第1話 獅子王杯に向けて
まあ普通に、こんなものか……。相手は学生の身、騎士たる自分であれば、まさかにも遅れは取らない。赤髪の少年、名前は……確か、トールと言ったか。さすがにこの大会に出るだけはあって、質は持ち合わせている。俊敏で力強く、技術も高い。だがそれは、あくまでも学生としては、だ。
スピードは自分と張り合えそうだが、他の要素は明らかに見劣りする。体格も長身で頑強な自分に対して、中肉中背。これなら総合力の差で、普通に押し切れば良い。
試合用の木剣を打ち合わせながら、騎士ケヴィンは勝利を確信した。
この大会、獅子王杯は、年に一回、若手剣士のみで争われる。若手剣士最強を競う位置づけだけあり、注目度も高い。ある者は純粋に腕試しに、またある者は自分の売り込みの場として、この大会に挑む。実際、獅子王杯での活躍が目に留まり、スカウトされるケースも多い。
ケヴィンのような騎士にとっても、事情と心情に大差はない。力を示して活躍すれば評価は上がり、不甲斐ない姿を見せれば下がる。ただ優勝となると、世代最強の呼び声の高いフレイがいる限り、現実的には厳しい。誰もが、頂点は彼女で間違いないと思っている。まあこのトーナメント表であれば、4強には届くはずだ。
――そろそろ、終わりにしよう。
トールに合わせるのを止め、ケヴィンは攻勢を強めた。剣撃の回転を速め、押し込んでいく。木剣と木剣が衝突する、渇いた音。……しかし、想定外に防御が固い。教科書どおりの受けで、なかなか隙を見せない。下がっての防戦一方ながら、攻勢に対応してきている。彼の表情にも、焦りの色は見られない。なかなか、やるものだ。
このままでも押し切れるだろうが、体力温存のため、できれば長期戦は避けたい。……ならば、誘ってみるか?
左袈裟を受けられたのを確認して、ケヴィンは一歩、後退した。大きく息を吐き、疲労を相手に印象づける。刹那、トールの切っ先が大上段に振り上げられるのが見える。よし、食いついた! 防戦一方で巡って来たチャンスなら、誰だって食らいつく。若ければ、尚更だ。
トールの狙いは一目瞭然。飛び込み上段斬りでの、真っ向勝負だ! ケヴィンは、その潔さに惚れ惚れした。実に若者らしい、思い切った戦い方だ。格上との実力差を悟り、千載一遇のチャンスでの一撃に、全てを賭けてきたのであろう。このまま成長すれば、かなり良い線まで行けるかもしれない。
しかしそこは、相手が悪かった。よし、最速の踏み込みで機先を制し、中段を抜く! 攻勢に出たトールに、避ける術はない。
ケヴィンは半身をひねって刀身を脇に収め、迎撃態勢を整えた。トールは未だ、構えを完成させていない。
――勝利を確信した瞬間、それは起こった。トールの刀身と上腕が消え、驚くよりも早く頭頂に凄まじい衝撃が走った。ケヴィンの意識が、消えた。
――時は遡って、およそ一月前。
アラド=クラーゼン学院では、とある一つの小さな問題が話し合われていた。獅子王杯に一年生を出すか否か、意見がまとまらない。例年であれば、一学年に一人ずつ、3人の出場枠が割り当てられる。しかし2年生・3年生は問題ないのだが、1年生で目ぼしい生徒が見つからない。全体として小粒で、突出した実力の持ち主がいない。
それなら2・3年生からもう一人、選べば良いという話ではある。ただ一学年から一人が選出されるのにも、生徒の意欲を向上させるという意味がある。あくまでも例年通り、学年ごとに公平に割り振るべきという意見と、折角の機会を凡庸な生徒で浪費すべきではないという意見とが対立し、会議は長らく結論を出せずにいた。
数秒の沈黙が訪れたタイミングで、学長・エレナ=クラーゼンが口を開く。
「では、再来週に行われる他校との交流戦を、獅子王杯のセレクションにしてはどうだろうか? この短期間で成長する者が現れれば良し。さもなければ、上級生から適任を選ぶ。……どうかな?」
「しかし学長、たったの10日で急成長するとも思えません」
