練習
欲を言えばセニングシザー(梳きばさみ)を入れたかったけど、この世界には無いみたいだし、そもそも日本にいた時使ったことが無い。なぜなら美容師資格が無いと客の髪を切っていけないから。
え、じゃあ私はどうしたかって? もちろん美容師に頼んだの。少し離れたところにコスプレが趣味の美容師さんが住んでて、その女性にセットしてもらったのよ。後は髪を洗うたびに自力でセットして登校してたの。
「まずは髪をざっと乾かす。そしたら髪を小分けにしてロールブラシに巻いてしっかり乾かす」
まずは後頭部の髪にカールをかける。ここではゆるくふわっとした感じを出したい。
ん、やりにくい。つーか髪が少し重たい。ミーナさんの髪はセニングを入れていないのでボリュームが多い。だけど今回は仕方がない。
次いで左右の髪。ここでは一つ一つ丁寧に巻いてドライヤーを当てることにより、カールを作るのと同時に束を作る。この束になっているのが彼女の髪型の特徴なので大切にしたい。
そして仕上げ。耳下ラインの髪、これは大きく、くるっと回るカールを入れて出来上がり。
「どう?」
私が仕上げたのは「境界の彼方」のヒロイン栗山未来の髪型だ。原作ではアホ毛が入っているがあれはアニメキャラかコスプレだからいいのであって、普通に生活する分にはいらないというか恥ずかしいので却下。それに今は髪も切れないし整髪料も無いので出来ない。
「凄い、凄いです師匠」
ミーナさんは腕をブンブン振って喜びを表現する。
「ん~、まだ反省点はあるのよね。やっぱり髪を切れないのはダメよね、それに道具がそろっていないから」
セニングシザーは瞳に作ってもらうとして、あとは……コテがないから手間がかかるのが問題よね。それが私の今後の課題かな。
「ホントお洒落ね」「ああ、可愛いわ~」
周囲からため息交じりの声が上がる。そんな中我慢できなかったのか、おかみさんもせがんでくる。
「優ちゃん、アタシもさっき話してた髪型お願いしていいかい」
「それなら私も」「ズルい、ワタシも~」
つられて他のお客さんもズズっと迫ってくる。
う~ん、困った。やらないといけないことはたくさんある。冬香がまだ戻ってこないから夫人のところに行きたいし、瞳のところにも戻りたいし、アイリさんのお店にも顔を出したい。その前に夕飯の材料を冬香と買って……あれ、あれれ、そういえば?
今、何時⁉
時計を見ると現在夜の7時半。
し、しまったー
「皆さん、私は夕飯の時間なのでこれでお暇しますね」
「「「「ああーーっ」」」」
夕飯をすっかり忘れていた人も結構いたようだ。
私は大急ぎで身支度を整えた。それこそ高校時代の毎朝登校前くらいの大急ぎで。
「ごめんなさい、すっかり遅くなっちゃって、えっ」
急いでアイリさんのお店に戻ると、アイリさんが倒れていた。
「ヒール」
トリシャちゃんがアイリさんの手首に回復魔法をかける。
「あ、優ちゃんおかえりなさい」
アイリさんの顔が苦痛で歪んでいる。一瞬マルケス商会の敵襲かとも思ったがそんな雰囲気ではない。
「大丈夫ですか⁉」
「優さん、アイリさんは練習中に転倒しただけです」
トリシャちゃんの落ち着き払った一言に安堵する。私も練習で転んだことは何度もあるし、ちょっとした怪我ももちろん何度もある。
「やっぱり難しいですね」
「少し休みますか?」
「ううん。少しでも早く上達しないと」
こう言っては何だがアイリさんには向いていないような気がする。
「そうですね。何かあった時これで逃げるというのは作戦としてはアリだと思います」
ベルティーナちゃんもアイリさんに同意する。
「今日も皆に助けてもらいました。ですがいつもいつも助けられてばかりという訳には行きません。いざとなったら自分の身は自分で守らないと行けません」
