ヘアアイロン
この作品の世界は2019年です。まだ池袋の東急ハンズは閉店していません。
「さて、どうしようか?」
アイリさんが練習する場所を用意したので、私と冬香はアリアさんのところに帰ることにした。
「何か飲みますか?」
気を利かせてくれるのはありがたいが、冬香も遠慮しないでほしい。
「冬香は何がいい?」
すると台所までふわふわと飛んで行った。
「いい茶葉があるのでミルクティー入れましょうか?」
台所から冬香の声が飛んでくる。
「おかえりなさい。西武池袋のケンジントン・ティールームで買ってきたのよ」
おお、それは楽しみ、って……。
「アリアさん、今日は池袋ですか……ひょっとして乙女ロード?」
健全な冬香には聞かせにくい部分もあるので最後の方は小声だ。
するとアリアさんはふふっと軽く笑った。
「ううん。そっちはわたしの趣味じゃないから。友達の女神たちと東急ハンズで買い物してそれからアフタヌーンティーよ。あそこは便利なグッズが一杯あるから女神の間で結構人気があるのよ」
札幌にも東急ハンズがあるから行ったことはある。だから気持ちは良く解る。我が家のキッチンに東急ハンズで購入した小物がどれだけあることか。
それはともかく……。
「あの、アリアさん、女神のお仕事は?」
「あら、休暇を東京で過ごしたい友人を案内するのも立派なお仕事よ。昔から日本は人気の観光地なんだから。おかげでいろんな神様とコネも貸もできるし」
その辺り神様と人間って一緒なのね。
「うん、実に深い味わいだね」
茶葉はセイロンウバ、しっかりとした味に、メントールの香りが立つ世界3大紅茶の一つだ。それを濃く出してロイヤルミルクティーで楽しむ。
「お口に合って何よりです」
やっぱり冬香の腕前は一級品だね。
そしてお茶請けはオードリーの人気焼き菓子グレイシア。花の形をしたクッキーがサクサクで、味はミルクとチョコの2種類。私が手を伸ばしたのはミルク味。上品な甘さがたまらない。
「ボクもこれは気に入ったよ」
もちろん、瞳も呼んだし、直ぐに来た。瞳が選んだのはチョコ。こっちは程よい苦みだそうでこれまた美味しそうだ。
「それで優ちゃん、今日はどんなことがあったの」
アリアさんが楽しそうに聞いてくる。今日は楽しい話ばかりじゃないけどね。
「と、いういう事です」
あんなことがあったから、私も途中で渋い顔をせざるを得なかった。
「そっか……」
アリアさんもマルケス商会の件を耳にして顔を暗くしていた。とはいえ私には他にも考えなければならないことがある。
「私としては、課題のヘアアイロンをどうにかしたいですね」
ヘアアイロンを作りたいが、日本ではプレートの素材がテフロンで出来ている。こっちにはテフロンなんて上等なものは無い。
仕方ないので鉄で代用する。
それにしても気をつけなければならないことがる。
それは温度。
温度が上がりすぎて髪を傷めたら話にならない。もし私の髪のキューティクルが剥がれてボロボロになったらショックのあまり立ち直れないと思う。もし髪が焦げたりなんかした日には引き込もるかも知れない。そしたら暫くはアリアさん家でゆるふわもふもふストーリーでもやるかな。100周くらい。
おっと、思考が逸れた。
それじゃあ、何度がいいか? 乾いた髪なら130度が髪を傷めない適正な温度。しかしヘアアイロンの発熱部分は髪に触れると温度が50度下がるので、ヘアアイロンの温度は180度が適正。それと適正温度より低い温度で何度もヘアアイロンをかけるとこれまた髪を傷めるので避けなければならい。
但し、湿気に弱い髪やダメージの目立つ髪にはもっと低い150度位が適正。つまり個々の髪質に応じて適正温度が変わるのだ。
ちなみに濡れた髪は60度位から髪が痛むので要注意。
電気で温度をコントロールって訳にも行かないから、温度計でもつけるか?