異を唱えたのは、一年生担任のゴードン。広く注目を集める獅子王杯で醜態を晒すのであれば、まだ出さない方がマシという慎重派だ。
「ゴードン先生、若い原石は、ちょっとした切っ掛けで大きく成長するもの。我々の役割は、その機会を提供すること。違いますか?」
「……はい、学長の仰る通りだと思います」
「よし、では決まりだ! 皆も、異論はないな?」
学長の一言から、場は決した。これなら、どちらの立場でも顔が立つ。また仮に獅子王杯の枠から外されたとしても、1年生の不満も小さく抑えられるだろう。会議出席の一同から、賛意が示される。
エレナ=クラーゼンは、前学長であった父の後を継ぎ、昨年、32歳という若さで異例の就任をした敏腕である。女性にしては長身で、長い黒髪に凛々しい美貌。女帝の異名が定着するのに、さほど時間はかからなかった。
交流戦の選出については、従来にあった通り、ゴードンに一任された。その場で、候補者が挙げられていく。筆頭は、主席のベルゼム。他の学年であっても、3、4番手あたりには付ける実力者である。ここで一皮むけてくれれば、という期待も高い。続いて、カリム、シンシア、シュツワートの3人。それぞれ全体の完成度は低いが、能力や才能において特別なものを持っている。短期間では難しいのは承知だが、伸びしろという意味では面白い。
ただ5人目となると、やや難しい。あとは似たり寄ったりで、大成しそうな何かを持ち合わせていない。少し悩んで、ゴードンはトールの名を挙げた。これといった長所もないが、逆に短所らしい短所もない。可もなく不可もなく……よりは少し上のオールラウンダーだ。獅子王杯の候補としては考えられないものの、アラド=クラーゼン学院、1年生の代表選手として出す分には恥ずかしくない。
「ぃよっしゃー!」
交流戦、選出の報を聞き、トールは拳を突き上げた。教室の他の生徒たちからも、祝福の声と拍手が響く。
「落ちこぼれが、せいぜい恥をかくんじゃねーぞ!」
と揶揄したのは、悪友のカリム。長身にがっしりとした体躯、膂力だけなら学年一だ。
トールが落ちこぼれであったのは、入学当初の話である。他に辞退者が出てギリギリで滑り込めた、補欠合格だった。座学は程々であったが、身体能力は並で、剣術の実技はそれ以下。学年最弱の一角からのスタートだった。
それが9カ月で、驚くべき成長を遂げた。身体能力を上げる基礎訓練も決してサボらず、地道に剣術の研鑽も積み重ねてきた。特に基礎に対する意識は高く、誰よりも反復練習を繰り返した。
特殊な才能やセンスがない分、トールは基礎固めに賭けた。基本動作、正しい型を体に刷り込ませる程、武術の所作は洗練される。その先にしか、到達し得ない頂がある。という学長の言葉を、トールは「才能は後からでも作れる!」と解釈した。
気付けば、トールは学年の中で頭角を現していた。どのような強い相手でも、試合らしい試合を成立させる。学年主席のベルゼムを相手にしても、一度だけだが、引き分けに持ち込んでいる程だ。勝ち切れないまでも、簡単に負けもしない。その姿から、好意的な評価ともどかしさをもって、『善戦のトール』という異名も定着しつつある。
トールの努力の積み重ねと成長を間近で見て知るからこそ、交流戦への選出に、クラスの誰もが納得した。ただ同時に、それは言ってみれば、数合わせの無難枠であるとも察せられた。
「おいおい、カリム。この前、勝ったのは僕の方だよな?」
「馬鹿やろう! あんなもん、負けに入らねーよ!」
トールも負けじと、煽り返す。前回の模擬戦では、確かにトールが勝利を収めている。しかしそれは、あくまでもルール上での話。決められた印に当てた方の勝ち。それ以外の箇所では、ポイントにならない。このルールでは、膂力頼みのカリムには不利だ。実戦であれば、自分は絶対に負けていない! と、カリムは敗北を受け入れていない。
「静粛に!」
教師ゴードンの一喝で、教室は静まり返る。痩せた白髪の初老とは言え、元国軍の少佐にまでなった男である。その存在感と迫力は、学生の跳ねっ返り辺りでは相手にもならない。
