コンプレックスと文芸部
図書館の椅子に腰かけた梨音。
彼女は開口一番「ほんと、ダメね」と言って、肩を落とした。
「幼馴染の褒め言葉を疑っちゃうのは最悪だわ」
どうやら自己嫌悪に陥っているらしい。
悲痛な表情の梨音が発した言葉に、俺は
はっきり首を振った。
「お前が悪い訳じゃない。
今のは俺もちょっと調子に乗りすぎてた、ごめん」
梨音は、美人で何でもできるのに、自分に自信が無い。
だから、褒められると過剰反応してしまう。
ずっと幼馴染だった俺は、それを知ってた。
初めてそれに気が付いたのは、中学生の時だったと思う。
当時、家の事情で登校できなかった俺のところに、
クラス委員だった梨音が、一週間に一回くらい訪ねて来ていた時だ。
たしか当時の梨音は、いっつも優秀な姉と比べられて自信を無くしたとか
そういう感じの事を、俺に言っていたはずだ。
それが分かってたのに、俺は不用意な発言をした。
……梨音が俺の為に髪形を変えてくれたり、俺の為に何かしてくれるのが
めちゃくちゃ嬉しくて、浮かれてたんだ。
俺は、梨音に頭を下げた。
「梨音、本当にごめん。
でも、からかってたとかじゃないんだ。
俺は本当に、梨音が可愛くて健気でいい奴だと思ってる。
それは、嘘じゃないんだ」
梨音はそれに小さくうなずいて、
「私の自信の無さが原因だから……
……もう、この話は終わりにしましょう」
泣き出しそうな顔で、うつむいてしまった。
気まずい沈黙が、俺たちの間に流れる。
ひたすら申し訳なさげに、自分の足元を見つめる梨音。
それを見た俺は、いたたまれなくなった。
だから、俺は必死に、梨音が喜んでくれるような話題を探した。
なんか、梨音がやりたい事とか、したい部活とか……ないか?
いや、梨音がやりたいと提案していたものが、あった。
文芸部だ。
「梨音、文芸部をやりたいって話、前にしてなかったか?」
「そう、だったわね……」
「い、一緒にやらないか?俺も梨音も本好きだから、
一緒にやったら楽しいんじゃないか?」
梨音を励ますための、俺の提案。
それに彼女は顔を上げると、不安そうな表情をした。
「いいの?この前も今日も、私は夏樹を困らせたのに……」
俺はそれを聞いて、驚いた。
……この前の事を、まだ気にしてたのか。お前は。
なるほど。
だから、嫌われてるんじゃないかと不安になって、
褒められても、からかわれてるんじゃないかと思っちゃったのか。
……本当に、真面目で不器用な奴だ。
俺は、お前の幼馴染なのによ。
梨音の言葉で、なぜ苦しんでいるか納得した俺は、
雰囲気がこれ以上重くなって梨音が辛くならないように、
いい笑顔で答えた。
「俺はお前の事を親友だと思ってるから、
遠慮なんてしなくていいに決まってるだろ?」
梨音は、自分を納得させるように、うなずく。
「そう……そうなのよね。夏樹、ありがとう」
俺の親友の表情は、次第に明るくなっていった。
それに俺は安堵して、梨音の方に、おもむろに手を差し出す。
握手だ。
「じゃあ仲直りのしるしって事で、手を繋ぎなおさないか?」
「えっ、いいけれど……」
梨音も、俺の方にぎこちなく手を差し出す。
その手を、俺はすかさず、がしっと握った。
そして、満面の笑みを浮かべて梨音の手を上下に振る。
「はっはっは、せんきゅー。
ないすとぅーみーちゅー」
「あんた……首脳会談のつもり?」
怪訝な顔をする梨音に、俺は親指を立ててみせた。
これがジャパニーズ・ジョークだぜ。
「よくわかったな、流石はツッコミ」
「私は、いつからあんたとお笑いコンビ結成したのよ」
「生まれた時から、俺たちはお笑いだろ」
「哲学的お笑い、そろそろやめない?
あと私を巻き込むのもやめてちょうだい」
「がはは!」
すっかり元の通りに、軽口を叩きあう俺たち。
相手は幼馴染だし、こうでなくちゃな。
梨音が明るくなってくれて、本当に良かった。
俺はひとしきり笑った後、困惑した顔の梨音と一緒に、
文芸部の話を再開した。
「んで、冗談はここまでにして、文芸部の話に戻るんだけどさ」
「ええ」
「俺たち以外の部員って、どうするつもりなんだ?
やっぱり勧誘とか、するか?」
「うーん、どうしようかしらね……まだ考えてないわ」
梨音はあごに手を当てて、しばらく沈黙してから、
「まだ思いつかないわね」とだけ、ポツリとつぶやいた。
まあ、そうだよな。
俺は陰キャだし、梨音はクールに見えてめちゃくちゃ人見知りだから……
ちょっと真正面から勧誘というのは難しそうだ。
うーん。これは、後で考えるか。
俺はいったん部員の話を後にして、次の話題を振った。
「梨音、顧問の先生とかは誰に頼むか決めてるのか?」
「えっと、一応大丈夫そうな先生はいるわね」
梨音は難しい顔をして、「でもね……」とうなった。
「ちょっと私もどんな人なのか、よくわかってないのよ」
「そ、そうなのか?それはちょっと、不安だな。
でも、そもそもなんでそんな先生が候補なんだ?」
「他の先生方が皆、忙しそうなのよ」
「なるほど……」
俺も、その理由には頷かざるを得なかった。
確かに、うちの高校は学生がいっぱいいる割に
先生の人数が少ない。
仕方ない事だ。
俺は、いい先生ではないかもしれないとちょっと覚悟して、
梨音に先生の名前を聞いた。
「何て先生だ?」
「倫理の、伏見真先生。
丸メガネに白衣で校内をうろうろしてる先生よ。
あんたも見たことあるでしょ?」
「ああ、あの人か」
伏見先生。
それは、生徒の誰もが一度は目にしているのに、
生徒の誰とも喋っている所を見たことがないという、ある意味伝説の先生だった。