第30話 - 1 トールの長期休暇 ~期待の洪水
トールの勝利により、学院の空気は変わった。強烈な異能を持つルイーゼを相手に、異能を使わずに圧倒する。それは異能を持たざる多くの生徒たちに、一筋の光を照らした。異能にまったく太刀打ちできないのであれば、剣術にどのような意味があるのか? という技術への疑念があっては、発展や進化は望むべくもない。
しかしトールを、未来の自分の姿だと思えるのは、やはり一部の生徒に過ぎない。そしてその一部も、早期にやる気の芽は枯れてしまうだろう。仕方のない事ではあるが、エレナはもう一押し、彼らの心に火を点けんと画策した。
そして今ここ、校内の大ホールの檀上にトールは立っている。全校生徒、殆どの教員までもが、トールに意識を集中。嫌という程に伝わってくる期待値の高さに、トールはたじろいだ。この手の緊張感は初めての経験である。
……どうしよう、声が出ない。トールは、完全に呑まれた。自分は、自分の知っている事しか話せない。どれもこれも当たり前だと思うし、皆に役立つ保証はないし、ガッカリさせたら申し訳ない。
「えっと、その……」
もう、これは駄目だ! 今からでもお願いして、何とか中止にしてもらえないだろうか? と、トールの心が折れそうになった時、生徒たちが座る左後方に異質の顔があった。思いつめた様子で、こちらを睨みつけて来る。
これで、トールの心は一服した。期待の洪水に飲み込まれる中、ルイーゼの存在は唯一の救いとなった。
「皆さん、こんにちは。僕は――……」
トールは肩の力を抜き、ただ有りのままを喋った。もしも期待外れでガッカリされても、それが自分なのだから仕方ないと開き直った。
補欠合格で、入学当初は学院で最弱を競っていた。地道に体力を上げ、基礎を体に染み込ませていく内に学年上位に食い込めるようになった。後に学院筆頭になるベルゼムとの決戦では、異能なしで勝利できた。
生徒たちは、食い入るようにトールの話に耳を傾けた。特に具体的な研鑽の部分では、感嘆の声が漏れ出す。トール・ハンマーがその延長線上にあったのは、生徒のみならず、エレナを含めた全教員にとっても衝撃であった。
トールは常に、細部に渡り限界まで合理性を追求する。到達した合理性は反復し、体に染み込ませる。その先にまた、新しい合理性への扉が開かれる。トールはこれを、誰にでも出来る取り組みだと説いた。そして肉体と感覚が違う以上、合理性の回答はそれぞれに違うとも教えた。
希望と、壁を目の前にした不安とが混ざり合った空気が流れた。本当に自分にも出来るのだろうか? トール先輩が特別なだけでは?
うーん、どうしよう……? トールは、何とか上手い説明がないかと考える。そこで、パッと閃く。
「それでは実際に、合理性の獲得を実演でお見せします! ルイーゼさん、こちらに上がってきてください」
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