「既に説明したように、今回の交流戦は獅子王杯に出場する選手を見極めるものでもある。……正直、私はお前らの中に、相応しい剣士がいるとは思っていない。どうせなら、才能ある上級生に機会を譲るべきだと考えている」
一年生、47回生は外れ年であると、彼ら自身も承知していた。ゴードンの無遠慮な言葉に、劣等感と悔しさの混ざった重い空気が教室に広がる。
「……だが、お前らは若い原石だ。悔しかったら、この短期間で化けて見せろ。獅子王杯を、自らの力で勝ち取れ」
一年生筆頭のベルゼムは、これを主に自分に向けた言葉だと受け取った。精悍な顔立ちが、さらに野性味を帯びる。
選出された5人の表情が引き締まるのを確認して、ゴードンは深く頷いた。ベルゼム、カリム、シンシア、シュツワートにそれぞれ激励を与え、トールに目をやる。この平凡な若者が、よくここまで来たと感心する。
「トール、お前は強者を相手に、何かが掴めれば良い。余計な事をして、自分を崩すな」
努力する教え子を、好ましく思わない教師はいない。トールは愚直なまでに、教科書通りの努力を積み重ねている。ここで獅子王杯に出ようと色気を出せば、余計な事をしてその軌道から外れかねない。
おそらくトールの終着点は、優れた中堅どころだ。特別ではない代わりに、弱点もなく高いレベルで何でも出来る。凡庸な人間は、正しく優れた凡庸を目指すべきだ。ゴードンは長い教師生活で、特別さに憧れ、あるいは気圧され、挫折や遠回りをした生徒を何人も見て来た。その中においてトールは、最初から正道を歩く、ある意味では理想的な生徒だ。ここで、道を誤らせたくない。
確かトールは、軍属を志望していたはず。指揮官にとって、弱点のない優秀な兵士は有難い存在である。強い我を持たない兵士は、戦術に忠実に動いてくれる。
「はい! しかしチャンスがあるなら、挑戦したいです! 僕なりに精一杯、頑張ってみます!」
トールのキラキラした顔と声に、ゴードンは眉をしかめた。方向性が間違っているからといって、やる気そのものを否定するのは、愚の骨頂である。トールもまた、どこかで自分の平凡さを知らなければならないのだろう。道に迷うなら、正しい道を照らして見せるのが自分の役割だ。
「解った。なら、やるだけはやれ!」
ゴードンの声は、慈愛に満ちていた。
トールは考えた。交流戦の最低限の目標は、勝てないまでも学院の名誉に泥を塗らないこと。最高の目標は、勝利した上で獅子王杯に選出されること。最低限であれば、おそらく現状でも何とかはなる。しかし獅子王杯となると、ハードルが高い。普通に考えれば、まず不可能だ。学年主席のベルゼムでさえ、当落線上のやや手前。彼に追い越した上で、違いを見せなければならない。
ベルゼムを基準にして、トールに勝っている要素はない。彼は穴のないオールラウンダーで、トールとは同じタイプの上位互換と言える。体格でも、中肉中背のトールより、二回りは上だ。少なくとも何かで彼よりも秀でて、それを戦術上の優位に昇華させなければ、わずかな可能性すらない。
そこでトールは、一振りの剣撃に到達する。最速最強は、重力を味方に付けられる上段斬りである。しかし振り上げる予備動作から、隙も大きい。故に、トールはあまりこれを磨き上げて来なかった。だからこそ伸びしろは大きい。今から変われるチャンスがあるとしたら、これだろうと思った。
とは言っても、可能性を見出したというレベルではない。圧倒的な絶望から、いくらかマシな絶望になる程度の話だ。常人であれば、ここまで考えるまでもなく諦めてしまうだろう。もしくは絶望と知りつつ、挑戦する気分だけを味わおうとする。挑戦した事実が重要であるから、具体的な達成ビジョンは存在しない。挑戦自体が目的化する。
だがトールの場合には、少し違った。ほんの僅かな可能性であっても、本気で具体的な達成ビジョンを考え、現実化させようとする。可能性の高いものを選択する意識はあっても、低いからといってモチベーションは下げない。目標がそこにあるから、試行錯誤で全力を尽くすだけ。見込みの大きさは、トールにとって関心の外であった。