温度を測定する装置は幾つかある。
まずは熱電対。素材の異なる二種類の金属線を繋ぎ、二つの接点に温度差があると電圧が発生する。そのうちの一つの接点を開き電圧計に繋ぐと電位差が分かる。温度が変化すると電位差も変化するので温度が分かるのだが、電気製品は禁止なので却下。
次にサーモスタット。バイメタルという熱膨張の異なる二種類の金属板を張り合わせたものを使った道具で、膨張する前は回路を繋ぐが、温度が上昇しすぎると熱膨張の小さい方に曲がりながら膨張して、回路が閉じて電気が流れなくなる仕組みだ。身の回りにあるのだと炬燵だろう。炬燵を使っていて突然、パチンってヒーターが止まって温度が上がりすぎないようになるのはこれのおかげ。ってこれも電気製品なので却下。
後はバイメタル温度計か。身近にあるのは料理用の温度計かな。バイメタルの膨張具合に応じて温度のアナログのメモリが動く仕組み。
具体的にはつる巻き状のバイメタルを作り、指針針とつなぐ。熱膨張に応じてつる巻きがねじれながら膨張し、それに応じて指針張針が回転する仕組み。あとはメモリを付ければ完成。これなら電化製品ではない。ドライヤーやヘアアイロンに取り付けると少々邪魔くさいが致し方ない。かと思ったがやはり却下。
200度を測定する料理用のバイメタルを作る材料にはモネルメタルと呼ばれる合金が使われるのだが、主な原料がニッケルと銅、他に鉄,アルミニウム,マンガンなどを含むのだが、ニッケルやアルミニウム、マンガンなんてあるのだろうか?
「ねえ、ガラス製温度計ならいいんじゃない」
アリアさんから提案があったのは小学校の理科の実験で使ったアレのことだろう。だけどこれは却下。
180度が測定できるガラス製温度計は長すぎて使うのが邪魔な上に直ぐに割れやすいので却下なのだ。
「ああ、どうしよ~」
「こうなると優ちゃんでもお手上げかな」
アリアさんも少し困った顔をしている。
参ったなー。
行き詰って部屋を何気なく見渡すと、温度計が目に入った。
あれって、アナログ式よね?
「優様、どうしました?」
「う、うん。ちょっと温度計が気になって。あれってたしかバイメタルじゃ……」
バイメタルがゼンマイの形をしていて熱膨張で針が動くんじゃなかったかな。
そっか、この構造なら簡単に作れるし、大きさもそれほどかさばらないか。
問題は素材か……。
「あら、その顔、どうしたの?」
今、私はビミョーな顔をしているはずだ。
「一応、思いつきました」
「あら、いいじゃない。どんなの?」
「あっちで簡単に入手できる金属、例えば鉄とか銅でいい。それらを張り合わせてバイメタルを作ればいい」
この組み合わせ、中学校の理科で習ったような気がするわ。さっきのは考えすぎよね。反省反省。
「そ、それで、温度はどうやって測るのですか?」
以前聞いたことがある。ガラス製の温度計を作る際には毎回必ず氷に密着させて0度の目盛りを、そして沸騰したお湯に漬けて100度の目盛りを振ると。アナログ的な製造方法だと、どうしても若干の品質のばらつきが出るからだ。
「それを応用して0度、100度に目盛りを振る。あとは均等に180度まで目盛りを割り振れば完成って訳」
後、気になるのはバイメタルの長さかな。短すぎて針の動きが分からなかったり、長すぎて邪魔になっても困るし。これは試してみないとね。
それにドライヤーの温度の調整にも使えるし。温度調整が出来ないのが気になっていたけど、温度計があれば出来るよね。手間がかかるけど。
「じゃ、早速図面を描きますか。瞳、出来上がったら見てくれる?」
今は材料が無いし、瞳にはドライヤー作りをお願いしているから、実際に作るのは明日かな。
「もちろんです。あとセニングシザーと、ロールブラシ付きのドライヤーも作らないといけないですよね。明日はどれから作りましょうか?」
瞳はニコニコしているが、滅茶苦茶忙しくなるんじゃ……。それに今日は瞳だけ温泉に入っていないんじゃ……。
申し訳ない気持ちが心の中からドンドンとあふれ出てきて止まらない。
「ああ、瞳ゴメンね!!」
私は両手を合わせて謝ることしか出来なかった。




