、信じられないものを見た。開始ざまの跳躍は、明らかな愚行に思えた。子供のチャンバラごっこではないのだから、奇襲にしても稚拙すぎる。この時点で、トールの敗北は決定的だった。
しかし次の上段斬りは、常軌を逸した鋭さだった。おそらくメアリーには、消えたように見えただろう。そして、兜を割る寸止め。狙ったのだとしたら、1年生の、いや学生のそれではない。自分でも、実戦で同じ芸当ができるかどうか。
場内は、少人数とは思えない大歓声に包まれた。クラーゼン贔屓のおばちゃんは、なぜか国家を熱唱しながら、よく解らないクネクネとした動きをしている。
右足を引きずりながら、カリムがトールに駆け寄った。
「すげーな、お前! あんな兜割り、どこで身に付けやがったんだよ!?」
トールは少し困った様子で、照れ笑いを浮かべた。
やはり、凡庸にしか見えない。メアリーはまだ、現実感を取り戻せずにいた。……こんなに普通っぽいのに、すごく強い! メアリーの眼差しに、ある色がこもった。……ギャップ萌えだ。
歓喜に湧くクラーゼン陣営にあったが、ただ一人、ベルゼムだけは座して沈黙していた。
予告: 第3話 ベルゼム VS トール
何より、ベルゼムは自分が許せなかった。恐怖に逃げたメアリー戦を払拭するため、トールに勝利し、雪辱を晴らすのに代えたかった。
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