その真っすぐな眼差しを見せられると止める気は起きなかった。
ならもっと環境と整えないと。練習するにして店の中ではなく、どこか広くて人目につかない場所が欲しいわね。
教会は子供たちの目につくからダメよね。あとは、カールさんに相談するか、もしくは……。
「ちょっと出て来るわ。なるべく早く連絡するから」
「どう、ここなら練習するには十分な広さでしょ」
場所を確保するのに少々苦労はしたが、アイリさんが練習するからと思えば大したことではない。
「どうって……」
アイリさんの膝が少し震えている。まだローラースケートを履いていないのにおかしいな。
「マジか……」
ついてきたホルスさんも驚いている。
「皆さん遠慮しないで入って下さい」
フリードさんが気さくに声を掛けているがこの夫婦は完全に及び腰だ。
「優さん、普通ここをお借りしようとは思いませんよ」
「アタシも非常識だと思う」
「辺境伯家と交渉する人なんてまず、いないです」
「あり得ない」
’薔薇の乙女’の4人は呆れている。まあ、非常識なのは分かる。でも辺境伯家のお屋敷ならそれなりの広さがあるし、辺境伯家は信用できるからね。
あれから辺境伯家を訪ねてみれば、小さいながらもパーティーの真っ最中。忙しく飛び回っている冬香を捕まえて、辺境伯に取り次いでもらったのだ。
「そういう事かー。優ちゃんの頼みだもの。断らないわよ。練習はパーティーが終わってからだけどいい?」
辺境伯は外出しているので、代わりに夫人が対応してくれた。
「もちろんです」
他の参加者に見られて情報が流れると困るからね。
「但し、パーティに参加してね」
今回のパーティーの参加者は全員それなりの地位でありながら、私とは面識がない。要は私を紹介することによってパーティーの参加者に貸を作ることが目的のようだ。
「そ、それにしても……」
真っ赤なドレスなんて滅茶苦茶目立つっ。
「おお、貴女が噂の優さんですか」
「聞きましたわ。辺境伯夫人の髪を結ったのは優さんなんですって」
「私、その場におりましたの。それはもう見事な腕前でしたわ」
「それに女性を暴漢から救ったとも伺っておりますぞ」
「その位は別に大したことではありませんわ」
「なんとも謙虚な」
「頭脳も腕前も人柄も素晴らしいとは……」
「ええ、本当に娘にしたいくらい、いい娘なんですのよ」
「そう言えばそのドレス、娘さんのでは。見覚えがありますぞ」
ドレスは例によって冬香の魔法、ではなく辺境伯家の娘さんの子供の頃のドレスを拝借し、1か所だけ寸法を冬香に直してもらったのだ。何処をどう直したかは思い出したくもない。
「コホン」
辺境伯夫人が軽く咳ばらいをした。
「あ、ああこれは失礼」
謝られると返って傷つくということもあることを初めて知ったわ。
「そ、それでは乾杯しましょうか」
場の空気を変えるのに最もふさわしい行為を夫人が促した。
今回は小さなパーティーなので全員の席がある。私はメイドさんが急遽用意してくれた端っこの席へと移動した。全員の席には食事がまだ残っているので他にどうしようもない。
「何に乾杯しましょうか」
「私達の新しい娘に」
参加者の問いかけに、夫人が斜め上の答えを返す。
両親を事故で亡くし、叔母に殺害された天涯孤独の身としては悪くない扱いだけど、両親のことを考えると養子になる気はさらさらない。
「またまた御冗談を」
冗談で言ってるのは分かるので軽く流すけどね。
「あら、私は半分本気です。何かあったら母親代わりと思って頼っていいのですよ」
「そ、そうですか。では何かの際にはよろしくお願いします」
「では、私の新しい娘に乾杯」
「「「「乾杯!」」」」




