背中に幼馴染
「ちょっと、夏樹……」
校門を出たところで、そう呼び止められた。
振り返ると、梨音がくたびれた様子で立ち止まっている。
「先生の前で手を繋ぐのは……ちょっと」
「あっ、そうか」
その言葉を聞いて、俺は慌てて手を離す。
そういや、先生と別れる所からずっと、俺と梨音は手を繋いでいた。
「なんか心配になってさ、悪い」
俺が謝ると、梨音は「いいえ」と首を振った。
「私が結構消耗していたのも確かだし、
話を切り上げてくれた事はありがたかったわ」
相当疲れているのか、梨音は校門に寄りかかって
なんとか立っていた。
俺に褒められて過剰反応をしてしまった件、伏見先生の件、
それと……生徒会のお姉さんに挨拶に行く件。
今日一日で、梨音に結構な心理的負荷がかかったのは
言うまでもないだろう。
一馬の件の疲れも、完全に
回復しているわけではないだろうし……
顔面蒼白で今にも倒れそうな梨音を案じ、俺はある決心をした。
「梨音、きついならおんぶしようか?」
俺の言葉に、梨音は目を丸くした。
「な、なんですって?」
「いや、だからおぶってやろうかと」
「誰を?」
「お前を」
梨音は口をあんぐりと開けた。
情報量が多すぎて、思考が一瞬止まったようだ。
その後、俺の言っている意味をようやく理解したのか、
赤くなって首をぶんぶんと横に振った。
「絶対無理よ!そんな恥ずかしいことやってるのを
近所の人に見られたら、私もう暮らしていけないわよ!」
「そうか?」
「そうでしょ!」
梨音は鼻息を荒くしてこちらに反論する。
おんぶがダメなら、梨音を運ぶ方法は一つしか無い。
俺は仕方なく、梨音の腰に手を回した。
急に近寄ってきた俺に、梨音は
怪訝そうな視線を向ける。
「なに?セクハラかしら?」
「アホか、お姫様抱っこだよ。ほら、つかまれ」
「な、なっ……!」
梨音はあまりに意表を突かれたのか、
驚きすぎて言葉に詰まっていた。
俺はその隙をついて、梨音の体を両腕でひょいと持ち上げた。
「わ、わわわ、わーっ!!」
持ち上げた途端、子供の様にじたばたと暴れる梨音。
俺はそれを、静かにたしなめた。
「暴れると落ちて危険だから、じっとしてろって」
梨音は俺をキッと睨んだ。
「あ、あんた!」
そして、かなり切羽詰まった表情で、俺の方に反論してきた。
「今の状態でも危険でしょ!
主に私の社会的地位と、大切な何かが!」
「そうか?いや、おんぶは嫌だって言うから……」
俺は頭をかいた。
困ったな、これじゃ梨音を運んでやれないぞ。
どうにかして、梨音に楽をさせてやりたいんだが。
次の手を考えている俺に、梨音はなぜか呆れたようにため息をついた。
「……やっぱりおんぶでいいわ。
最悪、兄妹っていう言い訳が通るわけだし」
「お、そうか」
それを聞いた俺はゆっくり、梨音を地面に下ろす。
不機嫌な幼馴染は、俺を見てなんとも微妙そうな顔をした。
「あんた、私関係だと急に行動力のお化けになるわね。
助かってる部分もあるけれど……」
そうなのかな。
俺は、幼馴染として当たり前のことをしているだけなんだが。
平然としている俺に、梨音はなぜか笑みをこぼした。
「まあ、それが夏樹よね。
背中向けて。私が乗るわ」
「お、おう」
あれだけジタバタ嫌がったのに、今度はやけに素直だ。
やはり女心というのは、男には一生理解できないものなのかもしれない。
俺が背中を向けると、梨音は俺の肩に手を回してきた。
すかさず足を持ち上げて、おぶる態勢になる。
梨音の体が、必然的に俺の背中に密着する。
「むっ」
「どうしたの?」
「い、いや何でもない」
梨音の温もりと肌の感触に、俺は思わずドキドキしてしまった。
いかん、非常にいかん。
こういう事を期待して、俺は梨音をおぶっているわけではないんだ。
信じてくれ。決してよこしまな理由ではない。
俺は悶々としつつも、大切な幼馴染を落とさないように、慎重に歩き始めた。
梨音は何も言わず、俺の背中でじっとしている。
借りてきた猫のように、おとなしい。
梨音を休ませるために、俺はあえて会話は振らず
ゆっくりと家を目指して歩く事にした。
いつもの並木道を、少しずつ進んでいく。
街路樹はすでに葉をすべて落としていて、ちょっと寒々しい風景だった。
梨音は寒い思いをしていないだろうか。
俺はそれが少し気になって、後ろを振り向いた。
「…………ZZZ」
梨音は、俺に気が付かないほどぐっすりと眠っていた。
幸せそうな笑顔で、すーすーと寝息を立てている。
おそらく、緊張の糸が一気に解けたのだろう。
「……風邪ひくなよ、可愛いやつめ」
無邪気な幼馴染をほほえましく思った俺は、
バッグの中に入っていたコートを梨音に着せてやった。
「起こさないように歩かねえと」
俺はそう一人でつぶやき、再び歩き出した。
こんな寒い時期だというのに、
外はまだ正月気分の人でいっぱいだ。
中にはカップルらしき人たちが、手を繋いで歩いているのも見える。
「……いいなあ」
俺は、ぼやきながら人混みを歩く。
それからちょっとしてから、俺は違和感があることに気が付いた。
……想像していたよりも、梨音が軽いのだ。
ちゃんと毎日ご飯を食べているのか、心配なほどに
梨音の体は軽かった。
女子というのは、皆こんなものなのだろうか。
心配だから、後で梨音に聞いておこう。
……梨音、今は俺の背中で寝てるからな。
俺はその事実に、言葉にしようもない幸福感を感じながら、
ゆっくりと帰り道を進んでいった。