専門は化学①酢酸ビニル
午前0時にセットしたはずが間違えていたようです。
気を良くしたのか、夫人は辺境伯とフリードさんの前で体をよじり、横からの姿、さらに後ろ髪をアピールした。
「おお、良く似合っているじゃないか」
辺境伯も夫人の新しい髪型を大層気に入っているようだ。
「あら、ありがとう」
夫人も夫に褒められて上機嫌だ。
「僕の知らない斬新な髪型ですね。三つ編みはどちらかといえば子供に似あう髪型ですが、でもこのヘアスタイルなら大人びた雰囲気が漂って実にお似合いです。当面、社交界はお母様の髪型とドライヤーの話題で持ちきりではないでしょうか」
「「「「「……」」」」」
全員心の中で思ったはず。それだけ気の利いたセリフが母親に出せるならクレアさんにも出しなさいよと。
「そ、そう、ありがとう」
ああっ、夫人が手放しでほめられたのに複雑そうな顔をしているっ。
「えっと、それでは、また明日参ります」
さて、どうしようか。考えることはまだまだ山のようどころかや夏休み最終日に残された宿題くらいある。いや、私は毎日コツコツやるからそんなことないけどね。
「優様、何を悩んでいるのですか?」
「え、うん。ローラースケートのウィールが強度不足かなって」
今回は材木を使用しているが、本来なら主な材料はポリウレタンだ。もちろんそんなものはこの世界にはない。
この世界で作れて、尚且つアリアさんに止められない材質か。
頭を捻りながらアイリさんのお店を目指して歩いているが、どうも考えが浮かばない。
「材木は多孔質だから何かで隙間を埋めるとかどうですか」
瞳の意見は一理ある。だが、その何かが思い浮かばないのだ。隙間に入り込める液体で、乾燥したら硬くなる性質を持つ物質というのは私には心当たりがない。
方法ならあるけど。含浸よね。真空ポンプを使って液体を隙間に入れればいいのよ。
あ、でもそれなら真空にすれば隙間が潰れて硬くなり強度が増すか。これなら薬品もいらないし、ってどうやって真空ポンプを作るのよっ。
「んーっ」
私は思わずガシャガシャと頭を搔きむしった。
「優様、はしたないですよ」
「ああ、ゴメン」
「とりあえず、甘いものでも食べたらどうですか?」
「と、言っても今日は日曜だからね」
完全にお店が閉まっているはずだよね。
「アイリさんの台所にグミがありましたよ」
冬香、そこまで把握しているなんてしっかり者よね。
「あれ?」
「ソフィー、グミの語源って確かゴムよね」
グミはドイツが発祥で、ドイツ語でゴムだったはず。
「そうですが」
私はソフィーに飛びついた。だってゴムがあればいろんなものが作れるじゃない。ブラとかショーツとか。流石に紐パンは恥ずかしいじゃない。いやタイヤが作れるなら状況が一変するわね。それに撥水材だから長靴とかも作れるよね。
「王国ってゴムを輸入しているの?」
ソフィーの肩を掴んで尋ねてみた。
「い、いいえ。用途が無いですし、輸送にとても手間がかかりますから」
ああ~。がっくし。
「じゃあ、何でソフィーはゴムなんて知っているの?」
「本で読んだことがあります」
「そっか」
私はトボトボとアイリさんの家まで歩くのだった。
「あ、あら、お、おかえりなさい」
なぜかアイリさんがお店でローラスケートの練習をしていた。
危ないですよと注意しようとしたが、その言葉を私は飲み込んだ。いまだに足と腰がプルプル震えている。テーブルにつかまってようやく移動できるのでは、歩くことすらままならないようだ。
「優さん、ちょっと厳しいかも」
ベルティーナちゃんが首を横に振った。
「ま、まだ練習すれば……」
今のアイリさんなら捕まるものがあちこちにある方がまだ安全かもしれない。
「アイリさん、とりあえず休憩にしましょう。疲れているのに練習しても効率が悪いです」
「トリシャちゃん、どのくらい練習しているの?」
「お昼を食べてからずっと」
時計に目をやるともう4時近くだ。午前中も入れると5~6時間といったところか。
「ええ、一休みしましょう」
「でも……」
「でも、じゃありません。トリシャちゃんのいう通り、疲れているのに練習しても効率が悪いです」
「わかった」
「私が何か入れますので皆は休んでいて下さい」
冬香に任せるのが一番よね。
皆でコーヒーを飲みながら、ソフィーを紹介したり、辺境伯家での出来事をかいつまんで説明した。
「特に問題が無くて何よりでしたね」
ベルティーナちゃんが安堵した。そりゃ、相手が辺境伯ともなると下手な真似できないわよね。普通は。
「となるとあとはこっちですか」
トリシャちゃんはアイリさんの方を心配している。
「尤も、何も起きなければ単なる無駄だけどね」
とはいえ、備えあれば憂いなしだからね。
「だ、大丈夫。練習すればきっと」
「最悪、今すぐマルケス商会に襲われることもあり得るから」
眠そうにして、これまで無口だったウィドちゃんがようやく口を開いた。
たしかに練習する時間があるとは限らないか。
「その為の私達’薔薇の乙女’がついているのだけれど」
それにしても何かいい手はないかな。ウィールが随分痛んでいるし。
ゴムは無いし、樹脂で手に入るか作れるものか。環境に配慮すればアリアさんも認めてくれるのかな。
そんなことを考えながらグミを頬張ると、あることに気が付いた。
「!」
グミ以外で食品でゴムに近いものといえばガム。ガムベースは現代ではポリ酢酸ビニル。厳密には安全とは言い切れないが、一応食品として使われている代物。ガムは食べないから食品にいれていいか微妙だけど。
ポリ酢酸ビニルなら作れるか?
鶏卵を825度で加熱すると生石灰(酸化カルシウム)が出来る。
生石灰を電気炉で2000度で加熱すると炭化カルシウムが出来る。
炭化カルシウムに水を混ぜればアセチレンが出来る。
これにお酢を混ぜると酢酸ビニルが出来る。
酢酸ビニルをラジカル重合させればポリ酢酸ビニルが出来る。
出来るか?
825度なら炎魔法で出来るか。
電気炉で2000度か。あれはグラファイト電極を使うのよね。雷魔法か。たしか雷は30000度位だったよね。魔法だと違うのかも知れないけど試してみないとわからないか。
あとはラジカル重合か。ラジカル重合でつかうアゾ化合物は天然に存在しないし、酸化還元反応を利用するとしたら鉄イオンと過酸化水素水が必要だけれど過酸化水素水が用意できないか。
あとは光の作用で励起状態にするか。となると光魔法か。
ふ、そうよ、この世界には魔法があるじゃない。問題はゲームの4年前の時点で魔法をどれだけ覚えているかよね。
「ベルティーナちゃん、炎魔法使える?」
「優さん、急にどうしました?」
ベルティーナちゃんがまるで鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をしている。
「いいから」
「ええ、一番弱いのなら出来ますけど、それが何か?」
「リオマちゃんは雷魔法使えるの?」
リオマちゃんは仮眠の最中なのでベルティーナちゃんに尋ねることにした。
「一応使えます」
「トリシャちゃんは光魔法使える?」
光魔法でラジカル重合出来たらいいんだけどね。成功したら笑いがとまらないわね、間違いなく。
「はい、神に使える身として修業を積み、身に着けております」
「よし、行けるかも」
私は小さくガッツポーズを決めたのだった。
来週は別作品の執筆がありますので、次回は再来週になります。




