さえない男を落とす方法
女の子の部屋に、一人。
俺は、予期していなかった状況に少しパニックになっていた。
「落ち着け、落ち着くんだ俺……」
自分に言い聞かせてみるも、心臓はいまだバクバクと脈を打っている。
それもそうだろう。
この部屋にある、俺の周りのものは全て、梨音が使ったものなのだから。
例えば、俺の目の前のハンガーにかけられている、
白のフリル付きワンピースとか。
あとは、部屋の奥にあるふかふかのベッドとか。
押し入れの中にあるであろう小物とか。
梨音はこの部屋で寝起きし、くつろぎ、着替えている……。
その生活感が、周りのものからありありと伝わってきて、
俺は変な気持ちになった。
べ、別に手を付けたりはしていないぞ。俺は変態じゃない。
おとなしく言われた通り、読書でもするさ。
そわそわと落ち着きなく歩き回りながら、俺は両側にずらりと並んだ本棚から
暇つぶしになりそうな本を探した。
「『こころ』に『斜陽』に『地獄変』か……純文学が多いな」
ラノベばかり読む俺とは、そこまで趣味は合わないようだ。
でも、梨音の勉強が出来る理由は、こういうちょっと読むのに
ハードルの高い本を普段から読んでるから、なのかもな。
俺は感心して、純文学の棚から少し移動すると、
次の棚の本を手に取ってながめた。
高そうな黒のカバーがついた、分厚い本だ。
ハードカバーなので、辞書と言われても納得してしまうかもしれない。
えっと、タイトルは……?
俺は表紙を確認し、そして、ぶったまげた。
「気になっている異性を落とすために必要な、120の素質ぅ!?」
見間違いか?見間違いだよな?
俺は半ば祈るような気持ちで目をこすり、何度もタイトルを確認した。
だが、表紙に印刷されている文字は、何も変わらない。
ほ、本当に、マジですか?
あの梨音が、俺と共に成長してきた親友兼幼馴染が、まさか。
恋愛で、悩んでいるとは……!
今まで一緒に親しくしていた幼馴染が、
急に遠くに行ってしまうような錯覚を感じて、
俺はめまいがした。
ほんと、最近の子は、恋愛し出すのも早いんだな。
まあ、俺も同世代なんだけど……
……あれ?
でもこれって、俺が知っていい事実なのか?
まずい、のではないだろうか。
俺がそう察知して、本棚に本を返そうと動き始める
その瞬間。
がちゃり。
無情にも、部屋のドアが開かれる音がした。
「夏樹、ミルクティーとお菓子持って来たわよ!
今日のお菓子は絶対おいしいから、覚悟しなさい……
って、あれ?」
銀色に鈍く光るお盆に、ティーカップとクッキーを乗せて
すこぶる嬉しそうに運んできた梨音。
彼女の動きが、一瞬で固まる。
「えっと」
彼女の目線は、俺の手元にある本に吸い寄せられていった。
「それ……読んだの?」
幼馴染の顔からじょじょに笑みが消えていき、
わなわなと震えだすのを見て、俺は慌てて謝った。
「ご、ごめん。
梨音が本棚は触っていいって言ってたから、つい」
梨音は俺に「はい」とも「いいえ」とも言わずに
黙ってお盆をテーブルに置くと、こめかみのあたりを抑えた。
「……私のミスね」
「えっ」
てっきり怒られるものだと思っていた俺は、素っ頓狂な声を上げた。
まさか、梨音が自分の責任だと言い出すとは……
あっけにとられる俺を見て、梨音は顔を真っ赤にして向こうを向いた。
当然だろう。梨音が持っていたのは、恋愛の本なのだから。
異性である俺には、なおさら知られたくない事だったかもしれない。
梨音は肩を震わせながらも、ぼそぼそと話し始めた。
「こ、今回のは私が、その本を本棚に置いていたのが原因よ。
あんたのせいじゃないわ。私が片付ければよかった」
俺はその理論になんだか納得がいかなくて、
でもどう返していいのかもわからなくて、突っ立っていた。
梨音は頬を赤く染めたまま、そんな俺の方に振り向いて、
少し息を吐く。
「冷めちゃうから、とりあえず紅茶を飲みながら
ゆっくり二人で話しましょ。せっかく夏樹が家に来てくれたんだし」
俺はその言葉に小さくうなずいて、紅茶の入ったカップを手に持った。
「じゃ、いただきます」
そう言いながら、俺は紅茶を飲む。
鼻に抜ける茶葉の香りはとてもフルーティーな香りだし、
冷え切った体を温かい紅茶があっためてくれて、
めちゃくちゃおいしい……のだが。
……今は向かいにいる梨音の事が気になって、
上手く楽しむことができなかった。
向かいにいた梨音は、いつもより緊張した表情で紅茶を一口飲んで、
すぐにカップをテーブルに置いた。
そして、こちらの方をじっと見る。
黒い鏡のような瞳に見つめられて、俺はなぜか
考えていることが見透かされている気がした。
「夏樹は、好きな人はいるの?」
今日の授業何だっけ、と聞くような、そんな自然な聞き方で。
梨音は、とんでもない事を口にした。
「い、いないけど」
あまりに自然に問われたので、こちらも反射的に本音で返してしまう。
しまったと思った時には、梨音は「そうなのね」と相槌を打っていた。
「私は……その本を持ってることでバレてるとは思うけど……
好きな人がいるの」
そうだったのかという驚きと、めちゃくちゃ大事な事を伝えられているという緊張で
俺は一言も発せずに、梨音をただ見つめていた。
「もし、夏樹がよかったらだけど」
梨音はいつもの態度とは一転して、控えめな表現を使った。
そしてなぜか、なにかを企んでいるかのような、不敵な笑みを浮かべて
こちらを見る。
「夏樹。私の恋の相談に、乗ってはくれないかしら?」