故郷を守る剣になる! 自分の可能性の限界まで、切れ味を極めた剣でありたい。
トールの研鑽は、振り上げから始まった。中段、下段、足の位置、身体のねじれ、身体の傾きや重心、あらゆる条件下で、上段に振り上げる最適解を模索する。振り上げの軌道、身体のどの部位にどう意識を持つのか。振り上げるだけでは駄目で、振り下ろしへの動きの連動性が高くなくてはならない。一つ一つ感覚を研ぎ澄ませながら、改良に改良を重ねていく。そして振り下ろす動作についても、同じ作業を続ける。
ただ速く、ただ鋭く、トールは素振りを繰り返した。適宜、修正を加えながら、現時点での最適解を刷り込ませていく。次第に軌道は安定し、キレが増すと共に風切り音も重く鋭くなる。端的に言うなら、様になってきた。
5日ほど経過した時点で、いよいよ成長速度が極端に鈍化するようになった。閃く、気付く修正も稀となり、進化がない。このまま続けても、マイナーチェンジを重ねるだけだ。いや、それ自体は素晴らしいのだが、現時点のレベルで止まってもらっては、獅子王杯には届かない。
そこでトールは、考えるのを止めた。速く! 鋭く! の意識を残して、他の思考は止める。無に近づき、潜在意識を優位にする。この行為には、トールの経験による裏付けがあった。疲労と眠気によって意識がぼやけていたところ、いい加減に放った突きが、人生で最高のものであった。それを再現しようと何度も試みたが、未だ正解には到達できていない。もしも錯覚でなければ、無意識の中にこそ、真の最適解が存在している。
同じ潜在意識の気まぐれを、今、迎え入れようというのである。そして次こそは、何がどうしてそうなったのかを把握し、再現可能なものとする。たった一回の経験だけを頼りにした、細い糸を見つけて渡るような話である。しかし希少性が高いほど、得られた時の報酬も大きい期待もあった。
無心による感覚の冴えは、トールの剣筋をより向上たらしめた。過去に掴み取った幾つもの正解が、より深く肉体に浸透して融合し、新しいものに更新されていく進化。トールは更なる高みを、無心で模索する。
四時間ほど経過した時点で、それは起こった。トールから肉体の感覚が消え去り、激しい雷のような音が轟いたと同時に、大きく陥没した地面を認識する。木剣は根本部分を手に残して、消失していた。
その存在にあるのは、自分は自分であると認識する自我と、一つの意志のみであった。価値観や感情といったものは、持ち合わせてはいない。必要がないからだ。物質としての、姿形もない。誰も名付けていない為に、名称はない。ただここでは便宜上、その役割上から『与える者』とする。
与える者は、強く切実な思いを察知した。「棒状の物を、より迅速に惑星の中心に向かって移動させたい」とする欲求だ。与える者は、彼に身体操作感覚と筋力増強をもたらした。身体操作感覚によって、体幹から末端への連動性が増し、動作は格段に合理化された。筋力の増強には相応の時間がかかるが、それと共に更なる向上を得られるだろう。
しかし彼の要求との間には、まだ隔たりがあった。現状の肉体の延長線上では、これ以上の大きな上積みはない。そこで与える者は、空間と物質に関する一部の権限を付与した。空間内で物質が移動することにより、時間という概念が生まれる。これにより彼は、任意に落下距離と時間を、限定された空間内で設定できるようになった。
与える者は、最後の一振りの速度と衝撃を確認して、彼から意識を離した。以降、彼は与える者の記憶には残らず、二度と認識もされなかった。
予告: 第2話 シュヴァルツ高等学校、交流戦
獅子王杯への選出を睨んだ、シュヴァルツ高等学校との交流戦が始まる。試合前の調整を行う両校生徒にあって、エレナ=クラーゼンは、シュヴァルツ側にいる女性剣士に目を留めた。
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